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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第六章 旅路の果て

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幕間8.5 無防備な背中

 時に人は一人では着られない服を身にまとい、着飾ることがある。

 知識としては知っていたが、百聞は一見にしかずとはまさに今だ。実際に目の当たりにしてハシバは平静を取り繕うのでいっぱいいっぱいだった。


「この留め具を外せばいいんですね」

「ん。お願い」


 レティスとセイジがいる応接間から主寝室と思しき豪奢なベッドが置かれた部屋へ場所を移し、ルーフェはハシバへ背を向けている。


『自分じゃ背中に手が届かないから、脱ぐのを手伝ってほしい』


 その言葉に他意などないのは無防備に背中を向けていることからも重々承知ではあるのだが。


(平常心、平常心……)


 無意識に鼓動が早くなっていくのは抑えようがなかった。

 短くなった髪の隙間から白いうなじが覗き、華奢な身体のラインを際立たせるドレスはいかにも扇情的だ。目を凝らせば留め具は背中の意匠のひとつとなっていて、背筋に沿っていくつも並んでいる。

 そっと手を伸ばし、上からひとつずつ慎重に外していく。

 部屋に灯された明かりは最低限とはいえ、閨を共にする時の光量に比べれば段違いに明るい。白日の下に晒すような感覚に襲われて喉が鳴る。このままじゃまずいと邪念を払うべく頭を横に振るハシバにルーフェから声がかかった。


「ね、……この格好、そんなに似合ってない?」

「……え、と?」

「店の人は絶賛してくれたし、レティスはもちろんセイジですら綺麗だって褒めてくれたけど。……ハシバはずっとしかめっ面じゃない」


 すねたような声音を聞いてハシバの手が止まる。

 しかめっ面なのはうっかり見惚れてだらしなく緩みそうになるのを堪えているからであって。決して似合っていないからというわけではないのだが、口に出すのをはばかられるのでごまかすことしかできない。


「……似合う似合わないという問題ではなくて」

「じゃなんなの?」

「…………あまり着飾って目立たれるのは困ります。人目を引くのは貴女も避けたいところでしょう?」

「それはそうだけど…………せっかく綺麗にしてもらったのに……」

「……」


 ぽそりと付け足された言葉にどう返していいものか。

 聞こえなかった振りも、はぐらかしてなかったことにすることもできる。ただそうなるとルーフェの機嫌を損ねることは容易に想像できた。

 面倒だなと思いつつも、褒められることを期待する様は可愛らしくもあって――たまには少しくらい、本音を混ぜてみてもいいかもしれない。

 そんなことを考えながらハシバはぷち、ぷち、と留め具を外す手を再開した。


「どんな格好でも綺麗ですよ」

「……っ、そ、そう……」


 そっけない言葉とは裏腹に、両耳とうなじが桃色に染まっていく。

 どうやら間違ったわけではないらしくてハシバは内心でほっと息をついた。


「はい、これで最後です。けど……え、まさかこれも、ですか?」


 留め具を外し終わり、中から出てきたのは紐で締め上げるタイプのコルセットだった。


「あ、うん、そう。緩めて欲しいんだけど、できる?」

「できますけど……」


 仕組みとしては紐を緩めていくだけ。至って簡単なのだが、ハシバの言葉の歯切れは悪い。

 部屋に二人きりで、下着を脱がせと要求される状況に置かれては意識するなという方が無理な話だ。

 少し目線を動かせば華奢な肩ごしに谷間が覗くというのも拍車をかけている。ずきずきと下半身に熱が集まり、視界が赤く染まっていく感覚に襲われる中、ふわりと嗅ぎ慣れない甘い香りが鼻についた。


「ハシバ? やり方分かんない?」


 顔だけ振り向いたルーフェはきょとんとしている。動いた拍子に立ち昇る甘い匂いは香水によるものなのだろう。しっかりと施された化粧は美しくはあったがどこか作り物めいていて、わずかではあるが冷静になれた。


「……いえ、分かります。緩めればいいんですね」

「うん。もうさ、ぎゅう〜って力一杯締められたから苦しくって」


 苦笑しながらルーフェはくるりと背中を向けた。


(落ち着け。扉の向こうにはセイジさんもレティスもいるんだから)


 人知れず深呼吸をして、ハシバはそっとコルセットへ手を伸ばす。

 まずは蝶々結びされた紐を解くところから。少しずつ、紐を緩めるたびに白い背中が晒されていく。目が離せなくて、つうと背中をなぞっていたのは無意識だった。


「――ひゃあっ!」


 びくりとルーフェの肩が跳ねる。甲高い声と共に勢いよく振り向いたルーフェは非難めいた眼差しを向けてきた。


「な、なに!?」

「すみません、つい」

「つい、じゃないわよ、もう」


 頬を膨らませるルーフェを見下ろせば、緩めたコルセットから胸が零れ落ちかけている。咄嗟のことに目をそらすこともできず、じっと凝視するような形になってしまった。

 不自然に動きが止まったのを見て眉をひそめたルーフェはハシバの視線の先を追って、己がどんな格好をしているかに気付いた。


「――っ、な、やっ……」


 一瞬でルーフェの顔が赤くなり、腕で胸元を隠してしゃがみこむ。顔だけでなく肩や胸元まで朱に染めたルーフェは恨みがましい視線をハシバに向けようとして、はたと動きを止めた。


「な、なんで大っきく……」

「…………あー……その、こんな状況でたたない方がいるのならお目にかかりたいものですね」


 言い訳にすらならないことを口走りつつ、ハシバはへなへなとその場にしゃがみこむ。

 無防備に背中を晒された上にとどめを刺されてしまった。頭とは裏腹に身体は正直なものですっかり反応してしまっている。

 ばつの悪さから片手で顔を覆う。そっと指の隙間からルーフェを覗けばぱくぱくと口を動かしてはいるもののうまく言葉が紡げていなかった。


「え、そ……えぇ……?」

「……誓ってなにもしませんので。早く着替えてしまいましょう」


 平静を装って提案すれば、ルーフェはこくこくと頷いてくれた。


「そ、そうね」

「ただその、……おさまるまでここにいてもいいですか?」


 今の状態で部屋を出ていくのは正直厳しい。セイジが茶化してくるとも限らないし、情けない姿を見せてしまうには抵抗がある。

 そんな意図をルーフェはきちんと汲んでくれたが、しっかり条件を付けられてしまう。


「……着替えてる間、後ろ向いててよ」

「分かりました」


 言われずともそうするつもりだった。

 壁に向かって座り直し、ハシバはふうと息を吐く。


(……情けなさすぎる……)


 まったくもって他意のないルーフェに対し、自らを顧みてハシバは頭を抱えたくなった。

 呆れられる程度で済めばいいが軽蔑されたかもしれない。醜態を晒すにも程があるとうなだれるハシバの背中に向けて、ルーフェから声がかかった。


「なにもそこまで凹まなくても……別に怒ってないわよ」

「……え……」

「びっくりしたというか……そんなに気になるもの?」

「気になる、とは?」

「胸。昼間もやたらと見られたし」

「……いやまぁ、男で嫌いだって言う人はいないんじゃないですかね」

「ふうん? それはハシバも?」

「…………まあ、はい……」


 一体なにを言わされているのだろうか。

 思い浮かべてしまってはおさめるものもおさまらないのでハシバは壁の模様を眺めて気を紛らわせる。


「確かに、めちゃくちゃ触ってくるもんね」

「……」


 いつ何をとは言わないが心当たりがありすぎて返す言葉がなかった。

 納得したような口調で言わないでほしい。

 いたたまれなさに頭を抱えていたらふわりと甘い香りが鼻につく。すぐそばまで来ているなと思ったら頭を撫でられてしまっていた。


「……あの?」

「んー、つい? ちょっとだけだから」

「ちょっとって……」


 子ども扱いは癪に触るが、こうも嬉しそうな声色を聞いてしまうと振り払うのは忍びない。

 事あるごとに頭を撫でてくるのは昔からで、小さい頃は望んでいることでもあった。


 イズミが消え、帰る家も失い、後ろ盾がなくなったのはハシバが七歳の頃だ。唯一生き残った『白』の子として、幼いハシバは腫れ物のように扱われていた。マナが気にかけてくれたために神殿に居場所があったものの、そのマナに見捨てられたら終わるのだと幼いながらに肌身で感じていた。

 必死に背伸びをして、良い子であろうと自分を押し殺して。

 時折訪れるルーフェにはそれが見透かされていたのか、些細なことで褒められ、頭を撫でてくれた。子ども扱いは嫌だと思いつつも、子どもであることを許された気がして、ルーフェのそばは居心地が良かった。


 ハシバの頭を撫でるルーフェはあの頃とほとんど変わらない。

 変わらないことにもどかしさを感じて、距離を取ってしまったのを後悔する日もあった。だけどこうして昔のように頭を撫でられると、不思議とわだかまりがとけていくような気がした。


「よし、行こっか。もう大丈夫?」


 ルーフェの声を合図に立ち上がる。

 わずかに乱れた髪を直しつつルーフェを見下ろせば、いつもの防寒重視の格好に戻っていた。


「はい。……と、化粧は落とさないんですか?」

「え? あー……うん。待たせちゃ悪いかなって」


 応接間へと続く扉を開けるもセイジとレティスの姿はなく、シズのみが残されていた。

 机の上には『先に行く』との書き置きがあり、おそらくシズを道標に追ってこいということだと理解する。


「もう、先に行くだなんて。言ってくれたら化粧も落としたのに」

「落とせばいいじゃないですか。待ってますよ」

「……そうする。すぐ済むから」


 パタパタと洗面所へ向かう背中を見送り、ハシバはソファへと腰をおろす。

 はぁ、とこれ以上ない大きなため息が出たのは無意識のうちだった。


(ったく、あの人は……)


 書き置きの筆跡はセイジのものだ。寝室へ向かう際のやけに生温い視線を思い出して、ハシバはくしゃりと書き置きを握りつぶした。






最終章(予定)、鋭意執筆中です。

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