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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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10 第三の眼

ちょい長めですが魔法戦はメインでないためさっくり終わります。

 姿を現した湖の主は噂とは似ても似つかぬ様相をしていた。

 まず言われていた長い首がない。ゆうに人間五人分はありそうな大きな身体にワニのような大きな口から覗く鋭い歯。体表を覆う鱗はどす黒く、ぎょろりとこちらを見下ろす眼は赤く血走っていてとてもではないが正気を保っているようには見えなかった。

 おもむろに大きな口が開くと何列にもわたって歯が並んでいるのが覗きとれる。吐き出された息は生温く何とも言えない異臭を放っていて、レティスはたまらずに鼻をつまんだ。

 対してルーフェは怖気付くことなく一歩前に出る。


「お呼びだてしてごめんなさいね。湖の主だとお見受けするけど、お話できるかしら」


 湖の主は血走った眼でルーフェを睨め回したかと思うとひときわ大きく咆哮した。

 口内から放出された唾液はルーフェに届く前に弾かれる。わずかに緑の光の膜のようなものが視認できることから結界をはって防いだようだ。

 ひるんだ様子もなく、湖の主は異形な顔をトウマの方向へ向けた。

 長い舌から涎が溢れる。地面に落ちたそれはじゅわりと積もった雪を溶かし、澱んだ泥へと姿を変えた。


「聞く耳はないってところですかな?」

「……残念ながらそうっぽいわね」

「トウマ、俺かルーフェ殿の後ろに下がっていろ」

「りょーかい」


 言われずともそうするとトウマはセイジの後ろへ回りこむ形で距離を取る。

 湖の主の目線はずっとトウマに固定されたままで、狙いは明らかだった。


「完全に我を忘れちゃってる感じね。なんとか正気に戻せたらいいんだけど」

「生かさず殺さず、か? 骨が折れますな、それは」

「それくらいできるでしょ。レティスは雑魚をお願いできる?」


 ルーフェの言葉に湖岸へ視線を移すとなるほど水面からわらわらと小さいワニのような魔獣がわいてきていた。

 湖の主のミニチュアかと思いきやそういうわけでもなく、ぎょろりと単眼が浮き立つような魔獣だ。尻尾がいやに細長く、その先に何やら切れ目が入っているようにも見える。


「わ、分かった。やってみる」


 帯刀してきていた剣を鞘から抜くと身が引き締まる思いだ。はらはらと舞う雪は剣に触れるとわずかに六角形を映し出し、溶けるように消えていった。


「――水よ」


 そう低くつぶやいたセイジの眼前に光が生まれ、やがてそれは細長い矢のように形状を変えていく。無数の氷の矢は意思を持っているかのように湖の主の体へ突き刺さったように見えるも次の瞬間にはバラバラと地面へ落ちていった。


「ふむ。鱗は硬い、と」


 湖の主から飛んでくる涎を片手で作った結界で弾き返しながら唸るセイジ。

 ルーフェの杖の先から生まれた光は迫ってくる湖の主を押し返すようにプレッシャーをかけていた。


「ほん、とに……硬いな」


 飛びかかってくる雑魚をレティスは剣で薙ぎ払う。

 体を覆う鱗は硬く、剣で切るというより叩きつけているに近い。唯一露出している眼を潰すことで一旦動きが止まるも、確実に仕留められるわけではないらしい。見えないはずなのに、雑魚はじりじりとレティスへ近付いてくる。


(なんでだ? 目は潰したはずなのに……)


 潰れた眼は体液で濁り、視線が合わない。けれど、なにかに見られている――視線を感じるのだ。一体どこからと炎でひるませた際に、きらりと煌めくなにかが視界の端に映る。

 細長い尻尾の先。ぱっくりと割れた切れ目から顔を覗かせたものを見て、レティスの疑いは確信へ変わった。



***



 レティスが雑魚を蹴散らしている一方、ルーフェとセイジは防戦一方でじりじりと後退していた。

 一歩、また一歩と湖の主の体が岸辺へ上がってくる。ワニのような頭部と前脚に反して、後ろ脚が異様に発達している。前脚は飾りのようで後ろ脚のみで立ち上がることさえできそうな風体だった。

 湖の主の口から溢れた涎が地面を溶かし、澱んだ沼が少しずつ広がっていく。大きく口を開けた隙を見計らって口内に魔法球を打ち込むも、体がわずかに傾ぐのみで動きを止めるまでに至らない。

 それではと露出した眼を狙うも、ぶつかろうかという瞬間に瞬きされて弾き飛ばされてしまった。


「動きを止めないと話にならんが、これだけの質量を一気に凍らせるのは厳しいな」


 ぎり、とセイジが唇を噛む。


「でも、動きは鈍ってるから。このままじわじわ削っていけば……」


 額から流れる汗を拭い、杖を構え直すルーフェに「なぁ、ルーフェちゃん」とどこか場違いな声がかかった。

 振り返るとセイジの後方で控えていたはずのトウマがいつの間にかルーフェの近くまで戻ってきていた。


「ちょ、危ないから下がってて」

「そのつもりだったんだけど、ちょっと見てらんねーなって」


 口元に笑みはたたえているも、目元は冷ややかで常の飄々とした空気が感じられない。

 なんだか様子がおかしいと思ったのもつかの間、トウマに杖を握っていない左腕を取られ、引き寄せられた。


「ちょっ……」

ノルテイスラ(ここ)じゃ全力出せないってのは分かるけどさ、それにしたってルーフェちゃん弱すぎねえ? ――魔導師ってのは名前だけか?」

「……!」

「試練に負けて全盛期の力を失くした五家のやつじゃ頼りになんねーし……」


 あくまでルーフェだけに聞こえる声量でトウマは吐き捨てる。

 掴まれた左腕はちょうど昨夜トウマに強く握られたところで痛みに顔をしかめた。なにをするのかと見上げた拍子に顎をとられ、乱暴に唇を塞がれる。強引に割り入ってくる舌から流れ込んでくるひどく冷たい魔力に身の毛がよだち呼吸が止まった。


「っ、やっ……」


 身がすくんで思い切り歯を噛み合わせてしまい、鉄臭い味がじわりと広がる。杖を持つ手で押し返すようにしてようやく解放された。


「……痛ーな、ちょっとお裾分けしてやっただけだろ?」

「なっ……」


 それにしたってやり方ってものがあるだろう。

 気色ばむルーフェをなだめるように肩にぽんぽんと手が置かれた。


「あと、このままじゃ埒があかないからヒントをやるよ。――首、いや、尻尾に気をつけな」

「え……?」

「言ったろ? 前にも来たことがある、って。そーいうことだよ」


 じゃあなと再び湖岸から距離を取るトウマを見送って、改めてルーフェは湖の主を観察する。

 体表は鱗で覆われ刃物は届きそうになかった。

 首に、尻尾。言われてみれば湖の主は首が長いと教わったが目の前の魔獣に長い首など存在しない。


「首……尻尾?」


 ルーフェの視線が湖の主の頭から順に前脚、後ろ脚となぞっていく。

 後ろ脚のさらに先は水面に浸かっており全貌は見えなかった。


「尻尾! 長い尻尾があるはず!」


 鋭く叫んだルーフェに呼応するかの如く、湖の主はゴオオオと雷のような鳴き声を上げた。

 水面が激しく揺れたかと思うと派手な飛沫が上がり、セイジとルーフェの周囲に雨のように降り注いできた。足元に広がる泥の沼に落ちるとあたりに嫌な臭いの霧が充満する。煙幕がかかったかように周囲がよく見えない状態に一瞬で陥ってしまった。


「……っ!」


 風を起こし、周囲の霧を晴らした先でセイジが後方へふっ飛ばされたのが目の端に見えた。大きく開けられた口が勢いを保ったままルーフェへ迫る。

 相も変わらずの正面突破。力では敵わなくとも魔法で弾き飛ばしてしまえばいい。

 一点集中で結界をはり、難なく頭を弾き飛ばしたルーフェの眼前に影が落ちる。


「――……ルーフェ、上!」


 レティスの声に反応して上を向くと、玉虫色に輝く虹彩がこちらを見下ろしていた。

 それは後ろ脚のそのまた後ろから伸びた尻尾の先。第三の眼がルーフェを見下ろし、怪しい光に包まれていく。


(――まずい)


 一点集中で前しか結界をはっていない。

 間に合うかと杖を握り直したルーフェの視界に煌めく銀髪が飛び込んできた。剣を握りしめたレティスがまっすぐ尻尾の先へ向かっていく。

 一筋に輝く光はそのまま第三の眼へ吸い込まれるように突き刺さった。


「――このまま、凍れ!」


 レティスの声に答えるかのようにパキパキと音を立てて光が凍っていく。

 地団駄を踏む湖の主は自らの足元のぬかるんだ沼に足をとられ、頭から地面に倒れ込んだ。地を這うような声にならない声が辺りに響く。


「……やった……のか?」

「まだよ。レティス、ちょっと離れてて」


 肩で息をするレティスを制し、ルーフェは杖を握り直した。


「尻尾の眼が弱点だったのね……」


 ひとつ大きく深呼吸して、小声で呪文を諳んじる。


 ――風の精霊よ。我が呼び声に応えよ……


 体内を魔力が駆け巡る感覚に合わせてクスクスと嘲笑うかのような精霊の声が脳内に響く。軽薄で緊張感の欠片もない、お調子者な風精霊たち。


(ほんと……舐められたものね)


 ルーフェはふうとため息を吐き、左耳のイヤーカフに手をかけた。半ば強引に外して勢いそのまま地面へ投げ捨てる。

 精緻な意匠が施された銀製のイヤーカフは他でもないマナから受け取った物だ。存在そのものが異分子であるルーフェが水精霊を刺激しないようにとマナの魔力が込められた魔石が嵌め込まれており、付けると幾分呼吸が楽になる。


(お守りとマナは言ってたけど……封印、でもあるのよね)


 巫子の陰の力によって魔導師の陽の力が抑え込まれてしまう感覚。それを甘んじて受け入れ、ただでさえ気まぐれな風精霊を弱体化した状態で従わせて魔法を使うのはなかなかに骨が折れた。

 けれどそれも、外してしまえば障害はない。

 杖を握り直し、改めて風精霊に呼びかけると周囲を流れる風の質が変わった。

 皮肉にも先程のトウマからの魔力移しのおかげで魔力が枯渇することはなさそうだ。特にあの血――巫子の体液は麻薬のようで、ごく少量なのに格段に濃い魔力を受け取れた。

 体の内側から力が沸き立つ。慌てたように集まってくる風精霊たちはルーフェの意図を汲んで役目を果たすべく宙へ溶けていった。


 ルーフェの足元に光が広がり、複雑な魔法陣を描き出していく。漏れた光は陽炎のように揺らめき空へ昇っていった。低く垂れ込めた雲が広がる中、ルーフェの上空だけが一層黒く、厚みを増していく。ゴロゴロと耳障りの悪い音が腹に重く響く中、ふわりと湖の主の巨体が宙に浮かんだ。


「あなたに恨みはないけど……ごめんね」


 ――一閃。


 ルーフェが杖の先を魔法陣にトンと付けた瞬間、雷光が湖の主に落ちた。

 ビリビリと大気が震える。

 湖の主はしばらく痙攣したのち、ぴくりとも動かなくなった。


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