4 分かれ道
結論から言うと一軒目は外れだった。
一軒家にも思える小さな宿で、本日泊まっている客はいないという。
夜も更けてからの訪問に加え更に先を行くと言うと驚かれ、引き止められたが固辞して先を急ぐ。
ルーフェは肩を落とすが落ちこんでもいられない。気を取り直し、離れたところにある二軒目に向かおうとしたところで問題が起きた。
「だから、別々のとこにあるなら二手に分かれるしかないじゃない」
「この雪で視界の悪い中、単独行動は危険です」
離れたところにあるという三軒の宿は、地図を見ると分かれ道の先にある。左手に廃業した宿が一軒、右手にそうでない宿が二軒という組み合わせで分かれていた。
時間もないので二手に分かれたいルーフェにハシバが食い下がる。
「物陰から魔獣が出ることだってあります。僕はともかく、貴女一人は危なすぎます」
「あら、みくびられたものね。魔法で探り探り行けば大丈夫よ」
「魔力の消費が激しいとさっき仰っていましたよね。それに魔法が使えようと、発動前に襲われたらひとたまりもない」
だから絶対反対です、とハシバの意思は揺らがない。
ここまで強い反対を受けるとはルーフェは思わなかった。今までどんな無茶振りをしようと、渋々でも付き合ってくれていたというのに。
意見が合うことはなく、分かれ道の前で押し問答を繰り広げる。
「でもそれじゃ、どうするっていうの。どちらかを選んで、外れだったら? 体力的にも時間的にも今夜はどっちかにしか行けないでしょ」
「それは…………いや、それでも、だめです」
「もう、なんで分かってくれないの?」
レティスを失うことは誰のためにもならない。ルーフェ自身はもちろん、ハシバやノルテイスラの民全てにとって不利益になることだというのに。
「分かっていないのは貴女の方です」
返すハシバの口調は厳しい。
ルーフェも危険なのは重々分かっているつもりだ。
魔獣の心配だけでなく、もし当たりでレティスがいた場合、他にも人がいるということだ。昼間に会った程度の相手であれば、魔法を使えば一人で相手をすることに不安はない。問題はもっと複数いたり、手強い相手がいた場合だ。魔法を使い過ぎると魔力切れで動けなくなる可能性があった。
(魔力が満タンあれば話は変わるんだけど……)
後悔先に立たずとはこのことだとルーフェは唇を噛んだ。
ノルテイスラに来てからというもの、満タン状態だったのは最初だけ。あとは徐々に減り続けているのが現実だった。たまに補給して回復するも、せいぜい三割程度という有り様。
今もおそらくそれくらいしかない。雪が降るということは水精霊の力が強いということ。風精霊の力は弱く、派手な魔法は使えないのが本音だった。
昼間のハシバの『痩せ我慢をするから』という言葉が刺のようにルーフェの胸に刺さっている。
(……でも、譲るわけにはいかない)
足跡でも残っていれば良かったのだが、あいにく降り積もった雪に綺麗に消されてしまっていた。
雪の降る音まで聞こえてきそうな静寂の中、先に動いたのはハシバだった。
分かれ道の左の方へ向き直り、ルーフェを背にするように前へ出る。一体何がとハシバの脇から分かれ道の先へ目を凝らすと、なにやらぼんやりと光が近づいてくる。
ゆらゆらと宙に浮かび、揺れる、ほのかに青い光。
警戒したのもつかの間、光の中に見知った生き物の姿を認めてルーフェは駆け出す。
「――シズ!」
名を呼ぶと同時に光は弾け、中からシズがぴょんと飛び出してきた。
手を伸ばしたルーフェの腕を足がかりに跳躍し、ハシバの肩の上に落ち着く。こんな時でも素っ気ないとルーフェは苦笑するも、無事であることにほっと胸を撫でおろした。
「怪我は……なさそうですね」
ハシバは肩の上のシズをそっと掴み、色々な角度から確認する。ふわふわの白い毛並みはところどころ汚れてはいたが、健康状態に問題はなさそうだ。
「シズがこちらから来たということは、こっちですね」
ハシバの声には安堵の色が滲み出ていた。
「そういうことね。……ほんと良かった」
二択を外すという最悪の事態にならなくて良かった。
行く道が決まれば話は早い。
シズは肩の上に戻されると普段の定位置であるハシバの上着の中にもぞもぞと入りこんでいった。
「……あ、ちょっと待って」
歩み始めたハシバの上着の裾を掴み、ルーフェは制止の声をかける。
「なんですか」
訝しげにハシバは振り返った。
早く行くんじゃないのかという無言の圧力を感じる。
「えっと、その……魔力、どれだけ余裕ある?」
根こそぎなくなったのが昼頃、魔石で多少回復して、どれだけ戻ったのか。分けられる程回復しているのであれば、あわよくばとルーフェは考える。
レティスやその他の前で、魔力切れで倒れるのだけは避けたかった。
「……そう言われることもあるかと思って、魔石も持ってきています」
ルーフェの思いを知ってか知らずか、ハシバはため息をつきながら背中の荷物を下ろす。取り出した布袋の中には不揃いな形をした青い魔石がいくつも入っていた。
「ひとまずはこれくらいでしょうか」
ハシバは手袋を取り、数個魔石を袋から取り出した。
握りしめると青い光が――出てこない。何故、とハシバが呟いたところでルーフェはその理由に思い当たった。
「あ、そうだシズ。くっついたままじゃないの?」
ルーフェの言葉にハシバははっと目を見開いた。
上着の中からシズを取り出し、ルーフェに手渡す。シズは状況が読めているのか、今度は嫌がる素振りはなく大人しく抱かせてくれた。
「本当に、魔法を無力化するんですね」
「だからそう言ったじゃない」
「……今まで気づけなかった僕も僕、か」
自嘲気味にそう言って、ハシバは改めて魔石を握りしめる。青い光が指の隙間から漏れ、消える。手を解くと魔石は色を失っており、風にさらりと霧散した。
「じゃ、お願い」
シズを抱いたまま、ルーフェは手袋を取った。
「シズがいてはだめなのでは?」
ハシバの疑問は最もだったが、ルーフェは問題ないと答える。
今までも魔力移しに関してはシズがいても問題はなかった。シズが無効化するのは魔法であって、純粋な魔力そのものの受け渡しを遮断する力はないらしい。
魔石から魔力を吸収するのも魔力の受け渡しになりそうなものだが、それは巫子にだけ使える魔法によってもたらされるものなのでシズの無効化の対象になる。
当初は線引きが難しかったが、ハシバと旅をするようになってはっきりした。
魔力移しは精霊を使役する魔法とは異なる、また別の力で行われている。それがルーフェの結論だった。
「大丈夫だから」
そう言って、ルーフェはハシバへ向けて手を差し出した。
巫子から魔法使いへの魔力移しの基本は身体接触だ。お手軽なのは手を握ること。例えわずかな量だとしてもないよりはマシだろう。
ハシバも手袋を取ってるしちょうどいいと差し出した手はなかなか握られることはなかった。
「ハシバ? どうかした――……」
名を呼び見上げた瞬間、ぐい、と手を取られ引き寄せられた。
そのまま唇を塞がれる。
(えっ、なに――……)
繋がったところから魔力を感じる。手で受け取るよりももっと濃い、暖かな魔力の流れ。
ただ、触れるだけ。口内に割り入ってくるもあくまで優しく、渡された魔力はひたすらに甘かった。
ルーフェはいきなりのことに目を閉じることもできない。至近距離で見るハシバは平静としているようで、どこか怒っているようにも感じられる。
「……んで」
どれくらいそのままだっただろうか。解放されたルーフェは即座に後ずさった。
離れ際に漏れた吐息は熱く、ひときわ大きな白息となって眼鏡を曇らせてしまった。
「なんでと言われましても、こっちの方が効率が良い。知っていますよね」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「これから先、貴女の魔法に頼らざるをえないこともあります。彼を助けて、倒れたくはないんでしょう?」
「それは……そうだけど」
「ですのでそういうことです」
先を急ぎましょうとハシバは分かれ道を進んでいく。
なんだか釈然としない。
けれど立ち止まってもいられないので、ルーフェはハシバの後を追った。