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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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8 水掛け論

 食後は翌朝まで自由行動ということになった。

 水鏡での定時連絡はこちらで済ませておくというセイジに口を挟む理由がなく、ルーフェはおとなしくあてがわれた部屋へ戻る。巫子だけで移動しているハシバが気にはなったが何かあればセイジが言ってくるだろうし、おそらく明日にはノポリに着くはずだ。


 無駄に広い部屋はやっぱり落ち着かなくて居心地が悪い。見慣れていたはずの豪奢なベッドや装飾品も旅をしている間に縁遠い物になっていたのだと実感する。

 用意されていた寝巻きに袖を通し、ベッドの上で両膝を抱えてうずくまる。背中からおもむろに倒れると長い髪がシーツに広がった。


(……髪、伸びたな)


 元々長かった髪を旅には邪魔だろうと肩あたりでばっさり切ったのが二年前のこと。下ろしておくよりもまとめた方が目立ちにくいし結びますよというハシバの言葉に甘えているうちにすっかり元の長さまで戻ってしまった。

 毛先をもてあそびながらぼうっとしていると部屋の扉がノックされる音が響いた。


「あ、はーい」


 そういえばレティスにあとで話そうと言っていたっけ。


 レティスが来たのだろうとベッドから起き上がり入り口へ向かう。ハシバのことを話すにもちょうどいいと扉を開けるとそこにいたのはトウマだった。


「よ」


 気楽に片手を上げられ笑顔を見せられるもトウマは招かれざる客でしかない。

 そんな内心を隠すことなく、ルーフェは訝しげにトウマを見上げる。


「……何の用?」

「何、って、分かってるんじゃねーの?」


 ルーフェを見下ろすはちみつ色の瞳がすっと細められる。


「……いい。いらない」


 だから帰ってと扉を閉めようとしたら手で止められた。


「つれねーなぁ、ルーフェちゃん」


 くつくつと笑うトウマ。


「ほんとにいーわけ? 体、きついんじゃねーの?」

「別に。まだ大丈夫だから」

「ふーん?」


 値踏みするような視線にルーフェは身体をこわばらせる。

 上から下まで舐め回すような、それはルーフェが最も嫌悪する視線だ。


「ルーフェちゃんさぁ。なんで我慢なんかすんの? 好きな時にすりゃいーじゃん」

「……そんなのあなたには関係ないでしょ。それともなに? まだ巫子としての責務を果たさないとって思ってるの?」


 巫子としての力が残っているとはいえ免職された以上、巫子の力を振るう必要性はないはずだ。

 お呼びじゃないと突き放したにも関わらず、トウマはにやりと口角を上げた。扉を開くよう留めていた手を足に変え、空いた手でぐいと腕を取られる。


「そうだって言ったら?」

「っ、離して」

「やだね。……聞きたいこともあるって言ったろ」


 そう言って、トウマの顔がおもむろに近寄ってくる。

 いつものへらへらした笑顔ではなく、真剣な表情に怯んでしまう。とっさに顔を背けたルーフェの耳に低く囁くような声音が響いた。


「――サヤ様の最期、お前は知ってんだろ?」

「……っ」


 弾かれたように顔を上げたルーフェを見てトウマは満足げに微笑む。


「やっぱりな」

「……っ、痛い……」


 笑顔とは裏腹にルーフェの腕を掴む指に力がこめられ締め付けられるようだ。

 抵抗しようにも身体が動かない。トウマの片手がひたりと首に添えられる。じわりと灯る青い光。冷ややかな魔力にぞくりと背中が粟立った。


 ――嫌だ、気持ち悪い。


 おぞましさにぎゅっと瞳を閉じる。


「――何してるんだ!?」


 割って入った第三者の声の方へ目線を向けると血相を変えたレティスがいた。


「レティス……っ」


 ほっとして吐息で名を呼んだ拍子にルーフェは派手に咳きこんでしまった。喉元からトウマの手が離れてようやく、うまく息ができていなかったことを自覚する。


「……ちっ、いいとこで」


 舌打ちとともにトウマの身体が離れていき、代わりに駆け寄ってきたレティスが膝の折れそうなルーフェを支えた。


「ルーフェ」

「……ありがと、レティス」


 助かったと素直に口にするとレティスもまたほっとしたように息をつくも、ルーフェの腕を見て顔をこわばらせた。レティスの視線を追った先、掴まれていた手首にはトウマの指の跡がくっきりと赤く残っている。


「……なんでこんなことするんだ」

「なんでって、魔力分けてやろうとしただけだよ」

「首を絞めてるみたいに見えたけど」

「気のせいだって。なぁ、ルーフェちゃん」


 いつもと何ら変わりない、へらへらと笑うトウマからは先程の剣呑さは微塵も感じられない。それがむしろ真意を図りとれず空恐ろしかった。


「それより邪魔すんなよ。魔力移しできねーだろ」

「……だから、いらないってば」

「ルーフェもこう言ってるし、無理にするもんじゃないだろ」


 ルーフェを背に隠すようにトウマに向き直るレティス。普段、大人に対しては遠慮がちで丁寧な口調だが怒っているのかそれが崩れている。


「ふーん? なぁ、レティスお前、夕飯で食べたあのすごい飯の味覚えてるよな」

「えっ」


 いきなりの話題転換にレティスは目をしばたいた。

 すごい飯とは他ならぬ鮒寿司のことを指しているのは容易に想像できる。


「覚えてるけど……」

「じゃあルーフェちゃんは? ぱくぱく食ってたけどどうだった?」

「……」

「ルーフェ……?」


 答えないルーフェに不審げな眼差しが向けられる。


(……味なんて分かるわけないでしょ)


 トウマはそれ(・・)を知っている。


 ――魔力が枯渇するにつれ味覚が失われていくことを。


 伊達にサヤ付きの巫子をやっていたわけではないようで、ルーフェはぎりと奥歯を噛んだ。


「ま、そーいうこと。無理そうだったら相手してやるから俺んとこ来いよ」


 じゃあなとひとつウインクを残してトウマは踵を返して去っていった。

 残されたレティスはわけが分からないといった表情を浮かべてルーフェの様子を探っている。


「……味がね、分からないの」


 ぽつりと諦めたようにルーフェは呟く。

 誤魔化すこともできるだろうが、レティスに隠し事はしない。そう決めたばかりだ。


「魔力が切れかかってるサインでもあるんだけど、でも、まだ平気なのもほんと」


 自分に言い聞かせるような口調で、ルーフェはレティスの手を取った。

 背丈はそう変わらないのに、褐色の手はルーフェよりひとまわりは大きい。レティスもいずれハシバみたく大きくなるのかなと場違いなことが頭をよぎる。


「ほらね。まだ温かいでしょ」

「え、うん……」

「体温があるうちは全然大丈夫。ってことで、この話はおしまい」


 ぱっと手を引いてルーフェはつとめて明るく笑った。


「レティス、話があるんでしょ? ここじゃ寒いし中入って」

「あ、いや、……また今度でいいよ」

「え……」

「疲れてるって気づけなくてごめん。もう今日はゆっくり休もう」

「……うん、ありがと」


 休んだところで魔力の消費が抑えられるわけでもないが、その気遣いにルーフェの頬が緩む。

 ルーフェが魔導師だと知ってからもレティスの態度は変わらない。色眼鏡をかけることなく、ルーフェ自身に向き合ってくれるのが何よりも嬉しかった。



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