20 暗転
なにか柔らかくて暖かいものに包まれている――そんな感覚に違和感を覚えてレティスは目を開けた。
石造りの天井が視界いっぱいに広がり、慌てて上体を起こせば同じような造りの室内にいることが分かる。
レティスを包むものの正体は柔らかな毛布だ。ベッドに横になっていた現状に頭がついてこず、きょろきょろとあたりを見渡す。
「え、え……?」
立ち上がって窓の外を覗けば樹木に雪化粧が施されている景色が目に入った。
この雰囲気はおそらく水の大神殿のどこか、といったところだろう。
(ついさっきまでカイルと話してて……)
扉の中で会った賢者――カイルの最後の台詞を反芻する。
「……そ、っか。だめだったんだ……」
不思議とそこまで落ち込んでいないのは、駄目で元々という気持ちがあったからだ。
水の系譜に連なる者だという資格はあれど、所詮は半分。動機も自分本位で、魔導師に相応しくない――そう判断されてもおかしくはないだろう。
そんなことを思いながら窓の外を見ていたら扉の開く音がする。
振り返れば、そこにはルーフェがいた。
「――レティス!」
エメラルドグリーンの瞳がきらめき、名を呼ばれた勢いそのまま抱きつかれてしまった。
後ろに倒れそうになるところをなんとかこらえはしたが、レティスは動揺が隠せない。急に懐に飛び込んできたルーフェにおっかなびっくり声をかける。
「る、ルーフェ?」
「良かった、目が覚めて……もう、ずっとこのままかと……」
「あ、あぁ……そっか。ごめん、心配かけて」
震える声音から心労をかけていたことを悟り、レティスはなるべく平静を装って落ち着いた声を出した。
同時に華奢な肩に手をかけて距離をとる。
不可抗力とはいえ、この距離はまずい。もし誰かに見られてハシバの耳に入ったりしたらいらぬ誤解を生みそうだ。
「オレは大丈夫だから。ほら、特になんともなってないし」
「ほんとに? 強がりじゃなくて?」
「ほんとだよ」
ルーフェを安心させるために笑ってみせる。
セイジは片目と魔力の半分を失っていたというが、視界に問題はないし魔力が減った感じもしない。特に何かを失ったような感覚もなければ、どこか痛むということもなかった。
「ただ、魔導師にはなれなかったけど……」
期待に応えられなかった申し訳なさから眉を下げれば、ルーフェは「ううん」と首を横に振った。
「魔導師になれなくても、無事でいてくれたら充分よ」
「ルーフェ……」
潤んだ瞳でまっすぐに見つめられ、うっかり見惚れてしまったのはカイルとの問答があったせいだ。
執心、とカイルが言っていたこの感情が何なのかはとっくに分かっている。
――分かっていて、それが叶わないものだということも理解しているが、はにかみながら手を取られたら否応なしに鼓動は早くなっていく。
「ね、レティス。私と一緒にバジェステに行こ?」
「え……」
「だって、ここに留まり続ける理由がないじゃない?」
「……」
ルーフェの言う通り、このままレティスが北諸島に留まり続けるのは難しいだろう。
従兄であるハシバはいるが一介の巫子にしかすぎず、巫子ではないレティスを神殿に留め置くとは考えづらい。
魔導師になれなかった以上、セイジが後ろ盾となってくれるとも思えない。
以前にも誘われたことでもあるし、断る理由が見当たらなくてレティスは頷きかけたが、次に耳に入ってきた言葉にその身をこわばらせることになる。
「レティスが良ければすぐでもいいわよ? ね、そうしよ?」
「え?」
笑顔で告げてくるルーフェをまじまじと見つめ返す。
「……ミツルさんは? ミツルさんはどうなったんだ?」
その身を呈してルーフェとレティスを逃してくれたハシバは、五家に拘束されていたはずだ。
解放されるにはレティスが魔導師になることが最善で、それが叶わなかった今、どうなっているのか。
険しい顔つきで問いかければ、ルーフェからは曖昧な笑みが返ってきた。
「どうしたの、怖い顔して。大丈夫、ミツルならマナがどうにかするでしょ」
その言葉が決定打となった。
「――違う」
「レティス?」
「君はルーフェじゃない」
「やだレティス。私だってば」
「違う。ルーフェはミツルさんのことはハシバって呼ぶんだ。それになにより、絶対にミツルさんを見捨てるような真似はしない」
握られた手を振り払い、一歩後ろへ後ずさる。
距離を取ったレティスに、ルーフェは瞳を潤ませて追いすがってきた。
「ずっとキミだけを見てあげるのに、どうしてそんなこと言うの?」
動いた拍子にさらさらと揺れる亜麻色の髪に、透き通るようなエメラルドグリーンの瞳。外見はルーフェそのものなのに、浮かべる表情はまるで別人だ。
「オレだけを見るって、それはもうルーフェじゃないよ。オレは……オレが好きになったのは、ミツルさんの隣にいるルーフェだから」
虚を突かれたのか、ルーフェは丸い目を更に丸く見開いた。
「……なにそれ。意味が分からないんだけど」
「見てたら分かるよ。ルーフェはミツルさんがいるかいないかで全然違うから。それに、オレにとってはミツルさんもルーフェと同じくらい大事なんだ」
ルーフェは道に迷うレティスを導き、時に姉のように支えてくれた。
対するハシバは正真正銘の血縁者だ。当初は厳しい態度を取られたものの、互いを知るうちに信頼関係を築けたように思う。
どちらもがかけがえのない存在であり、どちらかを選ぶなんてことはできなかった。
「同じ、はないでしょ。私のために魔導師になりたいんじゃなかったの?」
「そうだよ。それはミツルさんを救うためでもあるから」
魔導師になればノルテイスラに平穏が訪れ、ルーフェの憂いを晴らせて、ハシバを救い出すことができる。
一石三鳥とはこのことだが目の前のルーフェが望む答えではなかったのだろう。
唇を尖らせたルーフェはおもむろに自らの手を胸に当てた。
「手に入れたいって思わないの?」
「……いやそんな、ルーフェはモノじゃないし」
レティスはふるふると頭を横に振る。
「そもそもあそこに割って入るのは無理だよ。どう考えてもさ」
立場上明言は避けているが、トウマの一件以降、あのセイジですらそういうものと扱っているくらいだ。
至極真面目に答えるレティスに対して、ルーフェは信じられないものを見たかのような顔をしていた。
「なに、それじゃキミはただ一緒にいられればいいってワケ?」
「そうだよ。……別に魔導師にならなくたってルーフェは一緒にいてくれるだろうけど、それじゃミツルさんに悪いっていうか、ずっと引け目を感じたくはないというか……胸を張って隣にいたいって思うのは、そんなに変かな?」
「…………」
すうとルーフェの瞳から光が消える。
うつむき、肩を震わせだすものだからレティスは焦ってしまった。
「え、え?」
そこまで変なことを言ってしまっただろうか。
はたまた外見がルーフェなものだから普通に話してしまったが、生意気だと思われてしまったのかと今更なことが頭をよぎる。
「――いいね。気に入ったよ」
グラデーションのように声色が変わり、ルーフェの姿がぐにゃりと歪んでいく。
わずか数秒。瞬きを数度しただけの間に、目の前にいた人物は元の――カイルの姿へと変貌していた。
呆気に取られるレティスの元へカイルは歩み寄る。
「それじゃ最後に、キミの覚悟を見せてもらおうかな。この夢から覚めることができたら、キミに力をあげるよ」
「! ほ、ほんとに?」
「二言はないよ。でもできなかったら……その時は、ボクとずっと一緒にいよう?」
「えっ」
思いもよらない誘いにレティスの目が点になった。
何がどうなればそうなるのか理解が追いついてこず、固まってしまったレティスの手をカイルは握りしめる。
「ね、ボクの話し相手になってよ」
黒く輝く瞳を細め、はにかむように笑う姿はどこか懇願に似ていて、その手を振り払うことはできなかった。




