3 スミレ
明くる日、すっかり夜も更けてからマナの部屋へ赴いたルーフェを出迎えてくれたのはここにいるはずのない人だった。
「え、スミレちゃん?」
「こんばんは、ルーフェ様」
柔和な物腰に、ほがらかな笑顔。
見知った仲であるスミレがそこにいて、ルーフェは丸い目を更に丸く見開くこととなった。
「先日お顔は拝見しましたが、改めまして。ご無沙汰しております。またこうしてお話する機会をいただけて嬉しいです」
スミレは淑女の礼を取り、中へどうぞと誘う。
視線を部屋の中へと移せば、マナが悠然とソファに座っていた。
「そろそろ来る頃合いかと思って、スミレを呼んでおいたのです。昼間の話を聞きに来たのでしょう?」
「……話が早くて助かるわ」
何のために部屋を訪れたのか、マナにはすべてお見通しのようだ。
ルーフェはマナの向かいのソファに腰掛ける。
スミレがマナの斜め後ろに控えるのを待って、声をかけた。
「にしても、どうしてスミレちゃんが? ピオーニにいたのに、いつの間に戻ってきてたの?」
「昨日です。アオイ殿に同伴いただきまして……」
なんでもアオイがロトスへ向かうことを聞きつけ、それならばと同伴を願い出たらしい。代わりにアオイからはマナへの面会の取次を依頼されたというが、それくらいは造作もないことだ。
このご時世、巫子の移動には魔法使いの護衛が必要となる。それは五家の一角であるアオイが移動する際にも当てはまり、同伴することでスミレは護衛を得ることができる。アオイはアオイでマナと話す場を得ることができると互いに得がある形に落ち着き、今に至るという。
そもそも大神殿へと戻るきっかけはマナの鶴の一声だった。
「わたくしが呼び戻したのですよ。スミレにはミツルの件について五家……特にシノミヤとの連絡役となってもらいたくて」
巫子の力である『水鏡』を用いれば、情報の伝達と共有は容易いものとなる。
問題があるとすれば誰を送り込むかであるが、その点スミレはうってつけだった。
ルーフェの世話役をしていたくらいなのだから口の堅さにも定評があり、マナの覚えもめでたい。
おまけにアオイやセイジといった五家の面々ともそれなりに面識があるとくれば、白羽の矢が立つのも仕方のないことだろう。
「マナ様、ルーフェ様。尽力させていただきますね」
意気込んだような声色に反して、スミレの表情はおだやかでいつもとさほど変わらない。
スミレとの付き合いはおおよそ十年程になるが、声を荒げた姿は見たことがなかった。
「任せましたよ。ではスミレ、あなたが戻ってきてからのことをルーフェに説明してあげてもらえますか」
「かしこまりました。順を追ってご説明いたしますね」
マナからの依頼を快諾し、スミレは昨日ロトスに戻ってきてからのことを語りだす。
「アオイ殿もミツルくんの拘束には思うところがあるそうで、まず、面会のためにロトスにあるミカサ邸へ向かいました。ただまぁ当然、わたしは巫子ということで門前払いされまして。アオイ殿とミオ殿ならあわよくばと思ったのですが、そちらも拒否されました」
「え、待って。ミオちゃんも来てるの?」
「はい。あとセイジ殿の側近の方も共にロトスへ来ております。ただミオ殿も側近の方も昼間の話し合いにはお見えになられていません」
「そう……」
ルーフェにとってミオが来ているというのは想定外だった。
ミオのハシバへの想いはうわべだけのもので、五家の敵とみなされた今、冷めてもおかしくないと思っていたからだ。
ハシバは以前、ミオに婚約者扱いされていることを物珍しさと一匙の親への反抗心からくる気の迷いだと断じていた。
ただアオイと共にロトスまで来るということは、どうやらルーフェとハシバの見立てのどちらとも毛色が異なるようだ。
「それでですね。アオイ殿から伺った現状なのですが……」
ハシバの身柄については引き続きミカサ邸にあること、セイジは拘束直後から行方知れずなこと、大祭が終わり次第速やかに沙汰が下されることが手短に伝えられた。
「肝心なミツルくんの処遇ですが、今の所は分が悪いとしか言えません。シノミヤが処分に反対、フタバが棄権というのは予想通りとして、残り三つが問題でして」
「残り三つ……イチヤ、ミカサ、ゴジョウだっけ」
「はい。ミツルくんを拘束したミカサはもちろん、イチヤも処分に賛成しています。ただ、大抵イチヤと同調するゴジョウが反対しているのが妙な話で……アオイ殿も不思議がっていました」
「行方知れずだっていうセイジが裏で動いているって線は?」
「その可能性を否定はされませんでした」
曖昧な物言いではあるが色々と読み取れるものはある。
「……あちらも手の内をすべて晒してくれるわけではない、ということね」
渋い顔をしながらつぶやくルーフェにスミレも同調して頷いてくれた。
「とはいえ、道中及び話し合いにおいてもルーフェ様とそのお連れ様についての言及は一度もありませんでした。アオイ殿はルーフェ様の件を知らない、というわけではないんですよね?」
「ないわね。ピオーニで実際に会って話したし、そこで……そう、セイジが言ってたの。『五家をぶち壊したい』って。レティスが魔導師になることが打開の切り札となるから、そのための協力を惜しまないって……だから、一緒にロトスまで来たのに……」
ロトスを目前にして、まさかの足留めを食らってしまった。
セイジが手配したものでないにしても、ルーフェからすれば裏切りも同然。おまけに身代わりのようにハシバが拘束されるのだから心中穏やかではいられない。
知らず知らずのうちに眉間にしわを寄せてしまったルーフェに、じっと見守っていたマナが口を開いた。
「ミツルの件においてもどこから情報が漏れたのか明言は避けられましたし、結局のところ、あちらの話を鵜呑みにするのは危険だということでしょう」
にこりと屈託のない笑みを浮かべつつ、マナはばっさりと切り捨てる。
対してスミレはやや困ったように眉尻を下げた。
「そうは言いますけれど、試練の扉は開いたとお伝えになっていたではありませんか」
「大祭を前に人の行き来が増えますからね。皆が皆、守秘義務を守る者ばかりではないでしょうし……それに、今後もシノミヤには色々と便宜を図ってもらわねばなりません。ほんの友好の印ですよ」
ころころと鈴の鳴るように笑うマナ。
使えるものは何でも使う、いかにもマナらしい行動だとルーフェは感心する。と同時に、面と向かって相手をしたアオイの心労を思うと気の毒にもなった。
「それじゃ、レティスのことは話したのね?」
「いえ、誰が、という問いはなかったためにお伝えてしておりません。まだ戻ってこないということもお伝えするつもりはなかったと思うのですが……」
スミレの言葉の歯切れが悪くなる。
「その、シオンちゃんが漏らしてしまいまして。どうもミツルくんのこととなると見境がなくなるといいますか……」
「あぁ……」
ルーフェにすがってくるのならば、アオイにもすがるのは目に浮かぶ話だ。
「他にもアオイ殿ならセイジ殿の居場所を知っているはずだと息巻いていて……あの子ったら、なんだってそんな根拠のない話をするのかしら」
「あ、それはアオイとセイジが恋仲だからじゃない?」
「えっ!? そうなんですか? まぁ、あのお二人が……」
過去一と言っていい驚きっぷりにルーフェもまた目を瞬いた。
「そんな驚くこと? 昔から仲が良い風に聞いたけど」
「いえその、私が知る限り、アオイ殿はセイジ殿のことを目の敵にしていたものですから。シノミヤを差し置いて神殿に出入りするセイジ殿を苦々しく感じておいでのようでしたし……」
「その認識で問題ありませんよ。セイジが試練を受けた後、ちょうどあなたがここを離れた頃くらいから、でしょうか。アオイの態度が軟化したのです」
割って入ったマナはその口ぶりから知っていたようだ。
「そうなんですね、存じませんでした。となりますと、セイジ殿の五家を壊したいという言葉に信憑性が増しますね」
「? どういうこと?」
「五家は血統を重んじますので、他家との婚姻はご法度、というのが暗黙の了解なんです。分家ともなれば話は別ですが、お二人は本家の、しかも直系の方ですので」
なるほど、現状の五家の在り方のままでは自らの身の振り方ひとつままならないというわけだ。
やけにあっさりとレティスの肩を持つと決めたセイジ。
僥倖、とまで言っていたわけが腑に落ちた瞬間だった。
「……セイジとアオイのことを完全に信用できなくても、利害は一致してるってわけね。だから試練のことを話した、と」
セイジとアオイには、レティスを魔導師として据える理由がある。
そしてレティスの信頼を得るために、従兄であるハシバを救うのが効果的だという結論に至ったのだろう。
ルーフェのつぶやきにマナは微笑みながら首肯した。
「目的は違えどそこに至るまでの手段が同じならば、手を取り合うこともあるでしょう。それに、ミツルを無辜の人として解放することすらできず、五家を変えるだなんておこがましいにも程があります」
「ちょっとマナ、ハシバを試金石みたいに使うのはどうかと思うわ」
「あくまで手段のひとつですよ。レティスが扉から戻られるのなら、それで何の問題もありません」
「そりゃそうだけど……」
かれこれ一週間、扉に変化はなかった。
レティスも、レティスを追うように扉へ消えたシズからも、何の音沙汰もない。
手元からシズがいなくなったことをマナが責めてくることはない。ただその変わらぬ態度に、ルーフェは居心地の悪さを感じていた。
(……マナは、本気でハシバを助けたいと思ってるの?)
五家に対しては一貫してハシバの解放を要求しながら、ふとした時に切り捨てるかのような発言が混ざる。
ルーフェには到底ハシバを見捨てるような真似はできそうもないというのに。
「……もし、もしもの話よ? 全部がだめで、どうしようもないってなってしまったら。私を止めないでくれる?」
うつむき、ぽつりと漏らした言葉にスミレが息を呑む気配がした。
マナはわずかに眉を上げたが、瞬きのあとにはいつもの穏やかな笑みへ戻る。
「わたくしとて万能ではありません。見落としてしまうこともあるかもしれませんね」
「マナ……!」
ぱっと晴れやかに顔を上げたルーフェに、マナはあくまで淡々と告げた。
「ただ、道理なき実力行使は強い反動を伴います。ゆめゆめお忘れなきように」




