7 夢の中で
そびえ立つ大樹の根本に半ば埋もれているような家にカイルはレティスを招いてくれた。
レティスが住んでいたあばら屋と広さはさほど変わらないんじゃないかと思うような小さな家だ。賢者が住むにしては不釣り合いではという疑問には「一人だったらこれくらいで充分でしょ」となんてことない答えが返ってきた。
「あぁでも、二人ならもうちょっと広い方がいいかな?」
ぱちんとカイルが指を鳴らせば、地面が揺れる。
数度の瞬きの後には小さな家は倍以上の大きさへと姿を変えていた。
「ここがキミの部屋。こっちが洗面で〜、お風呂は近くに川があるから洗濯ついでに水浴びしてるけど、レティスはどうする?」
「どうするってのは?」
「湯に浸かりたいなら風呂も用意するよ? ここは夢の中、なんだって思い通りだしね」
室内を案内してくれるカイルはにこにこと上機嫌だ。
穏やかな日差しが降り注ぎ、暑くもなく寒くもない。頬を撫でる風は爽やかで、北諸島でも三日月の南でも感じたことのない空気感だった。
この気候であれば、水浴びも悪くない。
「ううん、オレも水浴びでいいよ」
「そっかそっか。じゃ早速行こう。日が暮れる前の方が気持ちいいよ」
カイルに促されるまま、大樹を背に北に進めば水がせせらぐ音が聞こえてくるとともに岩場が見えてきた。
岩場の向こうにあったのは底が見えるほどの透明度の高い川で、深いところでも足が着くほどだという。岩に囲まれる形で流れが穏やかな場所もあり、なるほど水浴びをするには絶好の場所だと思えた。
濡れた服くらいすぐに乾かしてあげるというお言葉に甘えて、服のまま入っていったカイルの後を追う。
(……やっぱどこからどう見ても、子ども、なんだよな……)
レティス自身もまだまだ線の細い子どもだが、カイルは更に年下に見える。
声変わりもしておらず、どこか中性的でさえある。と、そこまで考えてレティスはその可能性を排除していたことに気づいた。
「なぁ、カイルって、男……だよな?」
「え? そうだけど……なに、女の子がいい? あのバジェステの子になってあげようか?」
「いや、それはいらない」
全力で断るレティス。
そんな濡れ鼠の状態でルーフェの姿になられたら色々と困ってしまう。
「ふうん。遠慮しなくていいのに」
「遠慮じゃなくて。っていうか、そのバジェステの子ってのは? ルーフェって名前があるのに」
「知ってるよ。でもあの子はボクの名前を呼んでくれなかったから」
だから呼んであげない、とカイルは唇を尖らせる。
「ま、あの子は存在自体が例外中の例外だからね。多少のことは目をつぶってあげてるよ」
「例外……? あ、父親が魔導師だってこと? でも本当かどうかは分からないって」
あくまで先代の魔導師の自称に過ぎないとルーフェは言っていた。
「本当だよ。あの子の父親は先代の魔導師のレオで、母親はアリシア――今の風の筆頭巫子だね。それぞれが魔導師と筆頭巫子になる前にできた子だよ」
「…………は?」
「っと。これ、あの子本人には内緒だよ? 代償として貰った記憶を返すことになっちゃうし」
「いやいやいやいや」
色々と待って欲しい。
さらりとなんでもないことのように言うが、とんでもない情報ではないのか。
唖然とするしかないレティスを見て、カイルはうーんと首をひねった。
「あ、一個訂正。確か産まれたのは筆頭巫子になってから、だったような。そうそう、それでアリシアは両の目を精霊に捧げたんだよ。あの子が精霊に喰われないよう、大神殿で匿ってさ」
「ちょ、ちょっと待った。え、でも、筆頭巫子になったら子どもってできないんじゃ」
「そうだよ? というか、そもそも巫子が巫子たるうちは子はできないんだよ。そういう点じゃ、アリシアもイズミも巫子としては失格だね」
巫子としての役目――魔力移しをせずに、誰かと交わったということになるのだからとカイルは事もなげに言う。
「それに、魔導師と違って一瞬で身体が作り変わるわけじゃないから。少しずつ精霊好みの身体になっていくわけで、そこに至るまでは筆頭巫子とはいえ人間だよ」
「えぇ……」
物心ついた頃には神殿にいたと言っていたルーフェ。考えられるのは父母のどちらかが巫子ということになるが、それにしたって、だ。
(筆頭巫子の子ども……? あ、だから、神殿から出たことがないって……)
点と点だったものが繋がり線になっていくように、今までおぼろげだったルーフェの話の輪郭が鮮明になっていく。試練の時の記憶が抜け落ちているというのも記憶自体が代償であるならば納得のいく話だった。
出生の秘密――それはおそらくルーフェ自身が最も知りたいことであり、代償として払うには充分すぎるものなのだろう。
どこか腑に落ちた表情を浮かべるレティスを見て、カイルは満足げに微笑んだ。
「だからさ、精霊は悔しかっただろうね。食べたくて食べたくて仕方がないあの子が魔導師になっちゃってさ。そうそう、レティスも危なかったんだよ? 水精霊たち、騒いでたからね〜」
カイルが両手のひらで水をすくい、空中へ投げれば陽の光にきらきらと輝く。
気ままに水で遊ぶ姿はその外見も相まって微笑ましいが、話す内容はこれっぽっちも可愛くなかった。
「はっきりと公言する前にサヤに見つけてもらえて良かったね。バジェステの子の庇護下でなかったら、巫子の子だって口にした瞬間に『パクッ』だよ」
何かを食べる仕草をしておどけてみせるカイル。
レティスとしては笑いごとではなく、顔が引きつってしまう。
「そ、そっか……」
「まぁでも、ここではそんな心配も不要だから」
ここは夢の中だからね、と歌うようにカイルは微笑む。
レティスの腹の虫が鳴けば「そっか、レティスは食事がいるんだね」とどこからともなく暖かな料理が出てくる。
当然のように一人分で、カイルはどうするのかと問えば「食べないよ?」とさも当然のように返ってきた。
「食べられないってわけじゃないんだよな? じゃあさ、一緒に食べようよ」
「どうして?」
「どうして、って……その方が美味しいから?」
味が変わるわけではないが、そう感じるのだからそうとしか答えようがない。
「ふうん? まぁいいよ。付き合ってあげる」
「ありがとう!」
ぱっと笑顔になったレティスを見て、カイルはわずかに驚いたような顔をしていた。
「そんな礼を言われるようなことでもないのに。……変なの」
夢の中だというのに太陽は沈み、夜が訪れる。
カイルに誘われるままに外に出て、空を見上げれば雲ひとつない満点の星が広がっていた。
「綺麗だ……」
ゆっくりと空を見上げるなんていつ振りだろうか。
北諸島に渡ってからというもの、ずっと心に余裕がない状態だった。
俯いて、悩んで、迷ってばかりで。
ただ生きるのに精一杯だったというのに、今はこうして賢者と肩を並べている。あまりの急展開に三日月の南にいたことが遠い昔のように思えた。
「この星たちだけは、昔からあんまり変わらないんだ」
隣でカイルがぽつりとつぶやく。
「ヒトはすぐいなくなる。魔導師も悠久の時を生きるだなんていうけど、ボクからしたらあっという間。百年生きたとしても、ボクと顔を合わせる回数なんて片手で足りるくらいだし……」
「え、カイルと会えるのは試練の時だけじゃなくて?」
「違うよ。扉があるんだから、会おうと思えばいつでも会える。『試練の扉』だなんて、キミたちが勝手に呼んでるだけだよ」
実際のところは願う場所へと繋いでくれる、大昔の遺産だとカイルはぼやく。
「口外しないだけで、魔導師たちは都合良く使ってるんだよ? 特にバジェステの子なんてさ、ノルテイスラとの行き来にしょっちゅう使ってる。そうそう、リタが身重のイズミをスーティラに連れていったのもそうだよ」
「えっ」
まさかの母が利用していた? しかもリタというのは火の魔導師の名ではなかったか。
目を白黒させるレティスにカイルはしたり顔で頷いた。
「水の筆頭巫子のはからい、だね。精霊の裏をかくにはこれ以上ない。ま、その分精霊の怒りを買うことになったわけだけど」
「そう、なんだ……そっか……」
マナがイズミを委ねたという第三者は三日月の南の魔導師だった。
納得できる話ではある。レティスの父は魔導師補佐をしていたのだから、部下の尻拭いをしただけなのだろう。
「にしても、あの時の子とこうして会って話せる日が来るなんてね。レティスのことはさ、初めて視た時から気になってたんだ」
「あ、それ。あの夢で急に出てきたのって何だったんだ?」
「何、って、気になってたからお邪魔したまでだよ。やっとセイジと二人になってくれたし、良い機会だから挨拶したくてさ」
「……セイジさん?」
そこでセイジの名が出てくる理由が分からず、首をひねるレティス。
「うん。セイジ。魔導師には向いてないけど、あの子は使えると思ったんだよね。だからボクの眼を分けてあげたんだよ」
代償は魔力の過半数。
セイジの眼帯で覆われた右目は視力を失ったのではなく、賢者の眼としての役割があるのだという。
言われてみれば、カイルはセイジと同じ右目を前髪で覆い隠している。
レティスの視線の意味を感じ取ったのか、ほらね、とカイルは前髪を上げてくれた。
「これ、あの子の目……ってわけじゃなくて。視る力だけ移したんだ」
黒は黒でも複雑な色合いに煌めく左目と違い、塗りつぶされたようにただ黒い右目がそこにあった。
セイジが見たものはセイジが意識することなく、賢者の眼を通してカイルに伝えられる。
例えるならば、水の巫子が使う水鏡のようなものだという。
「それって、セイジさんの生活すべてが丸見えってこと……?」
「あ、引かないでよ。視ようと思えば視れるってだけ。あの子の魔力の有り様が乱れた時、ちょっと視てるだけだって」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。でね、レティスのことを知ったのは湖だったかな。やたら大きな魔獣と対峙してたでしょ」
五家の一員ながら泥臭く動き回っていたはずのセイジが、風の魔導師と共にいる。おまけにシズ――サヤも連れて、となると興味をそそられるのも無理はない話で。
「一人毛色が違う子がいるなって。そこからちょくちょく視せてもらってたんだ」
「待った、やっぱり見てるんじゃないか」
「そりゃ視るよ。気になるもん」
開き直られてしまった。
全然悪びれる様子もなく、カイルは口の端を上げる。
「それに『力』がすべてだったあの子がどう変わっていくのか、興味があったからね。現に想像以上だったよ? もしもう一度ボクに会いに来たなら、魔導師にするのもいいかもと思うくらいには変わってくれたし」
「え……」
今、なんと言ったのか。
聞き流すことができず、レティスはカイルに詰め寄った。
「そんな、二度目って……いやそれじゃなんで、前回はだめだったんだ?」
レティスから見ればセイジは人の上に立つ者として理想的な人だ。ハシバやアオイといった周囲からの信頼も厚い。
誤解を恐れずに言うのなら、ミオではなくセイジの方が魔導師にふさわしいのではと思っているくらいだ。
セイジのどこが魔導師に不適格だというのか。
レティスの心からの疑問にカイルは指を振り、小首を傾げながら答えてくれた。
「それはね、『力』に固執しすぎてたからだよ。『力』がすべてだって人に更に『力』をあげても、悲惨な結果にしかならないでしょ?」
魔導師はなったら終わりではない。
長く、ただそこに在ってもらわねばならぬのだが、『力』を追い求めるものは得てして争いも求める傾向にある。
争いが起きれば血が流れ、多くの魔力が大地へ流れ込んでしまう。精霊を治める立場の者として、それはなによりも避けなければいけないことだった。
「ボクが『力』を抜いたから、今のあの子があるんだよ。昔はもっとこう、うさんくさい奴だったんだから」
「うさんくさいって……」
「ほんとほんと。そつがないのが逆に怪しいっていうかさ。無駄に角張ってたのが随分と丸くなったし、まして誰かに絆されるなんてねぇ……」
カイルは感慨深そうにうんうんと頷く。
人は変わるものだ。
そしてその変化こそ、見ていて面白いのだとカイルは星空のような瞳を瞬かせていた。




