幕間2.5 よすがのありか
まずは食事をと言われたもののレティスが連れてこられたのは母屋ではなく離れで、そこはどこからどう見ても風呂だった。
板張りの広めの待合室はナーシスの村と雰囲気が似ている。違いがあるとすれば男女それぞれの浴場へ繋がる扉の片方が塞がれていることだろうか。
レティスの前にはセイジと名乗った隻眼の男、後方には丸眼鏡のクラキという男が控えていて、特に縛られはしなかったがひしひしと監視されている圧を感じる。隙がない上にそもそもの結界。あれをどうにかしないと逃げようがない。
促されるままに浴場へ繋がる扉をくぐると湿気を含んだあたたかな空気がそこに待っていた。
「飯と言ったがやっぱりその前に風呂だな。悪いが変な物を仕込んでないか確認させてもらおうか」
セイジに暗に脱げと告げられる。
ためらったところでこちらに拒否権などなく、渋々レティスは服を脱いだ。
「……細いな。ちゃんと飯食ってるのか?」
「セイジさん、特に変な物は持ってなさそうです」
頭から爪先まで確認しての感想にしてはやや的外れなセイジに対し、クラキは粛々と脱いだ衣服を確認していた。
「そうか。じゃクラキ、お前はもう行っていいぞ。飯の支度頼むわ」
「承知しました」
「ってことでレティス、おっさんとで悪いが風呂だ。なに、ここは元々は宿だったから狭いことはない。ゆっくり疲れをとってくれ」
「え……」
まさか本当に風呂に入るとは思わずレティスは面食らってしまった。
目を白黒するレティスの前でセイジも身につけていた服をためらいなく脱いでいく。服の上からでも鍛えているのだろうと感じられる体付きだったが想像以上で、ろくに食事にありつけずに痩せる一方だったレティスでは到底どうにかできそうではなかった。
額だけではなく身体中至る所に残る傷跡が痛々しい。あれほど簡単に結界をはれるくらいの魔法使いなのにも関わらず、鍛え上げられた身体は戦士のそれだ。
(……いやでも考えろ。どうにかしてここから出ないと)
「どうしたぼうっとして。ほら、こっちだ」
セイジに肩を押される形で進むとなるほど言葉通り広い浴室があった。
ゆうに十人は足を伸ばして入れそうな浴槽もあり、壁際にはシセルの街で見たような魔道具付きのシャワーがいくつか並んでいた。
「これの使い方は分かるか?」
こくりと頷くレティス。
「そうか。じゃ大丈夫だな」
右眼の眼帯はそのまま、セイジは身体を洗い出した。
無防備に背中を向けられて逃げるかどうかレティスは迷う。
けれど丸腰の状態でできることは限られており、すぐに捕まってしまうだろうことは容易に想像できた。
(……様子見、するか?)
手荒な真似をして連れてきたにも関わらず、逃げなければ何をしてもいいだの随分と余裕がある発言だ。逃げられるはずがないと高を括っているのか、それともこちらを油断させる手なのか。
それを決めるには判断材料が少なく時期尚早だろう。ひとまずこの場は大人しく従う振りをすることにして、レティスはひとつ間を開けてシャワー前の椅子に座った。
身体を簡単に洗ってから広い湯船に浸かると、何度も転んで棒のようだった足腰にあたたかなお湯が染み渡っていく。
「あ〜〜〜……生き返る……」
しみじみと呟いたのはセイジだ。
「やはり風呂はいい。少しは緊張がほぐれたんじゃないか?」
「……こんな状況でくつろげるわけないよ」
「ははっ、それもそうか」
からからと笑うセイジの右眼には眼帯が付けられたままだ。風呂くらい外せばいいのにと思うが口にすることはしない。
「なに、さっきも言った通り出ていかない限りなにをしても構わない。ルーフェ殿が来るまで君には息災でいてもらわないと」
「もしルーフェが来なかったら? というか、……来るはずないと思うけど」
知り合ったばかりで、ろくに話も聞かずに出て行ったレティスのことなど見捨てたとしてもなんら不思議ではない。
その場合のレティスの処遇は……考えたくもなかったが明るくないであろうことは分かる。
「いや、来るな。君にそれだけの価値があるのかいささか疑問だが、それはおいおい分かるだろう」
迷うレティスとは反対にセイジは確信を持っているような口調だった。
ルーフェとハシバの素性を知った上でこう言えるのだから二人と深い間柄にあるのかもと頭をよぎるが、そうだとしたらなおさら意味が分からない。
ルーフェは――魔導師は筆頭巫子と並んでこの国の宝だ。二者なくして安寧は訪れないというのはどんな小さな子でも知っている。
こんな、まるで人質を取るなんて無茶な真似をしていい相手ではない。いや、そもそも人質になるかどうかも怪しいのにとレティスの思考は沈んでいく。
風呂の後は食事だとセイジに促されるまま母屋へ戻ると、なるほど食欲を刺激するような匂いが鼻をくすぐった。
ぐうと意図せずに大きく腹の虫が鳴く。
よくよく考えずとも朝に食べたきりで、その後何時間も歩かされた状況だ。緊張感から今まで空腹を忘れていたが、目の前に食事を並べられると体は素直な物だった。
「腹が減ったか、いいぞ。君もちゃんと食え」
「えっ、セイジさん、そいつにも食わすんすか?」
「もちろん。一人くらい増えても構わんだろう」
「そりゃ量はありますけど……」
食堂に勢揃いした面々にじろじろと見られてなんとも居心地が悪い。
昼間にレティスを拐かした酔っ払い二人組もいて、面と向かってレティスに何かを言ってはこないがセイジには何やら物言いたげな視線を投げていた。
「言いたいことは分かるが、腹を空かせたガキ一人くらい受け入れてやれ。なに、どうせ明日にも迎えが来る」
「……まぁ、セイジさんがそう言うなら……」
諭すようなセイジの言葉を渋々受け入れるような形で、レティスは食卓に加わることになった。
用意された食事は鍋で、大きな鍋が二つテーブルに置かれている。
かまどでもないのにぐつぐつと煮えたままなのは焼いた石を中に入れているかららしい。
男所帯のせいか鍋の具は圧倒的に肉が多い。野菜やきのこも入っているが気持ち程度だ。レティスの前に置かれた器にも肉が並々と盛られていた。
「どうした、食わないのか?」
「……」
「毒なんて入ってないぞ?」
同じ鍋の物を目の前で幾人も食べているのだからそれくらいは分かる。
ためらっているのはそれが理由なのではないのだが、結局レティスは空腹には抗えず、箸を手に取った。
「……いただきます」
一口、二口と食べ進めながら周囲を確認する。
人数は八人。頭となる存在は間違いなくセイジで、次いでトウマ、クラキ、その他の面々といったところだろうか。
軽口を叩き合いながら食事をする様は賑やかで、仕留めた魔獣から取れた魔石が高く売れただの、他愛ない話に混じって笑い声が漏れる。
レティスと出身は違えどよそ者に見えるトウマも受け入れられているようだ。口は悪いが姿勢は良く、食べ姿もなんだか様になっている。セイジの堂々とした姿勢の良さとはまた違う。どこか異質な雰囲気に目をとられてしまっていたのを自覚したのは当のトウマに声をかけられてからだった。
「なんだよ、さっきから」
じろじろと見られたためか、トウマは不機嫌さを隠さない。
「よそ者がそんなに珍しいか? お前だってそうだろうに」
「あ、いや……」
「なに、こう見えてトウマはれっきとしたノルテイスラの民だよ」
口を挟んだのはセイジで、こちらを射抜く隻眼が揉め事は許さないと語っている。
「半分は、ですけどね」
吐き捨てるようにそう言ってトウマはレティスから視線をそらした。
半分――レティスと同じ、間の子。
いないわけはないと思ってはいたが、実際にノルテイスラで会ったのは初めてだった。
自嘲するような笑みは自らの境遇を良くは思っていないように感じられて、少し、ほんの少しだけ、親近感がわいてしまった。
「そう、なんだ……」
視線を落とし、自らの手をまじまじと見つめる。
ノルテイスラでは異質な褐色の肌。故郷とは日差しの強さが違うのか、数ヶ月いる間に少し白くなったような気もする。今口にしている食事も故郷では見慣れないものがあり、随分遠くまで来たものだと思う。
行き倒れていたところを拾われたかと思うと見知らぬ人に囚われてと息つく間もなく状況が変わっていく。
ひどい目にあいたいわけではないが、拘束もされず風呂に入れられ、おまけにあたたかい食事まで出されてと人質というよりまるで客人のような扱いだ。
……何が何やらよく分からない。
それが紛うことなき今の本音で、何をよすがにすべきかあやふやなままだ。
旅は道連れだと言ったルーフェの真意は何か。
迎えに来るというセイジの確固たる自信はどこから来るのか。
それらの根拠がレティスにはまだ分からない。
(……来て、くれないよな……)
何度自問自答しようと出てくる答えは同じ。
何事にもあやふやな自分を助けに来る理由がないと、信じるに足る要素を自身に見出だすことができないまま、夜は更けていった。
レティスの内面をもう少し描写しようと増やした話でした。
しかし喋らんなこの子・・・