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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第二章 追う者追われる者

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7 特別なひと

 まさか本当にルーフェが探しに来てくれるとは思わなかった。


 ルーフェの声を聞くまで、レティスは本心からそう思っていた。

 なにしろ拒絶するような形で去ってしまったのだ。期待してはいけない、仲直りをしたいのは自分だけで、ルーフェとハシバに呆れられてしまったかもしれない。

 セイジから二人の素性を聞いてその思いはより一層強まってしまった。


 風の魔導師に、水の巫子姫の側近。


 住む世界が違う二人が、一般人の自分を気にかける必要性が分からない。――そう、思っていた。



***



「ご理解いただき有り難いよ。――トウマ、レティスを解放してやれ」


 セイジの声に頬に当てられていた硬質な感触が離れていった。


「はいはい。ほら、行けよ」


 斜め後ろから掴まれていた肩を押される。


「わ、……っと、と」


 レティスは身体が自由になるも目隠しはされたまま。

 急に肩を押されて何歩か足を踏み出すもテーブルらしきなにか固い物の角に身体をぶつけ、足がもつれる。


「――レティス!」


 ルーフェの声が至近距離で聞こえたかと思うと何かにぶつかった。柔らかな何かはレティスを支えきれずその場に倒れこむ。


「っ、……い、たた……」


 自由になった手で目隠しをとると目の前にルーフェがいた。押し倒すような形になってしまっていたので急いで身を起こして後ずさろうとすると手を掴まれる。

 目隠しをとったレティスを上から下まで検分するように見た後、ルーフェはほうとため息をついた。


「無事で良かった……」


 祈るようにルーフェはつぶやく。握る手が細かに震えていることから、本当に心配してくれていたようだ。

 視線が合うとレティスを安心させるかのようにルーフェは微笑む。先程までと人が変わったかのような態度に、レティスの背後でセイジ達が息を呑む気配がした。


「とりあえず、立ちましょうか」


 間に割って入ったのはハシバだ。差し伸べられた手をルーフェはためらいなく取って立ち上がる。後を追う形でレティスも立ち上がると、ハシバの懐からシズが飛び出して胸に飛びこんできた。


「シズ! 良かった、合流できたんだな」


 そっと頭を撫でるとシズは嬉しそうに目を細める。


「シズが戻ってきてくれたからここがわかったの。先に逃がしてくれて助かったわ」

「そうなんだ。でも、逃がしたのはオレじゃなくて……」

「貴殿に関係のある魔獣なんて危険でしかない。逃がしたのは俺だよ」


 セイジの声にルーフェの顔から表情が抜け落ちた。


「……そう」

「ふむ。レティスを解放したのだから少しくらい心を開いてくれてもいいのではないか?」


 苦笑するセイジを一瞥し、ルーフェは頭を振った。


「無茶なこと言わないでよ」

「ははっ、まぁそうだな。それより話なんだが、今日はもう遅い。それに話すにしてもここだとちょっとな。俺がミカサだと知らないやつもいるんだ」


 セイジは階上を目配せする。


「……ミカサ?」


 いきなり出た名前にレティスは首を傾げた。


「そうか、正式に名乗っていなかったな。セイジ・ミカサ。俺の名前だよ」

「ノルテイスラを治める五家のひとつ、ミカサ家のご子息です。セイジさんはその次期家長候補とも言われる方です」

「ミツル、最後のはちょっと違うな。今の俺はただの雑用係だよ」


 補足説明を挟んだハシバにからからとセイジは笑ってみせた。


 ノルテイスラは他の地方と異なり領制度をとっておらず、町や村それぞれが独立して運営を行っている。とはいえ大規模な町はともかく、小さな町や村は己の力のみでは運営が成り立たない。そこに陰に日向に様々な形で手を貸すのが五家だった。

 ミカサは治安警備を、フタバであれば学校を。イチヤは政治を司り、ゴジョウにいたっては行商関連を手広くやっているため五家の影響力は大きい。


(五家の、一人……)


 また住む世界の違う人が現れたとレティスは目をしばたく。トウマやクラキに対する言動から何かしら偉い立場の人なのだろうとは思っていたが想定以上だった。

 思い返せば確かに昼間に会った魔法使いやその他の面々は皆一様に「セイジさん」と呼んでいた。ルーフェやハシバのことを話す際も、トウマとクラキ以外は席を外すよう促していたので元巫子の二人以外に素性を明かしていないのかもしれない。


「で、だ。北の神殿の街(ピオーニ)に俺の家がある。そこまで場所を移したいんだが、構わないかな?」

「……移動中に私たちが逃げると思わないの?」

「思わないね。それに万が一、逃げたら逃げたでもいい。こちらとしてはできる限り配慮した上で貴殿は約束を違えた――その事実があればいかようにもできる。もう二度とノルテイスラで好き勝手できないようにさせてもらうだけさ」


 いくらでも波風なんて立てられるからな、とセイジは物騒なことを口にする。

 このノルテイスラでは五家の力は絶対だ。その五家を敵に回すというのはそういうことだと暗に告げているようなものだった。


「なるほどね。……わかった、ついて行くわ」

「色良い返事感謝するよ」


 隻眼を細めてセイジは相好を崩した。笑うと目の横に長いしわが刻まれることからよく笑う人物なのだろう。


「それじゃ今日はこのへんにするか。……そういやお前たち飯は食ったか?」

「夜は食べてません」

「そうか。ミツルは食うだろ。簡単で良ければあるぞ。ファーファネル卿はどうする?」

「……私は結構よ。というかその呼び方やめてくれない?」


 控えめながら、でもはっきりとルーフェはセイジに異を唱える。


「ファーファネルとして扱ってくれなくてもいいから。あなたも五家であることを伏せているんでしょう?」

「おや、それはすまないな。ではルーフェ殿、仰せのままに」


 やや大げさに礼をとられルーフェは鼻白むも飄々としたセイジを相手するだけ無駄と思ったのかはぁとため息をついた。


「まぁそれでいいわ。レティスはご飯食べたの?」

「オレはもう食べたよ」

「じゃミツルの分だけだな。クラキ、頼めるか」


 二つ返事で頷いてクラキは厨房に向かった。

 トウマはというとあくびを噛みころしながらセイジに声をかける。


「セイジさん、俺は先に休むわ。移動して疲れたし」

「おう、お疲れさん」


 食堂の出入り口へと向かう去り際、トウマは何かを思いついたかのようにルーフェの前で立ち止まった。頭から足元までを無遠慮に眺めたかと思うと「……いけるな」とつぶやく。


「昔は乳臭いガキだと思ってたけど、よく見りゃそこそこ良い女じゃねーか」

「……それはどうも」


 全然嬉しくなさそうにルーフェはトウマを見上げた。

 そんなルーフェにトウマは手を伸ばす。おもむろに頬に触れたかと思うとぼんやりと青い光が灯った。


 魔力移し――巫子の力だ。


 驚いたように目を丸くしたルーフェに、トウマはにやりと口角を上げた。


「ミツルで物足りなかったらいつでも相手してやるよ、ルーフェちゃん」


 トウマの指先がルーフェの頬をなぞる。唇に触れようかというところでぴたりと動きが止まった。


「……いてーな。離せよ、ミツル」

「離すのは貴方の方です」


 ハシバの声は常より低く、怒りを含んでいるかのようだ。

 トウマの腕を掴んだハシバは半身をねじこむ形でルーフェの前に立つ。


「おいそれと触れていい方じゃない。遠慮願えますか」

「はっ、そんなのお前が決めることじゃねーだろ。つーか、相手が大変なら代わってやるって言ってんだよ」


 トウマの端正な顔立ちから結びつかない下卑た言葉が紡ぎ出されるものだから場の空気が完全に凍ってしまった。


「……余計なお世話です」


 眼鏡の奥の瞳から表情は読み取れないが、どこまでも冷淡な声色に背筋がぞくりと粟立つ。

 同時に魔法とも言えない、純粋な魔力の流れをレティスは感じた。

 それはハシバを中心に広がっている。ハシバから漏れる魔力により水精霊が刺激され、体感できる程に室内が冷えこんでいく。はぁと吐く息が白い。


「よせ、トウマ」

「ハシバも、安い挑発に乗らないで」


 異変に気づいたセイジとルーフェが制止の声をかける。

 握る力が弱まったことに気づいたトウマは掴まれた腕を振り払い、数歩後ろに下がった。


「ったく、馬鹿力め」

「トウマ、お前はもう下がれ。あまり好きに動かれては困る」

「仕事をこなしてたらあとは好きにしていいんじゃないんすか?」

「物には限度がある。それが分からないお前じゃないだろう?」


 セイジの警告にトウマは肩をすくめることで返事とした。


「はいはい。悪かったよ」


 じゃあな、と今度こそトウマは食堂を去っていった。



誰が誰にとって『特別』なのか。

波風を立ててくれる存在がいると話が進みます。

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