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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第六章 旅路の果て

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6 船の街アルメア

 北諸島(ノルテイスラ)はいくつかの島から成るが、その中でも大きいのが北島と南島だ。大神殿を有するロトスの街がある小島は小さく、北島と南島のちょうど中間、やや東寄りにある。

 船の街アルメアは南島の北端に位置しており、その名の通り北島及びロトスの街を中心に海路を結んでいた。

 神殿の街ピオーニを出発してから三日、予定通りアルメアへ到着した。

 いかにも港町といった風情の漂う赤レンガの建物が立ち並ぶ。そこに白く化粧をほどこした街並みは美しささえ感じられたが、空を見上げる人々の顔はどこか鬱々としていた。

 行き交う人をすり抜ける風に混ざる独特の潮の香りが鼻に抜けていく。嗅ぎ慣れない香りに加え、人の多さとこちらを見る視線が耐え難くてレティスは首に巻いたマフラーで口元を覆った。


「宿の手配に船の予約とやることはあるがまずはこっちだな」


 そうセイジに告げられ、連れてこられたのは仕立て屋だった。華やかなドレスをまとったマネキン、色とりどりの織物が軒先に飾られている様子から一目で高級店だと見て取れる。

 きらびやかな店構えとは対照的に、ルーフェの表情は沈んでいた。


「……ほんとにやるの?」

「やるからには後顧の憂いをなくしておきたいもので。無用な争いは貴殿も望まないところだろう? 申し訳ないがお付き合い願いたい」

「…………分かったわよ」


 諦めたように頷いたルーフェは、セイジに促されて店内に入っていった。

 レティスとハシバの二人は従者の体を取っていることもあって中に入ることはない。入口が見える、往来の邪魔をしないところへ移動した。

 ちなみに本物の従者であり御者もしていた従僕とはアルメアに着いて早々に別れた。いつまでもアルメアで待機させるわけにもいかないため、一足先にピオーニへ馬車で戻ってもらうらしい。


 服飾店に向かうことは馬車の中で決まったことだ。

 お尋ね者扱いのルーフェとハシバはこのままでは船に乗れない――セイジに告げられた内容は事実そうなのだろうと思う。

 ではどうするのかとなって、セイジが提案したのはハセをごまかした際の口からでまかせを利用するという手だった。

 ルーフェを情婦扱いとして、ハシバとレティスは従者の形を取る。

 ルーフェだけでなくハシバも鼻白むが、それ以上の提案は浮かばない。本当に渋々といった顔で了承していた。


(すっっっごく嫌そうだったけど、今はそうでもないな)


 ちらりと隣を仰ぎ見れば、はぁと白息を吐いたハシバと視線がぶつかった。


「どうかしましたか?」

「あ、いや……」


 話しかけられるとは思ってもよらず、レティスはまごついてしまった。

 出会った頃に比べれば打ち解けられたとは思うが、こうして面と向かってとなるとまだ少し緊張してしまう。

 対するハシバは平然としているものの、以前のような冷淡さは感じない。レティスに向ける眼差しも声色も突き放すものではなく、レティスの言葉を待っているように感じられた。


「その、まさか着替えまでするとは思わなくて。そのままのルーフェでも綺麗なのになぁって」

「そう、ですね……セイジさんからすれば幼く見えるってことでしょう。情婦がいるのはいいとしても、少女趣味だと思われるのは避けたい――真っ当かはさておき、分からないでもないです」

「……うーん……」


 レティスには分からない感情だった。

 レティスからすればルーフェは大人だ。時に姉のように、自らを導いてくれる存在。言動からも幼さを感じることはないが、セイジからはまた違った風に見えているのかもしれない。

 では、分からないでもないと言うハシバはどうなのだろう。

 好意を寄せているのは置いておくとして、どういう風に見えているのか。

 気になった以上聞かないという選択肢はなかった。


「ミツルさんは? ルーフェのこと、子どもだって思う?」

「え……」


 予想だにしなかった質問なのか、ハシバは目をしばたいた。

 答えあぐねたのは一瞬で、ふるふると頭を横に振る。


「……思いません。昔は見上げていたくらいですから、子どもだなんて思ったことないです。それに、姫という見た目と中身が釣り合わない最たる方がいるので……」

「姫……? あ、マナ様?」

「はい。セイジさん以上に食えない方です」


 きっぱりとハシバは言い切った。

 ルーフェといいハシバといい、どうもマナに関する評価は辛口気味だ。ノルテイスラの民からの評価と真反対に感じられるが、それにしてはマナへの信頼は厚いようにも見える。

 近しい者とそうでない者の差なのだろうか。

 首をひねるレティスにハシバは「会えば分かります」と苦笑いを返した。


「あのセイジさんも姫にかかればその他大勢と同じ扱いですから」

「……全然想像つかないんだけど。そう、セイジさんといえばだけど。オレ、ミツルさんに聞こうと思ってたことがあって」

「なんですか?」

「ミツルさんとセイジさんが仲が良いのが不思議で。その、神殿と五家はあまりいい関係にないんだろ? なのに、セイジさんはミツルさんのこと可愛い弟分だって言うし」


 そもそもセイジがルーフェとハシバを探す役目を負ったのは他でもないハシバを守るためだという。

 そしてハシバもまたセイジには絶大な信頼を寄せているように見える。それこそ、ルーフェに矛を収めるよう説得する程には。

 呆れたり、すねたり、時に笑みをこぼしたりとハシバがセイジに見せる顔は年相応と感じられるものだ。互いに遠慮のない物言いは関係の深さを感じさせるには十分だった。


「あー……セイジさんには小さい頃からお世話になってるので。名前を変えて、腫れ物扱いとなった僕に分け隔てなく接してくれた数少ない人の一人がセイジさんなんです」


 重苦しい内容に反してハシバの語り口は明るい。


「女性ばかりの神殿で息が詰まるだろうと色んな所へ連れ出してくれて。仕事を手伝わさせられたりもしましたが、それもいい経験です。そうそう、身を護る術も色々教わりました。ナイフの扱い方もそのひとつですね」

「へぇ」

「なんだかんだ言いますけど、セイジさんは面倒見がいいんですよ。今はレティスを育てるのが楽しいんじゃないですかね」

「……うーん……」


 これまた分からない感情だ。

 セイジがレティスに手をかけてくれるのは、ひとえに魔導師候補なだけであって、それ以上でもそれ以下でもないはず。

 そんな思いがレティスの念頭にある。

 レティスにとって年上の男性は虐げてくる叔父を筆頭に敵ばかりだった。優しい時もあった父ですら相容れない存在なのだと突きつけられる始末で、心を許せたのは母と年の離れた従姉たちくらいだ。

 ハシバに対してはその境遇となにより従兄であることから一方的に親近感を抱いてはいる。けれどセイジに対しては慎重にならざるを得ないというのが偽らざる本音だった。


「……頼りにはなると思うけど、そんな簡単に頼っていいのかな。迷惑、と思ったり……」

「そうやって人を思いやる気持ちがあれば十分ですよ。少なくとも、セイジさんは厚意を無下にするような方ではないです」


 ふ、とハシバの眼鏡の奥の瞳が細くなる。

 笑いかけられたのだと理解したのは頭の上に優しく置かれた手に気付いてからだ。ぽんぽんと励ますように頭を撫でられれば、不思議と暖かいものが胸の内に湧き上がってくるような気がした。




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