11 雪遊び
広場を横切り、端の方まで来るとベンチがあったので積もった雪をはらい、腰を下ろした。ぐるりと広場を見渡すと、遠くから数人の子どもが走りよってくるのが視界に入る。
小さな女の子が一人と、少し年上に見える男の子二人の三人組は座るルーフェとレティスを見て「あーっ」と指を差した。
「緑の目のお姉ちゃんだ!」
「なんだお前、また来たのかー?」
「大きいお兄ちゃんはいないの?」
口々に話しかけられてレティスは面食らった。
「こんにちは。また来ちゃった」
対するルーフェは特に驚いた様子もなくベンチからおりてしゃがみ、子ども達に笑顔を見せた。
女の子は五、六歳くらい、男の子達はその二つか三つ上に見える。
ルーフェ曰く、以前村に立ち寄った際に知り合った子ども達で、その時にハシバが大きなかまくらを作ってあげたら懐かれてしまったという。
「大人は異質なものを避けるけど、子どもは寄ってくるのよね」
満更でもなさげに笑うルーフェ。
「大きいお兄ちゃんはちょっと出掛けてるの。かわりにほら、もう一人いるわよ?」
「ほんとだー。こんにちは」
「こ、こんにちは」
何のてらいもなく話しかけられ、レティスはぎこちないながらも笑顔を返した。
「なー、せっかく積もったんだし雪合戦しようぜ雪合戦!」
「兄ちゃん対おれたち二人な!」
「えっ、ユキガッセン?」
男の子二人に腕を引かれ、広場の中央まで移動する。途中、シズは女の子の「ペットのウサちゃんは?」という言葉でレティスのコートの中から出てきた。
ベンチの上でおとなしくしているシズを見本に雪うさぎを作っている女の子を横目に見つつ、レティスは男の子達に対峙する。
(ユキガッセン……って、何だ?)
少し距離を空けたところで男の子二人は熱心に雪をすくっては丸めている。真似をして雪をすくってみるも、新雪は軽くふわふわで力加減が難しい。あたふたしていると手袋があっという間に濡れてしまい、脱いでいたらぽす、と胸のあたりに何かがぶつかった。
「すきありー!」
「兄ちゃん、手加減しなくていいからなー」
「えっと……?」
雪玉をぶつけられたのは分かるが、頭の中を疑問符が駆け巡る。救いを求めるようにルーフェを見ると視線がぶつかった。
戸惑いが顔に出ているレティスを見てルーフェは首を傾げていたが、あぁ、と何か合点がいったかのように両手を打った。
「レティス、雪合戦っていうのは雪を丸めて投げ合う遊びのことよ。じゃれ合いみたいなもんだから気軽に遊んだげて」
「わ、分かった」
それくらいならできそうだと男の子二人に向き直る。
楽しそうな歓声をあげつつ雪玉を一生懸命投げつけてくる子ども達の目はきらきらと輝いている。
――故郷では物心ついた頃にはもう誰とも遊んだことはなかった。
年の離れた従姉達は親切にしてくれはしたが、レティスと仲良くしているのを周りの大人達から叱責されているのを見て以来、共に遊ぶことはなくなった。寝こみがちな母に代わり、家のことを済ましていたので遊ぶ時間もなかったのもある。
こうして故郷から遠く離れた地で子ども達と遊ぶ機会がくるとは思いもよらなかった。
誰に何の遠慮もすることなく、ただ体を動かして遊ぶ。意外な誤算に戸惑いつつも、レティスはなんだか胸が熱くなっていく。
ひとしきり雪を投げ合い、先に負けを宣言したのはレティスの方だった。
ただでさえ慣れない雪の上を動き回るのは難しく、何度もこけてしまい気づけばレティスは全身雪まみれになってしまった。
着ている服だけでなく足元も濡れてしまい、手袋を外した手も凍るようで手足がうまく動かない。
まだまだ元気いっぱいな男の子達に押されるような形でレティスはルーフェのいるベンチ近くまで戻ってきた。
子ども達の体力は凄まじく、あの小さな体のどこにそんなエネルギーが入っているのか不思議になるくらいだ。
「おれたちの勝ちー!」
「兄ちゃんよえーなぁ」
「……はは、負けちゃった」
疲れてはいるもどこか晴れ晴れとした気分だった。
濡れているのは雪だけでなく汗をかいたせいもある。ただ遊ぶだけで汗をかいたなんて初めてで、こんなに気持ちいいものだとは思わなかった。
「お疲れ、レティス。んー、そのままじゃ風邪ひいちゃいそうね」
仕方ないなぁとルーフェが手首を振ると一筋の風が吹いた。
ふわりと暖かな風はレティスの体を包みこむ。まばたきをする間に服が肌に貼りつくような感覚が薄らいでいき、気づけば全身さらりと乾いてしまっていた。
「……ふう。これでよし、かな」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。……ん?」
何やら視線に気づいてルーフェは横を向いた。視線を追いかけるようにレティスも頭を動かすと子ども達がきらきらした目でルーフェを見上げていた。
「お姉ちゃん、今のって魔法?」
「魔法使いだったんだ、すげー」
「なー、もっと何か見せてくれよー」
いきなり子ども達に詰められてもルーフェは動じない。
「えー、どうしよっかな。……そうだ。レティス、あなたが見せてあげたら?」
名案を思いついたと言わんばかりの口調でレティスに話を振った。
「えっ、オレ?」
「うん。あのね、このお兄ちゃん、火と水の魔法が使えるのよ」
うろたえるレティスを横目にルーフェは子ども達に話しかける。
「えっ、兄ちゃんも魔法使いなのか?」
「ほんとにー?」
「見せて見せてー」
すっかり興味の矛先がレティスに移ってしまった。
期待に満ちた眼差しで見上げてくる子ども達。断る理由が見当たらず、レティスは「じゃあ」と呼吸を整えた。
「少しだけ、な」
目を閉じ、意識を集中する。
何を見せようか思案し、まずは簡単なものからと右腕を伸ばし、手のひらを上に向ける。
「――炎よ」
レティスの声に応えるように小さな火が手のひらの上に灯った。
ぽ、ぽ、ぽ、と数が増え、意志があるかのようにくるくると回る。
火の動きを追うように子ども達の視線がくるくる動いている。
「次はこっち。――水よ」
同じように左の手のひらを上に向けると、今度は水の塊が現れた。
小さな塊は徐々に大きくなっていく。両の手のひらを近づけると円を描くように動いていた火の玉が水の塊に飛びこんでいった。
火が消える。そうなると誰もが思っただろうが、火は消えることなく水の中で揺らめいていた。
「――はい、おしまい」
ぱんとレティスが両手を打つと火も水も何事もなかったかのように空気中に溶けるように消えていった。
おぉーと子ども達から感嘆の声が上がる。
拍手する子ども達に混じってルーフェもまた拍手をしていた。
「はー……ほんとに二種類使えるのねぇ」
「うん、まぁ」
「ね。……水の力の方、弱まってる感じある?」
どこか探るような口調の問いにレティスは頭を横に振って返した。
「ううん。いつ使えなくなるか分からないけど、今のところは普通に使えるよ」
火の魔法使いであった父と、水の巫子であった母。
火と水、系譜の異なる者の間に生まれたレティスは魔力が混ざっているためどちらの魔法も使える中途半端な状態だ。
じきに生まれた地の――火の魔法しか使えなくなる。
間の子とはそういうものなのだという。
ノルテイスラまでの道中、西のリコオステで実際に出会った間の子は皆一様に地の魔法しか使えなくなったと言っていた。力が消えた年齢はばらばらだったが、徐々に弱まっていき、いずれも成人を迎える前に消えてしまったという。
期間限定の水の力。教わった時はあと何年使えるだろうかと物悲しく思ったものの、その力は一向に弱まる気配はない。
むしろ――ノルテイスラに来てからは強まる一方だった。
(……水精霊が多いから……なのかな)
水の精霊の恩恵を受ける地だからそういうこともあるのだろうとレティスは漠然と考えていた。
その後も男の子達にせがまれるまま、レティスは断りきれずにその後もいくつか魔法を使って見せる。途中、水や火といった具現的なものではなく、純粋に魔力を可視化して欲しいとルーフェからリクエストがあった。
「やったことないけど……こう、かな?」
より小さな一点に集める方がやりやすいとアドバイスをもらったのでその通りに人差し指に意識を集中させる。
指の先に光が集まったかと思うと揺らぐように膨らんでいく。やがてそれは拳大くらいの大きさで安定した。
「……不思議な形。色も」
ルーフェの言葉通り、表面は揺らぐ炎のようなのに、内側から冴える青が透けて複雑な色合いに揺らいでいる。
先程見せてくれた水の中の火とは真逆、炎の中に海を抱いている。そんな印象だった。
子ども達も初めて見る不思議な事象に興味津々なようで食い入るように見入っている。
「きれいだねぇ。――あっ、ウサちゃん!」」
「え、……わっ」
女の子に抱かれていたシズが腕から飛び跳ね、レティスの頭の上に着地した。
レティスの集中が途切れたためか途端に光は霧散する。
「びっくりした。どうしたんだ? シズ」
問うたところで答えが返ってくるはずもない。
頭の上のシズを抱きかかえたところで広場に第三者の声が響いた。
「――あんた達、いつまで遊んでんだい。もうお昼だよ」
「あ、お母さん!」
「お昼ご飯なにー?」
声の主はどうやら兄妹の母親のようだった。
走り寄ってきた女の子を胸に抱きとめ優しく微笑むも、こちらを向いた母親の視線はけして友好的なものではなかった。
「……うちの子に何か?」
「一緒に遊んでただけ。ね、レティス」
「う、うん」
ルーフェはにこりと笑顔を見せる。
「そうだぜー。一緒に雪合戦したんだ」
「雪うさぎつくったの!」
「そうかい。それは良かった。じゃあもうお昼だから帰ろうか」
あくまで柔らかい口調ながらも子ども達を背にするように母親は言い、そそくさと帰宅を促した。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、またねー」
「ばいばーい」
手を振る子ども達に同じように手を振り返す。
母親は訝しむような表情をしていたものの、事を荒立てる気はないのかぺこりと会釈して去っていった。