5 覗き見
分かれ道を左手の方へ進み、日付が変わる前には廃業した宿の手前までたどり着く。廃業しているはずなのに明かりが漏れていることからビンゴだったようだ。
建物に明かりはついているものの周囲は真っ暗で視界は悪い。暗闇の中、どこに誰が潜んでいるのか分からないのである程度距離を取り観察する。元はそれなりの規模だったようで、三階建ての母屋と離れらしき建屋があった。建物の周囲はしばらく手入れがされていないのか木が伸び放題という有り様だ。
建物内のどこにいるのか分からないのに加え、相手が何人いるのか検討が付かなかったので、まずは探ることにした。
「探索なら私に任せて。ハシバはシズ連れてちょっと離れててね」
荷物から杖を取り出し、口内で諳んじるとルーフェを中心に光と風が溢れる。
風魔法で宿全体を包み込み、瞳を閉じると、ルーフェの脳内に俯瞰で建物内を見下ろす映像が広がっていった。
「母屋の方だけ結界がはられてる。中には一、二、三……全部で九人かな。火の魔力があるからあれがレティスだと思う。……というか、一人やばいのがいる」
「やばいの、とは?」
「魔法使いが二人いて、そのうち一人の魔力量が規格外なの。昼間会った魔法使いじゃない。多分、結界をはったのはこっちの魔法使いだと思う」
ぎゅっと杖を握る手に力が入る。
ここまでの人にはなかなかお目にかかれないと言っていいレベルの魔力量だった。
一体どんな人物なのかと魔法の焦点を絞り意識を集中すると、ぼんやりと青い光の塊だったものが揺らぎ、人の形をかたどっていく。
徐々に解像度が上がっていき、鮮明になった刹那――それがこちらを見た。虚空を見上げる口の端がゆっくりと上がっていく。
「――……っ!」
ぽとりとルーフェは杖を取り落とす。意識が現実に引き戻されると同時に光は消え、風が止んだ。
(……やば)
腕が痺れる。急に遮断した上に杖を手放してしまったため、戻る瞬間に魔力をごっそり持っていかれてしまった。
せめて杖を手放さなければと後悔するが後の祭りだ。
酸欠になったような感覚に陥り、落ち着くために深呼吸をする。――大丈夫。まだ。
「どうかしましたか?」
落とされた杖を拾い、ハシバが問いかける。ルーフェの手から離れたそれは杖というよりもただの棒だ。先端に付けられた翠の魔石にわずかに残った光が魔法の残滓を伝えている。
魔法使いが杖を手放すのはよっぽどのこと。
様子がおかしいのはおそらくハシバにも伝わっているが、大丈夫、と杖を受け取る。何か言いたげなハシバを笑顔で制し、ルーフェは受け取った杖で雪の上に何やら見取り図みたいな物を描いた。
「ここ、レティスは三階にいる。見張りっぽいのが一人いて、残りは二階。ばらばらの部屋にいるからもう休んでるのかも。やばいやつは一階、入ってすぐ右手の部屋に二人でいる」
さらさらと図に人の位置を書き足していくルーフェにハシバは感心する。
「そんなことまで分かるんですね」
「まぁね。で、そのやばい奴なんだけど、右目に眼帯をしてた」
「え?」
「魔法使いの人。どんな人か顔を見たくて」
「……えぇ?」
ルーフェの言葉にハシバは眉根を寄せる。
そこまで見えるはずがないと疑われているのだろうか。けれど信じられないのも無理はないとルーフェは苦笑を返すしかない。
「まぁ、会えば分かるわよ」
「いえ、疑っているわけではなくて。……その人、額に傷がありませんでした?」
「額に傷? ……そこまでは見てない。けど、なに、知り合いなの?」
「……予想が当たっていれば、おそらくは」
ルーフェの問いに答えるハシバの言葉の歯切れは悪かった。
口元に手をやり、ハシバは何か考えこむ素振りを見せる。
「……五家についてはご存知ですよね?」
「ゴケ? ……あぁ、五家ね。知ってるわ。ノルテイスラを治める家の総称、だっけ」
「そうです。イチヤ、フタバ、ミカサ、シノミヤ、ゴジョウ。この五家が実質ノルテイスラを治めています」
ハシバは顔の前に握った手を出し、一本ずつ指を立てて五家の名を口にする。
魔力の強さは半分遺伝で決まると言ってもいい。魔法使いとして優秀な者からはまた優秀な魔法使いが生まれ、そうして名門と呼ばれる家ができた。五家からはほぼ歴代の魔導師が輩出されており、先代の水の魔導師のサヤはゴジョウ家の出だという。
力がある者の元に優秀な者が集うのは必然で、いつのまにか魔法使いという領分を越えてノルテイスラを統治するようになっていた。
現在のノルテイスラの首長ももちろん五家出身。魔法使いとして名を馳せる人も多く、ノルテイスラの民であれば五家の名を知らない人はいなかった。
「目をつけられると面倒くさい人達でしょ。騒ぎを起こすなってマナから口酸っぱく言われたからさすがに覚えてるわ」
「その、面倒くさいうちの一人です。ですが……まだ、マシと言いますか。話が通じる人ではあります」
「話が通じる人がなんでこんなことするのよ」
「……そこなんですよね」
釈然としないといった風にハシバはうなる。
「もちろん別人の線もあります。というか、その人であるなら貴女も面識があると思いますが」
「えっ、誰?」
「セイジ・ミカサ。ミカサ家の次男です。……前々回の首長会議で、首長の護衛としてバジェステへ行っています」
「……首長会議……ねぇ」
いきなり昔の話を出されてルーフェはううんと首をひねった。
年に一度、各地方持ち回りで行われる首長会議。三日月の東主催の時には魔導師であるルーフェも参加している。
前回は三年前だったので記憶も新しいが、前々回ともなれば七年も前だ。
「……いたかなぁ。覚えてないわ」
隻眼という分かりやすい特徴があるので、会っていれば覚えていそうではある。
「となると別人説が濃厚でしょうか」
「まぁ会えば分かるでしょ。で、あとは結界ね。これはシズがいれば特にどうってことはないわ。あとハシバも」
巫子は魔力を吸収できるが故に魔法で作った結界はあってないようなものだ。吸収するにもキャパシティがあるが、出入りする分だけなら問題ないだろうとハシバは頷く。
「僕が足止めしてる間に三階に行ければいいんですが」
やばそうな魔法使いの相手をすると言外に告げ、ハシバはあたりを見回す。
「結界ってどんな風に貼られているんですか?」
「ええと、宿の形ぴったりって感じ」
「そうですか」
ルーフェが書いた見取り図と実際の建物を見比べる。
漏れる部屋の明かりから、おそらくあそこがレティスがいるであろう部屋だろうと算段を付けた。ふと、そこの窓の近くにも木の枝が伸びていることに気付き、ハシバはルーフェに向き直る。
「少し無理をしてもらうかもしれませんがいいですか」
「少しどころか結構でも大丈夫よ」
「それは頼もしいですね。ですが、目的としては、彼を連れ戻すこと。なるべく穏便にできればベストです」
「そうね」
規格外の魔法使いがいる以上、まともにやり合うのが得策ではないのはルーフェも同意見。後先考えずにやり合った後に魔力切れで動けなくなるケースだけは避けたいところだった。
極力小声でやり取りする二人の耳に、ギィ、とどこかの扉が開く音が響いた。
「――こちらへ」
とっさにハシバに腕を引かれ、木の陰に身をひそめる。
さく、さく、と雪を踏みしめる足音が聞こえる。足音の様子からおそらく相手は一人だろう。
「……ハシバ、どうする?」
「…………」
木の陰から宿の方の様子をうかがっていたハシバに声をかけるも返事がない。
「……ハシバ?」
どうしたの、と次ぐ言葉はハシバの苦虫を噛み潰したような声にかき消されてしまった。
「どうして、セイジさん……」
それはさっき聞いた名だ。
ハシバの視線の先を追うと宿の明かりを背に立つ一人の男が見える。夜の闇に馴染む黒髪に、右目につけた眼帯――それはさっき、魔法で覗いた先で目が合った人物に他ならない。
隻眼の男は周囲をゆっくり見渡し、やがて視点が固定された。
「――……いるんだろ? ミツル、ファーファネル卿」
まっすぐ、よく通る声が空気を震わせる。
「そんなこそこそしなくとも、正面から堂々と入ってくればいい。歓迎するぞ?」