01病室の少年
全9回予定────。
清書次第、順に投稿して行きます。
01
……ジジン、ババン……ウゴゴゴゴン────。
天井の空調が唸っていた。
木目調の手すりがある、白い病室だ。
白いフトン。
白い壁。
白い棚。
それらは清潔にされていたが、年季が入っているようで、少し薄汚れていた。
何十回も洗濯されて、すり減ったシーツ。
塗装が剥げた、ベッドの手すり。
縫い目からほつれた、かけ布団。
部屋の脇にある医療機器こそ時代に追いついているもの、デザインに関しては時代がついている。
看護師が、朝の巡回に来ていた。
「あれ。その手、もう動くようになったんですか」
ベットに寝そべっている少年の額に体温計をかざしながら、彼は言った。
少年が、包帯が巻かれている右腕で、頭を掻いていたからだ。
「あ、やっば。バレちゃった……」
少年は、照れくさそうにした。
「別に隠さなくっていいじゃない」
「いやぁ、でも。僕、気にしちゃうんですよね。まだリハビリ中なのに、その手をひょいひょい動かしてたら、変な感じじゃないですか」
「元気になってるの見ると、こっちは嬉しいんですよ」
身体の半分を、真っ白に巻かれている少年を見て、看護師はそう言った。
少年は右腕だけではなく、右脚や頭、胸も包帯で巻かれていた。
そして、肌が見えるところには無数の擦り傷、切り傷の跡がある。
どうやら、交通事故か何か、強い衝撃を受けて大怪我を負ったようだ。
それも、その衝撃を右側から受けたことが、包帯の位置からわかる。
しかし、物を取るときや体の位置を変えるとき、それらを器用に動かしており、特に痛みを感じている様子はない。
きっと、退院の日は近いのだろう。
「きっと、お兄さんはそう思うんですね」
「あ、嬉しいなあ。もう、おじさんって年なのに。ちなみに、何歳にみえる?」
「三十四くらいですかね」
少年は即答し、看護師はぎょっとした。
「えっ、なんでわかるの……」
看護師は、自分のネームプレートを見た。
まさか、ないだろうとは思いつつ、自分が年齢を確認できるものを身に着けているのではないかと疑った。
「あはは、なんにもついてないですよ。得意なんです、人のこと当てるの。先月までいた背の高いお姉さんは、二十七歳だったと思います。流石に確認はしてないですけどね」
「ふ〜ん……他にさ、何かわかる?」
その特技に興味を持った看護師が尋ねた。
すると、少年は少し考え、こう答える。
「お兄さんは、一人暮らしで、お酒はあんまり飲まない人。タバコも吸わないですね。あと、電車通勤。これは臭いでわかります。視力はコンタクトつけて1.0くらい。身長は178センチ、体重は75から80キロ。どうです?」
「うわぁ、合ってる……」
「結構、目測でわかるものですよ」
「観察力というより、そこまでぴったり当てられると超能力みたいだけどね」
「いいですね、それなら」
看護師は目を細くしながら、その日の少年の体温と血圧を、ベットにくくりつけられているバインダーに記入した。バインダーの表には、太く丸い字で名前が書かれている。
────小石永徳。
それが、少年の名前だろう。
小石、と指すように、小柄な少年だった。
そして、柔らかい雰囲気であった。
愛想がよく、覇気がなく、気の抜けたコーラのように呑気な顔をしている。
マヌケ面……これは、悪口ではなく、カエルやスッポンを思わせる愛嬌から、そんな印象が受けられた。
「ああ、そういえば、永徳くん。今朝早くからお見舞いに来ていて、予約して待ってる人がいるらしいですよ。面会は十時からだから、あとで来ると思うけれど────」
「お見舞いですか?」
「うん。あれっ……初めてのことじゃない。永徳くんにお見舞い来るのって」
「初めてではないですね。最初のころ友達が来ました。それっきりです」
「……あぁ……」
「誰でしょうね。友達は受験で忙しいはずだし。心当たりなんて……」
「来たら分かりますよ。あ、そろそろ行かないと。後で先生来ますからね」
「はーい」
家族が見舞いに来なかったのだと気づき、少しばつが悪くなった看護師は、すたすたと歩いて病室から出て行った。
ドアが閉まると、広い病室は静かになる。
……ジジン、ババン……ウゴゴゴゴン────。
天井の空調が、唸っている。
病室には、その永徳という少年のベッドしかなかった。
通常の治療費に、追加で料金を支払っているからだ。
広くて、設備が行き届いた特別室なのだ。備え付けのモニターは大型で、ベッドから少し離れた所には、来客用のソファまである。
しかし、そのどれも使われた様子が無い。
棚の上に少年の私物がいくつかあるだけだ。
型の古いスマートホンに、イヤホン。
それに、数学、物理、地理、英語のテキスト。
閉じた小さい筆箱に、薄いノート。
三ヶ月前から代わり映えしない、無駄に物が多いだけ部屋だった。
部屋の奥に大きな窓ガラスがあるが、外界からの刺激が少なく、見渡す景色は映像のようで現実味がない。
多少変わったのは気温くらいだ。
十二月の冷たい空気が、部屋の中にも漂っていた。
呼吸をすると、口の中が少し乾く。
「まったく。どうするんだろうなぁ、僕は……」
窓の外を眺め、少年はぼやいた。
そこからは、街が一望できる。
ほんのり白い霧に包まれた風景の先に、住み慣れた街が見える。
知っている街路樹、知っている鉄塔。
高校へ通っていた、あの通学路。
その景色の奥に、少年は何度も同じ記憶を見た。
三ヶ月前、自分の身に起きた事である。
こうして入院する羽目になった、あの事件のことをだ。
あの日から少年の人生は変わってしまったのだ。
◆
病院の一階、エントランス────。
柱の横にある大時計が、一時間ごとのチャイムを鳴らした。
面会開始時間の十時を知らせる音だった。
木製の時計から鳴るアンティークな金属音が、受付から廊下の奥まで鳴り響く。
女が、反応した。
黒いスーツに身を包んだ、銀髪の女だ。
尖っていた────。
視線を移すその目つきが、
耳も、鼻が、唇も、尖っていた。
腰まである長髪の先までも、ハリガネのように尖っている。
丸みがあるのは、女性らしい腰つきくらいだ。
その尖った女は時刻を確認すると立ち上がり、受付にひと声をかけてから、エレベーターに乗った。
迷いなく11Fのボタンを押し、上の階へと上がる。
エレベーターは見た目からして古めかしく、年季を感じる香りをしており、とてつもなく揺れたのだが、女は不思議なくらい直立不動の姿勢から揺らがなかった。
エレベーターから降りると、辺りを見回し、まっすぐと歩く。
巡回する医師や、食膳を回収するワゴンを避け、目的の部屋へ向かう。
その女の風貌に、誰もが振り返った。
黒いスーツ。尖った風貌。
そして、銀色の長髪────。
まさしく、ハリガネである。
ある一室の前で、立ち止まった。
扉の脇のプレートに『小石永徳』と丸い字で書かれていた。
────コン、コン、コン。
「どうぞーっ」
中からの返事は、ノックと同時であった。
尖った女は彼の病室に入る。
黒いスーツと、ハリガネのような銀髪。
尖った目つき、尖った鼻筋、尖った輪郭。
目立つ風貌であるが、少年には見覚えが無い。
その女のことを初めて見る。
向こうも同じようで、ポケットからスマートフォンを取り出すと、画面と少年の顔を見比べ始めた。
おそらく、写真で顔を確認しているのだろう。
「僕が小石永徳ですよ」
少年は先に答えた。
尖った女は、
「ふむ」
とスマートフォンをポケットにしまい、その視線で少年を刺した。
「僕、てっきり、知ってる人が来るものかと」
「部署が違うのだ。お前の面倒は私が見ることとなった。入院生活は快適だったか?」
「不便はありませんでしたよ」
「そうか。それならメリークリスマス、小石永徳。退院だ」
「……今日ですか?」
「ああ、今日だ。着替えてくれ」
尖った女は、ベッドの脇に無地の紙袋を置いた。
少年が中を覗くと、見覚えのある柄の生地が見えた。
自分の服だ。
シワシワでヘタヘタのトランクスまで入っている。
この銀色の女が家から勝手に持ってきたのだろうか。
自分の家に勝手に入ったのだろうか。
少年は戸惑いは見せたが、大きくは驚かなかった。
つい先程の問診で、いきなり担当医から「今日、退院できるんですけど……」という話を受けていたのだ。
その時から、予感はしていた。
何かに巻き込まれる予感だ。
三ヶ月前のように、厄介ごとに巻き込まれる予感。
「外は寒いぞ。コートを用意した。お前のコートはな、探しても見つからなかったのだ。組織のものだが、これを使ってくれ。外は寒いぞ」
「はぁ、ありがとうございます……」
組織のもの、とベッドの手すりにかけられた紺色のロングコート。
少年が初めて着るタイプだった。
腕を通して、鏡を見るとまるでサラリーマンになった気分である。
◆
エントランスの二重のドアが開いた。
「うおっ、きっついなぁ……」
病院の外に出た途端、風を受けて、少年は縮こまった。
院内の空気も冷たかったが、外の空気は氷のように痛い。
「ひとまず、どこかでお茶でもしながら話したいと思うのだが……体に障りそうなら、車を呼ぼうか」
「いいえ、歩くくらいできますよ」
「それならいい。なるべく体は動かしておけ」
「……はぁ……」
動かしておけ────。
命令を含んだ言い方なのが、少し気になった。
〝動かすといい〟ならばともかく、〝動かしておけ〟だ。
それは、少年の嫌な予感を加速させる。
一般用のロータリーを抜け、駐車場を抜け、敷地内の坂道を下った。
坂道と言っても、ほんの数メートルの短くて、とてもゆるい坂だ。
わざわざ〝坂道〟と表現しなければ認識できない程度の勾配である。
その坂道のようなものを降りた突き当たりに、喫茶店があった。
雑居ビルの一階を改装した、茶色と緑を基調としたデザインである。
テラスの柱には枯れた蔦が絡まっており、自然の色をコンセプトとしているのがわかる。
流石に冬なので、それが使われている様子はない。
今のところ、店内にも客はいないようだ。
退院の手続きなどをしていたので、オープン時間の十一時は過ぎていた。
「あそこで話そうか、小石永徳」
「ええ」
「甘いものは好きか?」
「好きですよ」
「あの店はケーキと紅茶が美味しいらしい」
「へぇ、こんなところに、お店あったんだ……」
「知らなかったのか。お前の家は、ここからそんなに遠くないだろう」
「喫茶店なんて、入ったこともないですよ」
────カラン、カララン……。
女が尖った指で木の扉を開けると、ドアベルの乾いた音が中に響いた。
「寒いだろう。先に入れ」
扉を支えながら、少年にそう促した。
「えぇ、ありがとうございます。えっと……あぁ、そういえば名前聞いてませんでしたね」
「レスジー・ツァーリだ」
「……ツァーリって……」
「私はレスジーと呼んでくれ」
「レスジーさんですか……」
店の中に入ると、木材と湿度と暖房の温もりが、永徳の冷えた体を包んだ。
レスジーも中へ入り、カラン、カララン……と鳴らしながら、扉が閉まる。
「店員が、いないな……」
尖った唇が動いた。
客が来たというのに、店の者が誰も来ない。
「なんのためのドアベルなのだ」
と、レスジーがカウンターにある呼び出しベルを鳴らすと、奥から「お好きな席にどうぞー」と、甲高い男の声が聞こえる。
「ふむ。では、あそこに座ろうか」
レスジーが奥の席を指差した。
「はい」
細長い、喫茶店であった。
Y字路に建っている雑居ビルの一階ということもあって、奥に進むほど幅が狭くなる。
そこにテーブルや椅子があるので、よりいっそう狭く感じる。
それぞれが等間隔に並んでいるので、キレイな一点透視図のようだった。
永徳はその不思議な店を見回しながら、一番奥の席に座った。
座ってみるとやはり狭い。
外から見ればY字路の隅なので、とにかく幅が足りない。
永徳の正面に、レスジーが着く。
(身長173メートル。体重54キロ────)
ここに来るまでの間、永徳の頭に浮かんだ数字だ。
自分より10センチ近く背が高く、5キロほど軽い。
それが、この女の体だ。
「まぁ、なんだ。緊張することはない。私が来たのは、お前が関わった例の〝三ヶ月前の件〟について、事後処理のためなのだ」
「……ああ……」
「我々の組織と関係を持ってしまったお前は、もう無関係ではいられない。しかし、非常に曖昧な状態だ……組織としても対処に困っている」
「────何か、隠してます?」
前触れもなく、永徳が問うた。
「何だと……?」
「僕、そういうのわかるんですよ。レスジーさんは、嘘はついていないんですけど、意図的に話題にしないようにしている部分がある……そんなふうに感じます」
「……報告には聞いていたが、こういうものか」
「どうなんです?」
永徳は、真ん丸な目で、彼女の肌を観察する。
「ぉういえば、店員さんが、来ませんね。水も持ってこない」
「おかしいな」
「おかしいのはレスジーさんですよ。それを気にする様子がない。僕が指摘した、いま現在においてです。これってつまり、店員が出て来ないって知っているんですよね?」
「…………。」
「この店、誰もいないのは仕組んだからですよね」
「聞いていた通り、察しが良すぎて気持ち悪いな」
「それは本音だ……別に、わかるからって傷つかないわけじゃないんですよ」
「ならば、こちらも取り繕う必要はないだろう。おいっ────」
とレスジーは針金のような細い指で、喫茶店のマスターを呼んだ。
丸い腹と、丸い眼鏡をした、憎めない顔をした中年が、やってくる。
「はい、はい」
とメニューとタブレット端末を手にやってきた。
それらをレスジーが受け取り、
「店のケーキをぜんぶ、一種類ずつ。それからダージリンを二つだ」
メニューの方は開くこと無く、そのまま突っ返した。
「何だ」
「……いえ、別にいいんですけどね。ダージリンでも。好き嫌いとか、無いですし……」
勝手に決められた永徳の表情を無視して、彼女はタブレット端末を操作する。
「────さて、本題に入ろうか。先も言った通り、お前は組織としても曖昧な立ち位置にいる。これでは、もしもの時、お前を守れない」
「…………。」
「小石永徳が組織にとって価値のある存在だと示さなければならないのだ」
「でも、ジェイ=ナイさんはどうなんですか。あの人は僕のことを巻き込まないと言っていましたよ」
「三ヶ月前か?」
「そうですよ。そう約束したから僕は────」
「残念ながら無理だ」
「即答ですか」
「組織の方針というものはな、個人の意思でどうこうなるものではないのだ。それは……あいつは、まぁ、そう言うだろうがな。集団である以上、納得のいかないこともあるだろう」
「レスジーさんはどうなんです。納得の上でやってるんですか?」
「どうだろうな」
「……それで、結局僕はどうすればいいんです」
そう聴きはしたものの、永徳にはある程度の予想がついていた。
レスジーの言うことは、自分も理解していた理屈だったからだ。
きっと三ヶ月前と同じだ。
あれをやらされるのだ。
レスジーは答えた。
「小石永徳、お前には超能力者と戦ってもらう」