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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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2 移ろいゆくもの

 翌朝、定時連絡の時間前には食事と野営の片付けを終えた。

 ペンダント型の魔道具時計を見て「そろそろ時間だ」とセイジがトウマに水鏡を使うように促す。


「わかりました。……っと、セイジさん、水出してもらっていいすか?」


 頷いてまわりをきょろきょろと見渡したトウマはセイジにそんなお願いをした。


「ふむ。いいだろう」

「助かります」


 セイジが手を振ると空間がぐにゃりと歪み、水の塊が現れた。指の動きに従ってトウマの前までふわふわと移動する。

 トウマはすぅと息を吸い、水を包みこむように手のひらをかざす。青白く輝きだしたかと思うとそれは徐々に薄く引き伸ばされるかのように膨らんでいった。

 頭の大きさくらいの光が宙に浮かぶ。揺らいだ水面のような状態はやがて収まり、それはまさしく一枚の鏡のようだった。


「あー、クラキ、聞こえるか?」

『聞こえてるよ。時間ぴったりだな』


 映し出されたクラキの姿は昨日のざらついたような映像とはまるで違い、はるかに鮮明だ。声色も直に聞くのと大差ない。


「……すごい……」


 感嘆のため息をもらしたのはルーフェで、目を丸くしていた。


「ハシバの作る水鏡とほとんど遜色ない感じ。トウマあなた、ほんとに実力はあるのね」

「お、見直してくれた? ルーフェちゃん」


 にやりと口角を上げたトウマにルーフェは素直に頷く。


「うん。……巫子としての力は申し分ないのに、疑って悪かったわね」


 社交辞令ではない、純粋に称賛するような声色だった。


「……」

「なに? 変な顔して」

「……なんでもねーよ」


 どこかばつの悪そうな顔をしてトウマはふいと横を向いた。


「……調子狂うな……」


 口の中でつぶやかれた言葉は小さく、誰の耳にも届くことはなかった。

 ルーフェは首を傾げたものの深追いすることはなく、水鏡に向き直る。そこにはちょうど子どもたちが映し出されていた。


『あ、緑の目のお姉ちゃん!』

『日焼けした兄ちゃんもほんとにいる!』

『よかったぁ〜』


 アズサ兄妹とその友達の子どもが口々に喋りだし、一気にその場が賑やかになった。


「オレは無事だよ。この通り、ケガもないし。心配してくれてありがとう」

「レティスのことを教えてくれてありがとね」


 子どもたちに笑顔を見せると同じように返ってくる。

 ひとしきり子どもたちが満足するまで話をして、手を振って水鏡を終えた。




「それじゃ先を急ぐか」


 水鏡に映らないような角度でじっと待っていたセイジの言葉を口火として街道を進む。

 あいにくの空模様ではらはらと粉雪が舞う。吐く息は白く、まだ十月だというのに冷気が肌を刺す。一年中温かく、冬という概念がないといっていい三日月の南(スーティラ)出身のレティスはとにかく寒さに慣れていなかった。

 積もった雪が溶けて氷混じりの道。足元の悪さよりも寒さが骨身に堪えるが弱音を吐いてもいられない。

 冷涼な気候ながら雪が降ることは滅多にないという三日月の東(バジェステ)出身のルーフェはもう慣れているのか、黙々と足を進めている。視線に気づいたのかレティスの方へ振り向いたルーフェは労るような視線をくれた後、「少し休憩しましょ」と先を行くセイジに声をかけた。


 水筒から注がれた水は当然のように冷たく、コップを持つ手が震えてしまう。

 こっそり火の魔法をかけて温かくすると「それいいな」とセイジが笑う。湯気が出るのでバレバレだったようだ。ひとつもふたつも変わらないと全員のコップの中の水に魔法をかける。ふうと湯気を飛ばしお湯を口にすると全身がほぐされていくようだ。


 休憩中、ふとなにかを思いついたのかルーフェがトウマに声をかけた。


「そういえばさっき、水鏡を繋げた時。セイジに水を作ってもらってたけど、自分ではしないの?」

「水を作る魔法なんて使えねーよ。俺は巫子だぜ? 巫子特有の魔法以外はからっきしだよ」

「そうなんだ」


 ふうん、とルーフェはわずかに目を見張った。


「なに? 俺が魔法使えないとなんか問題あんの?」

「そんな、問題なんてないわ。実力はあるのに、マナがあなたを辞めさせたのはどうしてかなと思っただけ」

「……んなの知らねーよ。俺が知りたいくらいだ」


 吐き捨てるように言って、トウマは皮肉めいた笑みを浮かべる。


「ま、サヤ様がいなくなった神殿に未練なんかねーけどな」

「……そう……」

「そうだな。お前は神殿を去る際に一番あっさりしていたと聞いている」


 急に職を失うことに抵抗する巫子も多い中、トウマは誰よりも早く処遇を受け入れて神殿を後にしたという。サヤ様付きの巫子の中でも特に力のあるトウマが受け入れたということで渋々従った巫子も多い。


「大量に巫子が辞めたというのに大きな混乱が起きなかったのはお前の影響も大きい。シノミヤの当主がありがたがっていたのはよく覚えてるよ」


 シノミヤ――五家の監視が付くことも受け入れたという元巫子の男。話こそ聞いていたもののつい最近までセイジはトウマと面識がなかったらしい。


「変わり者だとは聞いていたが、初めて会った時は驚いたもんさ」

「こんなナリだしな。混ざり者ってだけでここ数年は屋敷の外に出るなって言われてたし」

「あぁいや、そういうことではなくてだな。巫子は成人した頃をピークに年々力が衰えていくと聞くのに、遜色ないのが意外だったんだよ。大抵の巫子は引退している年だと聞いていたから、余計にな」

「……年の話はやめよーぜ、セイジさん」


 そう言うトウマの口角は上がっているものの目元は笑っていなかった。


「別に構わんだろう。俺より十は上でもそうは見えないしな。なんだ、魔導師付きになると年を取らない魔法でもかけてもらえるのか?」


 無遠慮に笑うセイジの言葉にレティスとルーフェは目をしばたいた。

 どう見ても三十代のセイジの更に十才は年上。となると……


「えっ、セイジさんっていくつなんですか?」

「俺か? 三十二だよ」


 意外と若かった。


「十は上……確かに、若く見えるわね」

「それ、ルーフェちゃんにだけは言われたくねーけど」

「……それは、そうね」


 魔導師は年を取らないだろとトウマは言外に告げる。

 魔導師になった時の姿のまま、悠久の時を生きる存在。実年齢とのギャップが一番ある点についてルーフェに異論はない。


「まーでも、昔と見た目はそう変わんねーのになんか雰囲気は変わったな」


 目を細めてルーフェを眺めるトウマはどこか昔を懐かしむようだ。


「? 昔のルーフェを知ってるんですか?」


 ふと頭をよぎった疑問がそのまま口をついた。

 思い返せばトウマは最初からルーフェを知っているような口振りだった。対するルーフェの方は一貫して初対面だという態度で食い違っている。

 なんてことない違和感だったが気づいてしまうとあれもこれも気になってしまう。


「あー……そう、だったかな」


 何故か返すトウマの言葉の歯切れは悪い。目が泳いでいることからも失言だったという心情がありありと感じとれる。


「守秘義務、か」


 助け舟を出したのはセイジだ。


「巫子として神殿内で知り得た情報を外部に漏らすことは許されない。それが例え、巫子でなくなった後でも」

「ま、そーいうこと」

「でもそれって、私には関係ないのよね。というか、レティスを部外者扱いしないでって言ってるでしょ」

「いやいやルーフェちゃん。そいつだけじゃなくてセイジさんにも言えねーからな? 五家とはいえ神殿とは別物、例外は魔導師だけってのが決まりだ」

「らしいな。俺もトウマがルーフェ殿と面識があるっていうのは初めて聞いたよ。そういう決まりだとすると、ルーフェ殿が話す分には問題ないというわけか」


 セイジは興味深そうにトウマとルーフェを見比べる。


「……私は魔導師になる前にも何度か水神殿に行ったことはあるから。多分その時に姿を見たんでしょ。サヤさん付きの巫子と話したことはないけど、遠目にいるなとは思ってたから」


 トウマの方を見ながらルーフェは記憶をなぞる。トウマは無言のままで頷きもしなかったが、否定する素振りもないので誤りではないようだ。


「魔導師になる前……ん? そういえばルーフェっていつから魔導師なんだ?」

「え」

「ん?」

「なにお前、そんなことも知らねーの?」


 驚いたように三人の視線がレティスに注がれる。


「……いや、だって。他地方のことなんて気にする余裕がなかったから……」


 母が存命の間は学校に通う余裕があったが、亡くなってからは使用人の通いが極端に減り、日々の生活で手一杯となってしまった苦い記憶が蘇る。いとこや村の皆が通っていた学校も休みがちとなり、他地方の情勢まで学ぶ余裕がレティスにはなかった。


「オレがバジェステの魔導師について知ってることなんて”ファーファネル”っていう名前くらいだよ」

「ふむ。ま、隠すようなことでもないしな。十五年前だよ、ルーフェ殿が魔導師になったのは」

「そうね」

「十五年前……っていうと、オレが生まれた年だな。そんな前からなんだ」

「魔導師としては長くない方よ。他の地方の魔導師はもっとずっと長いもの」


 謙遜するでもなく、淡々とした口調でルーフェが答える。


「まぁそうだな。サヤ様も長かった。……サヤ様と同時期に先代の魔導師が亡くなり、子であった貴殿が後を継いだのでしたな」

「……後を継いだのは結果論であって、たまたまよ」

「……? 子、って? 後を継いだ……?」


 聞き捨てならない言葉をレティスは復唱する。


 魔導師は代替わりするもの。そこに異論はない。けれど後任者としての意味合いの後継ぎであるならば子という単語は出てこないだろう。

 魔導師はヒトであってヒトならざる者。魔導師になると生殖能力が失われるとされている。それにも関わらず、子というのはどういうことなのか。


 レティスの疑問に答えたのはセイジだった。


「そう、ルーフェ殿は先代の風の魔導師の子だ。正しくは、先代が魔導師になる前に成した子、だな」


 先代の風の魔導師が亡くなり、その空席に子が座ったというのは一時ノルテイスラでも話題になったらしい。

 魔導師に子がいたという記録は過去に数例あるものの、世襲の形で跡を継いだ者は誰もいなかった。

 そもそも魔導師は悠久の時を生きる者。子や孫よりも長く生きることが往々にしてあるため、二代続けてというのは前代未聞と言っていい。


「例外中の例外だよ、ルーフェ殿は。魔導師には生半可な覚悟でなれるものじゃない。ましてその若さでというのは稀だ」


 そう語るセイジの声色は物悲しい。どこか憐れむようにも聞こえてレティスはルーフェの顔色をうかがった。

 視線が合うとルーフェはとりすましたような表情でレティスに笑いかける。


 セイジの目から見たルーフェとルーフェ自身の認識にどこか差異がありそうな雰囲気だったが、深入りしてほしくなさそうにも見えてレティスは口ごもった。


「そう、なんだ……ありがとう。教えてくれて」


 礼を言うことで話を切り上げた。


 充分休めただろうと出発する。昼に差しかかろうという頃合い、湖の村ノポリまでもう目と鼻の先だというところで、魔獣に出会ったのだった。


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