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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第二章 追う者追われる者
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10 『白』の子

 レティスの母だというイズミ・シラハにルーフェが抱いていた印象は『生真面目な人』だった。


 イズミは当時のマナの側近で、巫子の力はマナに匹敵するやもと言われていた。

 ノルテイスラでは魔法使いの名門の総称を五家と呼び、巫子を多く輩出していた家を裏三家と呼んでいた。五家は為政者として名を馳せていたが、巫子の力を悪用しようとする者たちから守るためか、裏三家は巫子や魔法使いの一部の者しか存在を知らない。


 シラハ、クロセ、アオヤギ。イズミはそのシラハ家出身の巫子だ。


 あまり多くの言葉を交わしたわけではない。

 清廉潔白で、責務に忠実。浮ついた話が一切聞こえてこなかった点は好感を持っていた。

 マナが側近に添えるだけの実力を兼ね備えた巫子――それがイズミに対するルーフェの評価だった。


(……だから余計に、あの時は驚いたのよね……)


 イズミが消えた際の一悶着については全て終わってからマナに結果だけを聞いた。経緯をすべて把握しているわけではないが、相当揉めたであろうことは容易に想像できる。

 なにせシラハは消えたのだ。文字通り、家ごと――親類縁者あますことなく精霊の贄となり、いなくなった。魔導師が不在の状況で精霊の怒りを買うとこういう結果に繋がるのだとまざまざと見せつけられてしまった。

 唯一の例外は、大神殿に匿われていた幼子だ。精霊の影響が及ばない大神殿に身を潜め、名を捨てさせることでその身を守ったのだと後から聞かされた。

 シラハ――『白』の子。泣いていた子は大きくなり、いつのまにか見上げるようになってしまった。


 無言のまま先を歩くハシバにルーフェは「ねえ」と声をかける。


「ハシバはさ、イズミのこと、どこまで知ってるの?」


 ぴたりとハシバの歩みが止まった。


 母屋と離れを繋ぐ渡り廊下をすぎ、ちょうど離れに入ったところだった。

 板張りの広めの待合室は古さから傷んではいるが意外と掃除が行き届いている。待合室の奥に男女それぞれの浴場へ繋がる扉があり、片方の扉の前には大きな箱がいくつも積まれていた。


「……なんですか、いきなり」


 何の脈絡もない問いに振り返ったハシバの表情はけわしい。


「いや、そういえば聞いたことなかったな、って……」

「……どこまでもなにも、僕が知っているのはある日こつ然と姿を消し、精霊を裏切った、ということだけです。それ以上のことはなにも。…………誰も教えてくれませんでしたから」

「……そう、なんだ」

「その口振りからすると、僕より知ってそうですけど。教えてくれるんですか?」

「そのつもり、……と言いたいところだけど、私も全部を知っているわけじゃないから。マナのところに戻ったら、色々聞かないとね」


 一緒に問い詰めましょとルーフェはわざとおどけてみせる。

 予想外の返答だったのか、眼鏡の奥の目がわずかに見開かれた。


「なにその顔。私だって知らないことはあるわよ? それに、ちゃんと話すって言ったじゃない」

「そう、ですけど。……いえ。そうですね。…………貴女は言葉を違えたことはない」


 最後の言葉はつぶやきに近い。距離の近さからなんとか耳に入ってきたくらいだ。

 かろうじてハシバからの信用は残っているように感じられてルーフェはふぅと息を吐く。

 レティスと和解し素性を聞いてしまった今、ハシバと仲違いをするのは得策ではない。なるべく早めに、穏便な形で告知をしなければとルーフェは奮起した。


 そんなルーフェの内心を知ってか知らずか、ハシバから「あの」とどこか座りの悪い声が降ってきた。


「少しでも魔力をお渡しできたらと思うんですが、……触れても、いいですか?」

「え、うん。いいけど」


 今更な問いかけにルーフェはさらりと答える。


「あ、もしかして気にしてるの? さっきの、トウマとのこと」

「……」


 沈黙を答えとするハシバを見上げる。


「もう、怒る理由も分かるけど、平静さを失ったらダメじゃない」

「っ、……分かるんですか?」


 どこか上ずったような声に、何をそんなに驚くことがあるのかとルーフェは首を傾げる。


「え、巫子として力不足だって言われたようなものじゃない。違うの?」

「…………違わない、です」

「ほら。ハシバが巫子として問題ないのは私が保証してあげる。あんなの気にしちゃダメよ?」

「……はい、ありがとうございます」


 ハシバの巫子としての力は他でもないルーフェ自身が認めている。

 ルーフェなりの励ましが伝わったのか、ハシバの表情が緩んだ。

 ハシバの腕が伸びてきたので手を差し出したが握られることなく、そっとルーフェの頬に当てられた。


 少し体温の高い、大きな手。先程トウマに触れられた時は驚いたと同時に不快感に鳥肌が立ったが、ハシバはそんなことはない。


「……あったかい」


 ルーフェの口元がふ、と緩む。

 流れこむ魔力は暖かく、どこまでも優しい。心地良さに目を閉じて浸っていると頬をなぞって指先が唇に触れた。


「……?」


 どうしたのかと目を開けてルーフェは息を呑んだ。

 ルーフェを見下ろすハシバの目――いつも冷静な光をたたえているグレーの瞳の奥に揺らぐ熱が見えた気がする。


 そう、それは魔力移しの時によく見る……――


「は、ハシバ……?」


 震える声で名を呼ぶとハッとしたようにハシバは動きを止めた。

 おもむろに頬から手が離れていく。離れた熱を名残り惜しく思っていたら今度は手を握られた。


「僕は巫子です。貴女のためだけにいます。……それを忘れないでください」

「う、うん……」


 有無を言わさぬ雰囲気に気圧されてしまう。

 わざわざ言われなくとも、ハシバが付き従っているのはルーフェのため以外の何物でもない。あえて口にする意図が読めずルーフェはぎこちなく笑みを返すことしかできなかった。

 そんなルーフェをまんざらでもない風に見て、ハシバは手を離した。


「お風呂、先にどうぞ。僕はあとでいいので」

「あ、うん」


 冗談でも一緒に入ると言わないハシバにルーフェはほっと胸を撫でおろした。

 決して出過ぎることのない、一歩引いた距離感にルーフェはいつも救われている。

 待合室の椅子に腰を下ろしたハシバを背に、ルーフェは浴場への扉を開けた。





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