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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第七章 レゾンデートルのありか

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17 決別

 離れに入ってほどなくして、レティスとマナはキリュウに支えられたミオと合流した。

 ミオの顔色は優れない。キリュウに腕を借りてようやく歩けているといった体だ。


「ミツル殿は特別懲罰室です。場所は……」

「分かります。ミオさんは大丈夫?」

「ミオ様は気分が優れないだけです。ここはこの通り、綺麗とは言い難いので」


 キリュウの言葉にレティスは納得した。

 薄暗い上に、並んだ牢の隙間からぎょろりとこちらを睨めつけるような視線がいくつも向けられてくる。時折奇声も聞こえてくるというこの状況は確かに精神衛生上よろしくはないだろう。


「わたくし達は先を急ぎますので」

「キリュウさんはミオさんについてあげてください」


 マナに促されて先を急ぎ、辿り着いた離れの奥。

 物々しい鉄扉の奥に広がる特別懲罰室は、異様な雰囲気に包まれていた。

 看守と思しき見知らぬ男が数人、呆然と立ちすくんでいる。先に行っていたはずのセイジはといえば、誰かを取り押さえるように床にうずくまっていた。


 ――問題はそのセイジの視線の先。


 半円を形作るように黒いもやが立ち昇り、足元には血の海が広がっている。

 これは一体どういう状況なのか。

 面食らうレティスに、セイジが声をかける。


「この巫子がミツルを刺した。二人はその中だ」

「え? あ、シオンさん!?」


 セイジに取り押さえられていたのはシオンだった。

 きらりと光る何かに目をやれば、刃先が血で濡れたナイフが床に転がっている。


「――ルーフェ! 聞こえますか!」


 マナがもやに向かって叫ぶ。

 ただちに返事はきた。


「マナ! レティスもいる!?」

「もちろんです」

「レティス! 水精霊を静めて!」

「え、え?」


 静めてと言われても、だ。

 魔導師になってからというもの、精霊の存在をより身近に感じられるようになった。一挙一動とまではいかないが、どれくらい集まっていて、どんな機嫌かは意識すれば感じ取れる。


 今、この時。この部屋に集まった水精霊は狂ったように喜んでいた。


「お願いだから、早く!」

「う、うん。やってみる!」


 訳が分からないが、ルーフェの言葉に従うべく意識を集中させる。


「――……散れ」


 願いはシンプルな方が分かりやすいかと手短に。

 効果は覿面。蜘蛛の子を散らすように水精霊が去っていくと同時に、黒いもやが晴れて――レティスは目を疑ってしまった。

 そこには血溜まりに横たわるハシバと、寄り添うルーフェがいた。


「マナ、ハシバを……!」

「分かっています」


 足や服が血で汚れるのも厭わず、マナはハシバの傍らにしゃがみこんだ。

 マナの手に青い光が宿る。そっとその手を傷口にかざせば、光が絶え間なく傷口へ吸い込まれていった。


「……やはり、そうなのですね……」


 ぽつりとつぶやくマナ。

 なにがそう(・・)なのかは分からないが、魔力を注ぎ込み、傷の治療をしていることは分かる。

 魔力持ちの人にとって、魔力は生命力とも同義だ。魔力切れとなると動けなくなるように、魔力を補充されれば元気になり、傷も癒えていく。

 筆頭巫子であるマナの手にかかれば、多少の怪我など些細なこと。みるみるうちに傷口は塞がっていった。


 マナがふうと息を吐いたことから治療は終わったようだが、ハシバが目を覚ます様子はない。

 その顔色は青を通り越して白いほどだった。


「傷は塞ぎましたが、失われた血についてはどうしようもありません。あとはミツル本人の体力次第、でしょうか」

「そんな……」

「すぐ休む場所を用意しよう」


 そう口を挟んできたのはセイジだ。

 見ればシオンはすでに拘束済みで、看守に両脇を固められている。

 状況を把握したマナはセイジの誘いを固辞した。


「巫子の不始末はこちらで片を付けます。それに……あの子の相手はあなた方では手に余るでしょう」


 視線の先にはルーフェがいる。

 ハシバから離れる素振りがないのを見てとり、セイジは意を汲んだ。


「……承知した。では、この者はどうしますかな。連れて帰ると問題になるのでは?」


 この者とは他でもない、シオンのことだ。


「そうですね……少しの間、預かっていただけますか」

「姫様、私は……!」

「シオン。自らが何をしたのかを振り返り、頭を冷やしなさい」


 ハシバの血にまみれながらもマナの清らかさは損なわれることはない。曇りのない眼差しで告げられた言葉に、シオンはぎゅっと唇を噛み締める。

 その黒曜石のような瞳に映るのはハシバではなくルーフェだ。

 羨望、いや、嫉妬……だろうか。視線で人を刺せるのだとすれば、きっとルーフェは何度も刺されている。

 そう思わせるほどの激しい感情をあらわにしたシオンをその場に残し、レティス達はミカサ邸を後にした。



***



 血まみれの姿で帰ったものだから神殿内はてんやわんやで、ようやく落ち着いた頃にはすっかり夜も更けてしまっていた。

 巫子たちの手ですっかり身綺麗になったハシバだが、容体はさほど変わらず、ずっと眠り続けている。

 眠るハシバの傍らには、一時も離れずにルーフェがいた。

 心ここにあらずといった体で、当初は血で汚れた服を着替えようとしなかったほど。痺れを切らしたマナが強く声をかけてようやく身を清めてくれた。

 ルーフェは何を言うわけでもないが、複雑な表情を浮かべてハシバを見つめている。


 ――しばらくはそっとしておいた方がいい。


 そうレティスは思ったのだがマナの考えは異なるようで、マナに連れられてハシバの眠る部屋を訪れていた。


「それで、何があったのか聞かせていただけるかしら」

「……昼間のことなら、シオンちゃんが急に襲ってきて、ハシバが私を庇って、っていうのは話したでしょ」

「わたくしが聞きたいのはそこではありません」


 マナはおもむろにハシバに近寄り、掛け布を引き剥がす。

 驚くルーフェが口を開くよりも先にハシバの上衣の裾をめくった。

 そこにあったのは刺された傷口ではなく、拳大の花びらのような痣。色濃く浮かび上がるそれは巫子の証に他ならないが、問題はそれが()()()()()()()ということだ。


「やはりですね。ミツルはもう巫子ではない、と」

「……」

「えっ!?」


 驚きの声をあげたのはレティスだけ。


「巫子の痣は、力を使う時だけ発現するものです。けれど巫子でなくなった時は、巫子()()()証となってその身に刻まれる……ルーフェあなた、レティスに水精霊を静めるように言ったのは巫子の力の流出を止めるためではなくて?」

「……」

「そんなことをしても無駄ですよ。精霊はそう甘くありません。とはいえ奪われた魔力はさほど多くないようですので、ミツルは今後も魔法を使えるでしょう」


 通常、元巫子は魔力を持たない。巫子でなくなる時に精霊に魔力を奪われ、身体を作り変えられてしまうためだと言われている。

 昼間、あの場所で見た黒いもや。喜び狂う水精霊。それを静めるように言ったルーフェは、すべてを分かっていたのだろう。


「巫子じゃなくなったって、それって……」


 巫子が力を失う理由は決まっている。

 寿命か、もしくは精霊以外に愛する者ができたと口に出した時だ。


「ええ。おそらくミツルはルーフェに気持ちを伝えたのでしょう」


 きっぱりと言い切る様から、やはりマナはハシバの想いに気付いていたことがうかがえる。

 けして口に出来ない想いを抱えて、ハシバはずっと悩み、苦しんでいた。


 ――それらを承知の上で、ルーフェに同行させていたというのか。


 またひとつ、マナの苛烈さを目の当たりにしてレティスの背中を嫌な汗が伝う。

 対するルーフェは感情の読めない、貼り付けた笑みを浮かべていた。


「…………あれはうわ言でしょ。いまわの際に本心じゃないことをうっかり言ってしまった……そんなところじゃないの?」


 切って捨てるような発言はルーフェ自身に言い聞かせているようでもあった。

 信じられないのか、信じたくないのか。

 どちらにせよこのままではハシバが浮かばれないのは確かだ。


「ルーフェ、それはないよ。ミツルさんはずっとルーフェのことを大事にしてたじゃないか」

「だってそれは、巫子だから……」

「巫子だから何? 誰がどう見たってミツルさんはルーフェのことが好きだよ。ルーフェだってそうじゃないの?」

「……っ、……」


 言葉に詰まり、顔を伏せるルーフェ。

 膝の上で握られた手はわずかに震えているようにも見える。

 レティスには、いや、二人に少しでも関わった者であれば、信頼関係以上のものがあると見て取れる。

 これでもし『ただの巫子としか思っていない』とでも返ってきたら百年の恋も冷めるというもので、心底軽蔑してしまいそうだ。


 レティスはじっとルーフェの答えを待つ。

 窓から差し込む月明かりがかげり、再び室内を照らし出すまでゆうに待って、ルーフェの手がおもむろに動いた。


「……ハシバは大事よ。こんな小さい時から知ってるんだもの」


 眠るハシバの頬にそっと触れるルーフェの横顔が答えのようなものだった。

 ――ただし、その後に付け足された言葉はレティスの理解の範疇を超えていた。


「でもそんな、……好き? かどうかは分かんない」

「……はあ?」

「ハシバの本心だって分かったものじゃない。私はずっと、嫌われたと思ってたから」

「えぇ? いやそんなことはないよ」

「あるの。だっておかしいじゃない。昔はあんなに懐いてくれてたのに、今は全然、私といるのも渋々って感じで。シオンちゃんが言ってた通り、乗り気じゃなかったのよ。あくまで私のわがままに付き合ってくれてただけ」

「だからそれは、」

「――レティス、そこまでにしておきましょうか」


 マナが待ったをかける。


「ミツルの代弁をしたところで、です。本人でない者から何と言われたところで、納得できるものではないでしょう」

「でも、このままじゃミツルさんが気の毒すぎるよ」

「誤解させるような態度を取ったミツルにも責はあります」


 ぴしゃりと言い放つマナの言葉も然りであるが、そうせざるを得ない事情があったのも確かだ。

 与えられた巫子の役目と感情の狭間で揺れ動いた結果が、あの歪な態度に繋がっている。


「ですが、あの子は良くも悪くも感情が顔に出ます。まさか好意を微塵も感じられなかった……とは言いませんよね?」

「…………」


 ふいと顔をそむけ、唇を尖らせるルーフェ。

 思うところがないわけではないが、かといって素直に認めるのも癪に障る。そんなところだろうか。


「……話になりませんね。レティス、戻りましょう」


 肩をすくめたマナが踵を返す。

 あれこれ言ったところでルーフェが聞き入れてくれるとも思えないために、これ以上は無駄でしかない。そう華奢な背中が告げていた。


「……あのさ、ルーフェ。疑いたくなる気持ちは一旦置いておいて、ミツルさんのこと、色々考えてあげてほしい」


 すれ違い続けた二人にレティスができるのはそっと背中を押すことだけ。

 ルーフェからの返事はないまま、レティスはマナの後を追って部屋を後にした。




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