12 巫子の事情
レティスが朝食を食べ終えた頃、話がようやくまとまったようだ。
がやがやと男たちは食堂を出ていき、一人残されたセイジがまいった様子で声をかけてきた。
「待たせて悪いな」
「いえ。なんとか納得したんですか?」
クラキの問いにセイジは頷く。
「まぁ、な。この宿と、馬二頭。そのままやるってことで話はついた」
ついでに困ったら神殿の街のミカサ邸に来いと告げると渋々引き下がったらしい。まさか五家の名を出されると思っていなかったのだろう。
「宿、って……勝手に使ってるだけなのに、そんなこと言っていいんですか?」
クラキの言葉にセイジは心外だとばかりに眉を上げた。
「あのな、勝手に使うわけないだろ。ここを使うって決めた時に買い取ってある」
「はぁ!?」
「おー、さすがセイジさん」
クラキは素っ頓狂な声を上げたがトウマは愉快そうに手を叩く。
廃宿を買った、その事実にレティスもまた目をしばたいたがルーフェとハシバはさして驚いた様子もなかった。さすが五家、金持ちだと言わんばかりの態度だ。
「馬二頭ってことは一頭は連れていくんすね」
「そうだ。荷馬はあって損はない。ノポリまではそこそこ距離があるからな」
「ノポリ?」
「あぁ。神殿の街はここから北西の方角だが、道中に湖の村がある。一旦そこに立ち寄るつもりだ」
「その前に、一旦ナーシスへ荷物を取りに戻りたいのですが」
横から口を挟んだのはハシバだ。
大半の荷物をナーシスの宿屋に置いてきたのだと事情を説明するとセイジは難色を示す。
「荷物なんざ後でいいだろ」
「そういうわけにもいきません。宿代もかかりますし、第一、僕だけの荷物ではないので」
ちらりと視線でルーフェを示すと察してくれたらしく、ふむ、とセイジは顎に手を当てた。
レティス、ルーフェ、ハシバ、クラキ、トウマと順に目で追っていく。
「それじゃ二手に分かれるか。ミツル、お前だけナーシスへ行くといい。残していく馬を借りればすぐに行って戻ってこれるだろ。ノポリで待つから追いかけてくるといい。で、定時連絡は入れること」
「僕一人で、ですか?」
「あぁ。まさかお前たち三人で行かせるわけないだろう? 逃げてもいいと言ったが逃げて欲しいわけじゃないんでな」
「……分かりました。けど、定時連絡と言われても連絡の取りようがないですよ」
「? お前たち、巫子同士なら『水鏡』で連絡が取れるんじゃないのか?」
片眉を上げたセイジにクラキが答える。
「いえ、ミツルと俺たちは水鏡を繋ぐことはできません」
「何故だ?」
「水鏡を繋ぐにはあらかじめ契りを結ぶ必要があるからです。俺やトウマはミツルとそれをしていません」
「すりゃいいじゃないか」
「お断りします」
即答するハシバ。
「誰から頼まれようとそれは承諾しかねます」
「? よく分からんがそんな無理な話か? 連絡取れて便利じゃないか」
思いのほか強い口調で否定され、セイジは納得できないとばかりに巫子三人を見比べる。
完全に蚊帳の外のレティスはルーフェにそっと耳打ちした。
「なぁ、ルーフェ。……水鏡って、何だ?」
「水の巫子が使える力、かな。詳しくはあとで説明してあげる」
ありがとう助かる、と頷いてレティスは再び沈黙した。
セイジに疑いの眼差しを向けられた三人の中で真っ先に口を開いたのはまたクラキだった。
「セイジさん、水鏡は便利なだけじゃないんですよ。受信側の都合お構いなしに映像を繋げられるんです。それこそ風呂とかトイレとか関係なし、プライバシーなんてあったものじゃない」
「そーだよ。俺も仕事じゃなきゃこいつと契りなんて結ばないっての」
「それはこっちの台詞だ。ってことで、マナ様をのぞいて巫子間で契りを結んでる人は稀です」
「マナ様は別というのは?」
「マナ様は魔法が使えませんからね。マナ様へ水鏡を繋ぐことはできてもその逆はありません。なのでそれなりにマナ様に近い者なら契りを結んでいるはずです。ミツル、お前もそうだろ?」
「……そうですけど、あまり神殿の内情をペラペラ話さないでもらえますか」
諌めるような物言いのハシバをトウマは鼻で笑った。
「はっ、守秘義務に抵触しないことを話してるだけだっつーの。無理矢理辞めさせられたとこに義理立てする筋合いはねーしな」
「無理矢理と言いますが、残っている巫子もいますから実力の問題では?」
「なんだと? やるか?」
がた、と椅子から立ち上がるトウマ。
「トウマ、よせ」
「ハシバも、挑発しないの」
セイジとルーフェ、双方から諭されて二人はすっと視線を逸らした。トウマは浮かせた腰を下ろすことなく、テーブルから離れて距離を取った。
苛立ったような表情もまた様になる。年を重ねた今でもそうなのだから、昔はさぞ目を見張るような青年だったことは容易に想像できた。
「事情は分かった。……それはまぁ、断るわな」
セイジはちらりと横目でルーフェを見て頷いた。
対してルーフェは訝しげな視線を返すのみで無言を貫いている。理解しているのかいないのかはっきりしない態度だったがセイジは深入りはしない。
「それならどっちかを連れてってくれ。行き違いになるのも困る」
「俺パス。クラキ行っとけよ」
「はぁ? お前なぁ……」
「野郎と二人とか何の罰ゲームだよ。よりにもよってこいつと」
「同じ言葉をお返しします」
「はっ、こんなとこで気が合っても嬉しくねーな」
「――もういいから黙れ二人とも」
再び言い争いを始めかねないトウマとハシバの間にセイジが割って入る。
「クラキ、悪いな。頼まれてくれるか」
「……分かりました」
最終的に貧乏くじを引かされたのはクラキだった。
こうして話はまとまり、ハシバとクラキの二人は荷を取りに一旦ナーシスへ南下。残るセイジ、トウマ、ルーフェ、レティスで先に湖の村ノポリへ向かうことになった。
荷物をまとめるために一旦解散、一時間後に食堂に集合と決まり、トウマとクラキは自室へ戻っていった。
ルーフェはハシバに話があると言われて腕を引かれる形で食堂を出ていき、その後をセイジが追っていった。
レティスはまとめる荷物もないため食事の後片付けをすると食堂に残った。雑然とした厨房に入り、洗い物をしながら無意識につぶやいていた。
「……同じ巫子だからって、仲良いわけじゃないんだな」
現役かそうでないかという違いはあれど、水の巫子であるという点は同じなのに一枚岩ではないらしい。
母から聞いた話と違う景色が見えてなんだか新鮮だった。
見えるものが増えると価値観が揺らぐ。けれどその感覚はけして不快ではなく、むしろ心地良くもあった。なんせレティスの世界は狭かったのだ。故郷の小さな家が全てだったのに、いつのまにか登場人物が増え、端の方が見えなくなってきている。
このままどこまで広がっていくのかと心が踊る。知らず知らずのうちにレティスの口元が緩み、母がよく歌っていた鼻歌を口ずさんでいた。