9 救われたのは
レティスたちの部屋は三階にあった。
何の変哲もない宿の一室。ベッドが二つあり、洗面・トイレらしき場所へ繋がる扉がひとつ。備え付けのクローゼットを開けると寝間着らしき服がいくつかかかっている。ある物は勝手に使っていいとセイジに言われたままを告げる。物品を残したまま廃業したらしく、ありがたく使わせてもらっているそうだ。
壁にかけられた魔道具時計の短針はとうにてっぺんを過ぎている。こうして時間を目の当たりにすると疲れがどっと押し寄せてくるようだ。
(なんか……全然頭が追いついてないな)
朝に北の村ナーシスを案内してもらったのが何日も前のように感じる。状況の変化にレティスはいまだついていけていないが、やらないといけないことがあった。
「その、ルーフェ……」
腕の中で眠るシズをベッドの枕元に置き、ルーフェに向き直る。
「「ごめん」」
同じ言葉が重なった。
「えっ、なんで……」
驚くレティスにルーフェは申し訳なさそうに肩を落とした。
「色々黙ってて、本当にごめんなさい。危ないことにまで巻きこんじゃったし……」
「そんな、オレこそ話聞かずに勝手に飛び出しちゃったし。おまけに捕まるなんてへましたし……」
「それはレティスが悪いわけじゃないでしょ」
ルーフェは頭を横に振る。
「……遅かれ早かれ、ってとこはあったの。五家が私を良いように思ってないってのは知ってたから。まさかこんな強硬手段に出るとは思わなかったけど」
素性を明かさずに旅をしていたのはなるべく五家に悟られないようにという理由もあった。へたに要人として扱われる方が色々と面倒くさい。ただの観光客とその護衛のように見せかけるのが一番円滑に物事が運んだのだとルーフェは困ったように言った。
「それは……ルーフェが魔導師だから?」
レティスの言葉にルーフェの動きが止まった。
大きく見開かれたエメラルドグリーンの瞳が戸惑いに揺れている。
「えっと、あの、セイジって人から聞いたんだ。それに、ファーファネル、って……風の魔導師の名前だから」
「……そ、っか……そうよね……」
ルーフェ・ファーファネル。それがルーフェの正式な名前で、対外的にはファーファネルの名の方が有名だった。
「…………なんで教えてくれなかったんだろうって思ったけど、……ハシバさんも言ってたように、言われたところで、なんだよな」
巫子はともかく魔導師ですと言われてもハイそうですかと簡単には受け入れづらい。
普通に暮らしていればまず縁のない存在だ。レティスの父は魔導師の補佐をしていたが、子であるレティスは魔導師本人に会ったことは一度もない。レティスだけでなく他の村人もそうで、族長である祖父ですら一度か二度、遠くから姿を見たことがある程度らしい。
「でも、ハシバさんが巫子って分かって、その、色々考えてみたら……謎が解けたって言うか……」
過去のことを語るルーフェの言葉がやけに真に迫っていた点はずっと引っかかっていた。ルーフェとハシバのどこか歪な関係性についてもそうだし、そして何よりあの夜のことも。
魔力移しをしていたというのであれば、全て腑に落ちてしまった。
「魔導師はけして魔力を途切れさせてはいけない、尊い方だって。母さん、言ってたから……。ハシバさんと一緒にいるのって、魔力移しのためじゃないのかな、って」
「……うん」
頷くルーフェ。
うつむき加減のルーフェの表情は読めず、色素の薄いまつ毛がわずかに震えるのが見て取れるだけだ。
「でもさ、ルーフェはルーフェだろ? オレはルーフェに救われたから。誰も……親からも見放されたオレを助けに来てくれて、嬉しかった」
それは紛うことなき本心だった。
どんな事情があろうと、全てを諦めかけたレティスに命の火を灯してくれた。
拒絶するような形で消えた人のことなど見捨てても問題なかっただろうに、こうして追いかけてきてくれた。
それだけでもう充分だった。
「……オレさ、母さんを知る人を探しにノルテイスラに来たんだ」
「っえ……」
いきなりの話題転換にルーフェは驚いたように顔を上げた。
レティスはそんなルーフェに語りかける。
「信じてほしいから、信じることにしたんだ。話してないことも全部話すし、もうこの際、ルーフェとハシバさんが何者でもいいよ。……っていうか、まだそこまで実感がわいてないだけだけど……」
最後にぽつりと本音が出た。
情けない声色になってしまった点と合わせて目をつぶってほしい。どうにもしまらないが取り繕ったところで今更だ。
しゅんとうなだれるレティスを見て、ルーフェの表情が和らいだ。
「レティスのそういうとこ、とってもいいと思う」
「はは。単純だろ」
「ううん、素直なのは美徳よ。ずっとそのままでいてほしい。あと……信じてくれて、ありがとう」
そう言うルーフェの表情はどこか晴れ晴れとしている。
「私もね、レティスのこと信じるわ。巻きこんじゃった責任を果たすためにも、もう隠し事はしない」
穏やかに告げてルーフェは右手をレティスに差し出した。
白く細いルーフェの手は頼りなく、重ねたレティスの褐色の手もまだまだ線が細い。目線もほとんど変わらず、わずかにレティスの方が高いかなというくらいだ。
「約束、ね」
ふふ、と笑うルーフェはどこか幼く、とてもじゃないが魔導師という雲の上の人には見えなかった。
「そうだ。さっきの……お母様を知る人、っていうのは? お母様を探しにノルテイスラに来たわけではないの?」
「あ、いや……母さんは、オレが十歳の時に死んだよ」
「……そう、なんだ」
聞いているルーフェの方が悲痛な顔をしていた。
レティスは手を振り、あえて明るい声を出した。
「や、ルーフェが気にする必要はないって。紛らわしい言い方しちゃってたのはオレだからさ。その、……母さんから聞いてたんだ。親戚の話、っていうのかな。母さんの親きょうだいについては全然話してくれなかったけど、小さな甥っ子がいるってのは何度も言ってて」
わたしと同じ、巫子としての才がある子だと母は言っていた。
「だから、神殿に?」
「うん。神殿で会った巫子に母さんのこと聞いて、それからその甥っ子のこと聞こうとしたら、……母さんの名前を出した時点で急に騒がれたんだ」
その時に言われた言葉をレティスは忘れたことはない。
『裏切り者』『口にするのもおぞましい』――ひどく取り乱され、何を言っても聞きいれてもらえず、気づけばレティスは神殿の外に放り出されていた。
それからはルーフェの知る通りだ。
「……ねぇ、レティス。お母様の名前、聞いてもいい?」
そう問いかけるルーフェの声は震えていた。
こうなったら伏せておく必要はない。頷き、レティスは久しぶりに母の名を口にする。
「――イズミ。イズミ・シラハ。それが母さんの名前だよ」
「…………っ」
ルーフェは息を呑み、丸い目がさらに丸く見開かれた。信じられないといったようにレティスを見つめている。
「イズミ……? あの……?」
「! 知ってるのか?」
食い気味にレティスがルーフェの肩を掴む。
急に体重をかけられてルーフェはバランスを崩し、ベッドに腰かける形になった。
「や、知ってるっていうか……」
ともかく落ち着いてとレティスをなだめるルーフェ。
無意識に手に力が入っていたらしく、肩を握る痛みに顔をしかめるルーフェを見てようやくレティスは手を離した。
「あ、ご、ごめ……」
――コンコンコン。
謝罪の言葉と扉を叩く音が重なった。
「あ、はーい。どうぞ」
「――失礼します」
ルーフェの応答で部屋に入ってきたのはハシバだった。
「お風呂、入れそうなので案内しま……」
「おっと、取りこみ中だったか?」
声の方へ視線を向けると言葉が尻すぼみになったハシバと、その後ろに物珍しいものでも見たような顔をしたセイジがいた。
す、と眼鏡の奥の瞳が細められた気がしてレティスははたと我に返る。
肩から手を離してはいるものの、ルーフェとの距離が近い。傍から見ればベッドに座るルーフェに迫る状況と言っても差し支えないだろう。
「っ、違っ……」
レティスは反射的に両手を上げて後ずさった。
「別に、問題ないわ」
さらりと言ってルーフェは立ち上がる。
手を上げてフリーズしたままのレティスに一歩近づくルーフェの瞳はどこか遠くを見据えているようで感情が図れなかった。
「……今の話、他の人にはしないで」
そっとルーフェはレティスに耳打ちする。
「えっ……」
「お願い、ね」
にこりと笑ってルーフェは離れていった。あらかじめ用意しておいた寝間着を抱え、入り口へ向かう。
「なに、あなたも来るの?」
セイジに対峙するルーフェの声色は冷ややかだ。わかりやすい態度の違いにセイジは苦笑を浮かべた。
「いや? 俺がいると邪魔だろうからミツルに色々案内して、ここまで連れてきただけだよ。ってことであと頼むわ」
じゃあなとハシバの肩をぽんと叩いてセイジは去っていった。
「じゃハシバ、案内よろしく」
「……分かりました」
「レティス、またあとでね」
ルーフェはひらひらと手を振り、ハシバは物言いたげな目線を残して部屋を出ていった。
一人残されたレティスは手を上にしたまま、ゆるゆると腰を下ろしてベッドに座った。そのまま後ろに倒れこむ。
「……はぁ〜」
長いため息が自然と口から出た。
枕元で眠るシズのふわふわの体毛を撫でながら、レティスはルーフェの言葉を反芻する。
ルーフェが母――イズミのことを知っているらしいのは意外だったが、何かしら話が聞けそうなのは良かった。風と水、系譜が異なる水の巫子姫と顔馴染みだということと何か関係があるのだろうか。
(……考えたとこで、なんだけどな)
いくらレティスが可能性をあげたところで答えはルーフェ本人から聞くしかない。
ルーフェが戻ってきたら話の続きをしよう。それまで、少しの間だけとレティスは瞳を閉じる。
半日以上歩きまわって疲れた身体に襲いくる睡魔に抗う術はなく、いつの間にかレティスは夢の中へ落ちていった。




