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1 ベルンハルト

1話は「再婚なんてお断り」に出てきたスカーレット王女の婚約者ベルンハルト王子のお話です。

「殿下、スカーレット王女殿下から肖像画が届きましたよ!」


 政務の息抜きに植物画を描いていたベルンハルトは小声で「また?」とつぶやいた。彼女の絵姿ならつい数ヶ月前にも送られてきた。今までは年に一度ずつだったのにどうしたのだろうか。


「殿下、またそんなそっけない態度を。花の蕾がほころぶお年頃なんですから、この数ヶ月でぐっとおきれいになられているかもしれませんよ?」

「人間が数ヶ月でそんなに変わってたまるか」


 為政者というよりは研究者という方が当てはまる性格のベルンハルトは、それでも手に持っていたペンを机に置いて従者が運んできた大きな荷物が開かれていくのを眺めた。


「今回は気合が入ってますね。肖像画ですか。おお。これはまたお美しい。やっぱりあのお年頃は……あれ?殿下?どうなさいました?」

「これは……スカーレットか?」

「スカーレット様でございましょう?乗馬をなさるんですねぇ」


 ベルンハルトは右手で口を覆ってしばし呆然として肖像画を眺めた。


「クルト」

「はい殿下」

「部屋を出ろ」

「はい?あー、はいはい。どうぞごゆっくり」


 陽気なクルトは意味深な笑いを浮かべながら部屋を出て、ドアを閉める間際にもう一度顔だけを部屋に入れて「ごゆっくり」と言ってドアをゆっくり閉めた。


(ったく。あいつには何か罰を与えてやる)


 ドアを睨んで口をへの字にした後で、絵の方に視線を向けた。

 「あの」スカーレットが楽しさを隠せないように口元を微笑ませて馬を走らせていた。背筋を伸ばして視線をピタリと前方に置き、うねりのある長い髪を後ろになびかせている。栗色の瞳はキラキラと輝いていて弾けるような生命力を感じさせた。


 いつもの絵姿だと腕や脚がドレスで隠れているが、乗馬服だとそれらの輪郭があらわになっていてハッとさせられる。今までは髪でちらりとしか見えていなかった首もはっきりと描かれていた。


「脚が……いや、腕も首も細い。ずいぶんと華奢なのだな」


 今まで送られて来た絵姿はどれも、やたらにひだを寄せた布やレースで飾られたドレスを着ていて、婚約者はその重みで不機嫌になっているように見えた。表情がなく、こちらを見据えている視線には優しさや思いやりのような柔らかいものは感じられなかった。


 人づてに聞こえてくる話では「少々気の強いご性格」とか「頭脳明晰」とかで、皆「将来の王妃というお立場にふさわしい」と締めくくる。そういう情報を聞いて絵姿を見るせいか、彼女はとても勝ち気で可愛げがないのだろうと思っていたのに。


 馬を走らせているスカーレットは、「将来の王妃」や「政略結婚」などという重荷から守ってやりたくなるような華奢な少女だった。


 七年前に決まった婚約は、当然のことながら両国間の政治的安定を目的に組まれたもので、その証拠に将来夫婦になるはずの二人は一度も顔合わせをしていない。そんなことをして「やっぱり嫌だ」と言われるのを双方の官僚たちが恐れているかのようだった。


 ベルンハルトは十七歳で、二年後の結婚式が少々憂鬱だった。

 ほのかに思いを寄せた伯爵家の令嬢もいたが、婚約者のある身なれば思いを打ち明けることも匂わせる事もできなかった。


「結婚前に遊ぶという手もあるぞ」と王弟の叔父は言うけれど、そのへんに関して潔癖なベルンハルトにはありえないことだった。


 父は幼い頃から大切にしていた幼なじみの女性を結婚後も離宮に置いていた。愛人のいる父の元に嫁いだ母は申し分のない身分の出だったが「常に心が休まらなかった。こんなことなら不祥事を起こしてさっさと臣下の騎士にでも嫁げばよかった」と繰り返し息子の自分にこぼしていた。


 そんな思いで自分を産んだのかと責めるにはベルンハルトは聡明過ぎた。なるべく母の肩を持つようにしながら両親の橋渡し役を担って生きてきた。そんな環境だったから結婚にはなんの期待も持っていなかったのだが。


 肖像画を見た瞬間に(この少女は自分が守ってやらねば)と思った。ベルンハルトは肖像画を見てスカーレットとの恋に落ちたのだ。


 早速手紙を書いた。


『肖像画を受け取りました。乗馬が好きなのですか。

 僕も乗馬が好きです。馬を走らせている時の、目の前の景色にだけ集中しているあの時間が好きなのです。

 スカーレット、君がとても華奢なので驚きました。僕の婚約者は守ってあげたくなるような可憐な少女だったのですね。それに微笑んでいる顔が美しくて驚きました。』


 ここまで一気に書いて読み返し、「どこのいかれ野郎だ!」と便箋を丸めて投げ捨て、もう一度書き直したものの、こちらの方がよほどいかれ野郎になっていたので再び便箋を丸めて投げ捨てた。


「書けない……」


 形式に従った無難な手紙なら一度で間違いなく書けるはずの自分なのに、何度書いてもいかれ野郎になるか無愛想な野暮天になるかだった。


 その夜、やっと上品でいながらスカーレットの美しさ可憐さに心を奪われたことを告げる手紙を書き終えたとき、ベルンハルトは書類仕事の何十倍も疲れていた。


 手紙を封筒に入れて、封蝋に家紋のスタンプを押してから(そうだ)と思いついて趣味の植物画を二枚添えて、上品な小箱にそれらを収めてから従者のクルトに手渡した。


「なるべく急ぎで頼む」


 ニヤニヤしながら受け取るクルトの腹に軽く一発拳を入れたが、とことん鍛え上げられている身体のクルトはうめき声も出さずにニヤついたままだった。


「殿下、気が付きました?後ろに書いてある言葉。なかなか気の利いた画家のようですね」


 言われて急いで絵の後ろを探すと、絵の右下に走り書きで「勝利の女神」とあった。

「ああ、たしかにそんな感じだな」と声に出すとクルトが半開きのドアの向こうから「殿下、お顔!」とひと言だけ言って急いでドアを閉めた。


(顔?)と思いながら壁の鏡を見ると、幸せそうに緩んだ自分の顔が映っていた。







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