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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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1 お守り

 南島の北西部に位置する小さな村。山間に広がる湖が近くにあり、自然丸ごと観光地扱いとなっているのが湖の村ノポリだ。

 ルピナスの群生地としても有名で春から初夏にかけて観光客を多く呼んでいたがそれも昔の話。天候が崩れるようになってからはみるみる観光客が減り、すっかり寂れてしまったという。


 ノポリへと繋がる街道も整備されているとは言い難い。ただでさえ積もった雪が中途半端に溶けて足元も悪い状況に、雪道に不慣れなレティスは着いていくだけで精一杯だった。


 何度目かの休憩中、水鏡についてルーフェが解説してくれた。

 地水火風、それぞれの巫子は系譜に連なる精霊の力を借りることで独自の魔法を使うことができる。

 水の巫子であれば水の精霊の力を借り、まるで鏡のように遠く離れた二地点を映像と音声で繋げられるのだという。


「その鏡を作り出すのに水を使うから『水鏡』って言われてるの。手紙と違って今この瞬間の情報を伝えられる。水の巫子だけが持つ、唯一無二の力ね」

「巫子だけが使える魔法……そんなのがあるんだな」


 巫子であった母――イズミから諸々聞いてはいたが、水鏡については初耳だった。

 まだまだ未知のことがある。またひとつ新しいことが知れて嬉しく思っていたら「つーかさぁ」とトウマが横から口を挟んだ。


「別に機密ってほどじゃねーけど、どう見ても部外者なこいつに色々教えちゃっていいわけ? ミツルが聞いたら青筋立てそうじゃね?」


 神殿の内情をペラペラと話すなと不満を表していたのは記憶に新しい。

 自分のことを棚に上げたトウマの発言にルーフェはため息をついてセイジは苦笑した。


「それ、あなたには言われたくないわね」

「だな。とはいえ色々伏せずに話せるのはありがたい。レティスは部外者扱いしなくてもいい、ということで問題はないと」

「まぁ、そうね」

「ふむ。……となると、やはりトウマとクラキを頼って正解だったな。巫子の力はやはり便利だ。レティスには少々手荒な真似をしてしまったがな」

「そーだよ。男の巫子がいる、おまけに想定外なよそ者の同行者もいるって報告したら『連れてこい』だもんな。セイジさんも無茶言うよ」


 酔っ払っていた魔法使いたちが見知ったことをトウマからクラキに水鏡を繋いで知らせたことでレティスを拐かすことに至ったのだという。


 肩をすくめたトウマを一瞥し、ルーフェは唇を尖らせた。


「……巫子の力を悪用するのはどうかと思うけど」

「心外だな、ルーフェ殿。力は使うためにあるし、善悪は人によって違う」


 悪いことなど何もしていないとでもいう風にセイジはからからと笑った。




 日が暮れるとあたりは静寂に包まれる。暗闇に浮かび上がる焚き火だけが唯一の光。ぱちぱちと薪が爆ぜる音がどこか心地良く、揺らぐ炎を見ていると自然と睡魔に誘われるようだ。

 簡単に食事を済ませて早めに寝ようかと話をしていたらそれは来た。


 ぼうと宙に浮かぶ青い光。ふわふわと惑うような光が急に現れて身構えたレティスに「大丈夫だ」とセイジから声がかかる。


「十九時か。噂をすれば、だよ」

「え……」


 光は徐々に膨らみ、手のひらくらいの大きさで成長が止まった。揺らぐ水面のような光に何やら映像が映し出されていく。

 随分と解像度が粗いが、一人の男の姿がそこにあった。


『あー、あー。トウマ、聞こえるか?』

「聞こえてるよ」


 光に浮かび上がる人物はクラキに見えるが、なにかのフィルターを通したかのように声色が歪んでいる。


「水鏡、だよ。クラキからの定時連絡だ」

「これが、水鏡……」


 画質も悪く、声もくぐもってよく聞こえない。鏡と呼ぶにはあまりにもお粗末な姿になんだか拍子抜けしてしまった。

 そんなレティスの頭の中を読んだかのようにルーフェが光に問いかける。


「ねぇ、これもうちょっと見えるようにならないの?」

『……すみませんねぇ、力不足で』


 クラキからの返事は苛立ちが隠しきれていない。


「まぁそう言ってやらないでくれ。トウマ、頼めるか」

「はいはい」


 セイジの呼びかけに二つ返事で答え、トウマが水鏡に手を伸ばす。

 手のひらがぼうと青く光ったかと思うと水鏡を包んでいった。光が混ざり合い、水鏡が揺らぐ。落ち着いた時には静かな水面のような光に姿を変えていた。

 先程よりひとまわり大きく、幾分か鮮明な映像がそこには映し出されていた。クラキの斜め後ろにハシバがいることも確認できる。


「これでいいかな、ルーフェちゃん」


 ふうと一息ついたトウマはルーフェに対して恭しく礼をとってみせた。


「……巫子の力が強い、ってのは口だけじゃなかったのね」

「当たり前だろ?」

「繋がっている巫子であれば、双方から水鏡を操ることができる、か。器用なものだな」


 クラキが作り出した水鏡にトウマの魔力を注ぎ込むことで映り出される映像と音声の精度を高めたのだという。

 感心したようなセイジの言葉にトウマはまんざらでもない表情を浮かべる。


「ま、これくらいお安い御用ってね」

『あー、報告してもいいですか?』


 クラキの声にセイジは頷く。

 クラキからは無事に荷物を回収できたこと、今晩はナーシスに泊まることを告げられた。


「ナーシスに泊まるのは何故だ? こちらに追いかけてこないのか?」

『それなんですが……』


 話に割り込んだのはハシバだ。


『明日朝、ルーフェ殿とレティスを水鏡に映してもらえないでしょうか』

「それと追いかけてこないのとどういう関係があるんだ?」

『その、レティスがいなくなったことを教えてくれた子ども達がいまして。その子達が本当に無事だったか知りたいと言うもので……』

『ちびっこに泣かれるわ宿の店主に疑われるわで大変だったんですよ』


 子ども達というと一瞬に雪遊びをしたあの子達だろう。ルーフェも同じ子ども達を思い浮かべたのか、レティスと同じ顔をしていた。


「そっか、あの子がルーフェに知らせてくれたんだ」

「そう、そうなの。村の宿全部まわって探してくれて。すごく心配してくれてた。ねぇ、水鏡でちょっと話すくらいいいでしょ?」

「まぁ構わんが……」


 やはり多少の後ろめたさはあるのか、事情を把握したセイジの言葉の歯切れは悪い。


「あの子達のおかげですぐにレティスを探せたんだもの。直接は無理でも顔を見せてあげたいわね。っていうか明日でいいの?」

『はい。今日はもう遅いので、明日の定時連絡の時間に会う約束を取り付けました』

「そうか。じゃ明日はこちらから繋げよう。他になにかあるか?」


 水鏡の向こうとこちら、全員の顔をセイジは見回す。


「……シズの様子はどう?」


 ためらいがちに口を開いたのはルーフェで、水鏡の向こうに話しかけた。

 シズは今朝までレティスにくっついていた。昼前に二手に別れるかという時にルーフェがハシバに連れていくよう押し付けていたことをレティスは思い出す。

 水鏡の向こうでハシバはシズを手に抱えてみせた。


『特に変わった様子はなく、いつも通りです』

「そう、良かった。シズ、二人をよろしくね」


 小さな白い体に、黒目がちな大きな瞳。わずかに羽根の形をした耳が動いただけでシズは何も喋らない。鳴くこともなく、ハシバの手の内からするりと抜け出して肩口に乗り、頬に身を寄せた。

 相変わらずの態度の落差にルーフェは苦笑し、ひらひらと水鏡に向けて手を振った。


「じゃ、また明日ね」

『それでは失礼します』


 クラキの言葉を最後に水鏡はみるみる光を失って霧散した。

 光源が焚き火のみになり夜の闇を強く感じる。ぱちぱちと薪の爆ぜる音を聞きながら、レティスはふと疑問を口にしてみた。


「な、ルーフェ。なんでまたシズをハシバさんに預けたんだ?」

「え? んー……あえて言うならお守り、かな」

「お守り?」

「そう。ハシバもあのクラキって人も巫子でしょ? ……巫子の血は魔獣を惹きつけるから。万が一に備えてのお守り。ああ見えてシズは強いのよ?」

「シズが、強い……」

「強いって、あの小さいのが? そいつさらった時もなにもしてこなかったのに、ほんとかよ」


 レティスに重ねるように言葉をかぶせてきたのはトウマだ。

 茶化すような物言いにルーフェは冷ややかな目線を返すも、レティスとしてはトウマと同意見だった。


 きままに寝て、起きている間はハシバかレティスにくっついている小さな魔獣。普段のシズは贔屓目に見ても愛玩動物にしか感じられず、とても強そうには見えない。


「……レティスは巫子じゃないから。シズは多分、巫子しか守らないと思う」


 どれだけレティスに懐いていても、たとえ傷つくことがあったとしても、巫子相手に牙をむくことはないと思うと言うルーフェの口調はどこかためらいがちだ。

 セイジやトウマがいる影響なのか、口数は少なめで表情も浮かないまま。けれどレティスの問いには真摯に答えようとする姿勢がなんだか申し訳なくてレティスもまた口数が最低限になってしまう。


「それでハシバさんに?」

「うん。あのクラキって人も巫子でしょ。身を守る術はひとつでも多い方がいいかなって」

「……ふむ。巫子とはいえ、ミツルはそのへんの魔獣相手なら引けを取らないと思いますがね」


 横から口を挟んだのはこれまで聞き役に回っていたセイジだ。


「ハシバだけならどうとでもできるってのは分かってる。けど、あのクラキって巫子はどうなの?」

「クラキかー、魔法は得意じゃないはずだし、護身用に何かしら持ってるだろうけど使ってるとこは見たことねーな」

「ほら。巫子が傷つくのは絶対だめ」

「お、クラキの心配もしてくれてんの? 優しいんだな、ルーフェちゃん」

「優しいっていうか、当たり前のことでしょ。巫子は庇護されるべき存在なんだから」


 さも当然という風にルーフェは語気を強める。

 あっさり肯定されて拍子抜けしたのかトウマから薄ら笑いが消えた。端正ながらどこかけだるげだった瞳がわずかに見開かれて光が灯る。焚き火の揺らぎが瞳に映っただけにも見えるが、わずかに口角が上がったことから気のせいではないようだ。


 ルーフェはそれには気づかず、定まらない視線でぽつぽつと呟く。


「なんとかできるハシバが稀なだけ。自分の身は守れたとしても、他の人まで手が回るかわからないじゃない。なにかあってからじゃ遅いし……もちろん、なにもないならないでそれでいいの。むしろお飾りのお守りであってくれた方がいいわ」


 何事もなく済むにこしたことはなく、役に立つ機会がない方がいい。

 それはセイジも同意見だったのか「それはそうだな」と頷いて話を終わらせた。


「明日は早めに動きたいからもう寝るとしようか。テントは三人くらいしか横にはなれないからゆっくり休んでくれ。見張りは俺がしよう」

「え、セイジさんいいんすか」

「あぁ。巫子は大事にしろっていうルーフェ殿に従うさ」


 おどけたように言ってみせるセイジに促されるままテントの中に入る。レティスを中心に据えて川の字に横になった。


 そう間をあけることなく、トウマの方からは寝息が聞こえてくる。

 反対側で横になるルーフェも寝てしまったのかわずかに肩が上下するのみ。左耳につけられたイヤーカフが暗闇の中でも煌めきを失うことなく硬質な光をたたえている。内側から輝いているようにも見えて、やはり魔道具なのだと妙に納得してしまった。


(……はずさなくていいのかな)


 先日は確か寝る前にはずしていたはず。

 そっと手を伸ばしてイヤーカフに触れる。


(……温かい……)


 それはほのかに温かく、まるでそれ自体が呼吸しているかのような不思議な感覚に襲われる。

 なんとなくこれは外してはいけないと思ってレティスはそっと指を離した。


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