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それでも物語はシナリオに沿って

 そして、月曜日の午前八時四十五分、取引前から画面を見ていた小山は、買が三十万に対して、売りがわずかに千二百、しかし不思議なことに開始値が上がらないことを不審に思ったが、これだけの買いがあるんだ、値はつかないはずだと思って微笑んでいた。

 しかし、九時前、あっという間に買いの三十万が消えて、売りが三十万に膨らんでしまった。

「ええっー、ど、どうしたんだ!」小山は顔面蒼白になった。

値は売り買いの数字を変えながらどんどん下がっていく、二千百円が千八百円になっても取引ができない。値はどんどん下がり千七百円を割ったが、まだ取引が成立しない。

「くそっー、純也の野郎!」彼は鬼のような形相をして純也に電話を入れたが繋がらず、慌てて純也の家に向かった。


 一方純也は、居間でパソコンの画面は開いていたが、ただボッーと見ているだけで、何も考えていなかった。

 値は下がり続け、ストップ安の千五百八十円になってしまったが、それでも取引が成立しない。

「やっぱり下げたか……」純也は画面を見ながら鼻で笑った。


 そんな純也の家の外では、車の中から彼の家を見守る者がいた。

 中野の娘が亡くなったことを知った島田は、

「もしかしたら、親父さんは動けないかもしれない、もうどうなってもいいと思っているかもしれない。今日の株式のことなんてもう頭に残っていないかもしれない」

 そんなことを心配して、部下二人に純也の家を見張らせていた。


 九時四十分、慌てた小山が顔面蒼白になって純也の家に駆けこんだ。

「暴れだしたら取り押さえろ」そう支持を受けていた二人は、建物に近づくと家の様子を伺っていた。


「純也! ふざけるな、下がったじゃねーか、どうしてくれるんだっ!」

 母親は慌てて部屋の隅に行くと俯いておどおどしていたが

「はあー、どこが下がってるんですか?」

「見てみろ、ストップ安になっても取引が成立しねーじゃねーかっ」

「何を言ってるんですか、これはストップ高になる典型じゃないですか」

「えっ…… そ、そうなのか?」

「もう、何なんですか、このまま三時前までいって、三百万くらいの買いを一気に浴びせるんですよ。そしたらあっという間にストップ高ですよ。ストップ高になっているのは、すべてこんな形になるんですよ」

「そ、そうなのか…… す、済まなかった。大きな声出して悪かったな、まっ、気にするな」

小山はソファに腰を下ろしたが

「すいませんけど、帰ってくれませんか、三時になって、ストップ高じゃなければ今みたいな勢いで来てくださいよ」

「で、出かけるのか?」

「出かけないけど、母さんがこわがっているじゃないですか」

「そ、そうか…… でもお前、逃げるんじゃねーだろうな、」

「なんで逃げるんですか、俺だって祖父ちゃんに無理言って二千万円出してもらったんです。二日後には、一千万近く儲かる予定なんですよ。なんで逃げるんですか!」

「そ、そうか…… わかった」

そう言うと彼はテーブルの上に置いてあった純也の携帯を手にした。

「俺の携帯に触るなっ」彼は慌てたが

「預かっとくぜ、人質だ、三時過ぎにゃー返してやる」


 小山が家を出ていくと

「中野さんは来てくれないだろうな…… 逃げるか…… 」

小山が立ち去った後、純也は考えていたが、彩奈の死によって、目標を見失ってしまった彼は、投げやりになってしまったことで、かえって腹が座ってしまった。


 殴りたいだけ殴らせて、知らないって言い張るか…… 


 相変わらず東西工業の画面はピクリとも動かない。


( でも、中野さんのだけは、何かあったらいけないし、今日の終わりで買い戻すか? でも、二万八千五百株かー、これだけの買いが入ると、明日はおかしなことになるかもしれないなー )純也はボッーと見つめる中でそんなことを考えていた。

しかし、一時を過ぎると、少しずつ感覚の戻り始めた彼は、恐ろしくなってきた。


( もし、小山がやくざでも連れてきたらどうするんだ…… 知らないって言い張っても信じてくれないかもしれない、やばいぞっ、くそっー、でも、中野さんが来てくれるかもしれない…… いや、もう魂の抜け殻みたいになって、約束なんて覚えていないかもしれない…… くそっー )


 そして二時を過ぎると、

「本当にやばいぞ、どこかに逃げるか? でも、あいつのバックにいる奴が見張っているかもしれない」

はっとして二階に上がってカーテンの隙間から外に目を向けると、見知らぬ車が止まっていた。よく見ると車の中に男が二人いる。

「くそっー、昨日のうちに逃げた方が良かったか…… 」

もうどうにもならないと思った彼は中野に電話を入れようかと思ったが、携帯がないことに気づいて

「くそっー、もう駄目か…… 電話番号は覚えていないし、くそっー」


 そして二時半を過ぎると、再び小山がやって来た。

「おい、純也、大丈夫だろうな」語気は強いが、彼は青白い顔をしていた。

「うん、大丈夫のはずだよ」

「おい、ちょっと弱気になったんじゃねーのか、朝みたいに元気がねーじゃねーか」

「はあーっ、昨日知り合いが亡くなったんだ、落ち込んでんだよ」

「そうか、まあ、いい」

 なんとなく状況を察した母親がそっと二階に上がろうとすると

「ここにいろっ」小山の一声で彼女は震え始めた。


 一方、二時半になると島田は待機している車にやって来て悩んでいた。

( 親父さん…… 来ないのか? 義理がたたないだろう……)

二時四十五分になると、彼はついに思い余って中野にメールを入れた。


『 親父さん、お嬢さんのことは聞きました。無念です。

だけどもうすぐ三時です。義理は欠かせないでしょ 島田』


その頃、中野は葬儀会館、彩奈の棺の前で旅立った娘を見つめていたが、ふっとメールに気が付くと、開いて驚いた。

「あっ、やばい、」

時計を見ると二時五十分、二十分はかかる、会館を飛び出した中野は百mほど離れた交番に駆け込むと

「おい、捜査一課の中野だ」

「はい、知ってます」デスクに座っていた巡査が慌てて立ち上がった。

「暴行事件だ、すぐにパトカーだしてくれっ」

「はいっ」


 こうして中野はパトカーを飛ばしたがサイレンは鳴らさなかった。


 一方三時になると、島田は外から様子をうかがっていた。

 小山が暴れだしたら、行くしかない、親父さんに恥をかかせるわけにはいかない、そんな思いで身構えていた。


 家の中では、三時をむかえてクロージングの動きが始まったが、東西工業はストップ安のまま、出来高0で動かない。

「純也、てめえー、どうすんだっ、ふざけるなっ!」立ち上がった小山の右の拳が、純也の左頬をとらえた。

ガツン

「ううっ」よけようとした純也だったが、床に吹き飛んでしまった。


「きゃあーっ! やめてっ!」母親の悲鳴とともに島田が玄関に手をかけたその時だった。猛スピードで突っ込んできたパトカーから中野が降りてくるのを見た彼はほっとして微笑んだ。

「済まねえ」中野が走りよると、島田は目で頷くと玄関を開けた。


「邪魔するよっ」部屋に駆け込んできた中野を見た瞬間、ほっとした純也は体の力が抜けていくのを感じてぐたっとなったが、母親は、見知らぬ男の乱入に

「もう殺されるかもしれない」小声でささやくと両手で顔を覆って泣きはじめた。


一方、倒れこんだ純也の胸ぐらをつかんで二発目を振り上げていた小山も驚いた。

「てめえ、何だっ!」彼が鬼のような形相で叫ぶと

「お前こそ、何してんだ」怒りに満ちた中野の低い声が襲い掛かるが、我を失っている小山は

「うるせー、てめーは誰なんだっ」怒鳴り散らすだけだった。

「その子の保護者だっ!」

「何だとー、じゃあ、こいつに変わって責任を取るんだなっ!」

「何の責任だ!」

「うるせー、おらー、こいつのせいで五千万も損したんだ。どうしてくれるんだ」

怒り狂っている小山を見て、こりゃ駄目だ、話ができない、そう思った中野は

「事情が分かんねえと、責任がとれねーじゃねーか」トーンを変えて話しかけた。

「何だとー、責任取るのかっ」

「まあ、状況を説明しろ、とりあえず座らねーか」

「あ、ああ、その代わり責任取れよ」


 その後、少し落ち着いてきた小山がここまでの状況を説明すると、中野はとりあえず電話を入れてパトカーを帰らせ、

「お前の言いたいことはわかったよ。だけどよ、その二億を借りたのは誰なんだ?」静かに尋ねた。

「そりゃー、俺だ、だから困ってんだ」

「それで、その二億で株を買ったのは誰なんだ?」

「それも俺だ、それがどうしたんだ」

「どうしたもこうしたもないだろ、すべてお前の自己責任じゃねーのか」中野が呆れたように言うと

「なんだとー、このくそガキが、上がるっていうから買ったんだ。こいつのせいなんだ」

 小山は純也を指さして声を荒げる。


「それじゃー何か、お前は何でもこの子の言うとおりにするのか?」

「なんだとー」

「この子が、二度とここに来るなって言えば来ねえのか?」中野がおちょくるように話すと

「ふざけるなっ、子どもの喧嘩じゃねえんだぞ、くそみたいなこと言うなっ」


 一方、もう駄目だと思って諦めかけていた母親は、敵だと思っていた男が、小山に向かっているのを感じて、もう頭の中はぐちゃぐちゃになってしまい、ただ茫然と成り行きを見守っていたが、純也は中野が来てくれただけでもう安心しきっていた。


「それにお前さー、五千万円って言ってたけど、今日ストップ安なんだろ、明日もストップ安になったら、さらに四千万くらい損するんじゃねえのか?」

「そ、その通りだ! 純也、どうすんだっ、ただじゃ済ませねえぞっ、てめえが払うんだぞっ、わかってんのかっ」小山がすごい剣幕で純也を睨み付ける。

「お前よ、そんな話は通らねえよ。誰にでも聞いてみろよ。みんなお前の自己責任だっていうよ。ましてそれを子供のせいにするなんてありえないだろ」

中野が静かに諭すように話すが

「うるせえ、お前も保護者だっていうんだったら、覚悟しろよ。俺のバックにいる奴が黙っちゃいねえからな」

「ほおーっ、バックにそんなすごいやつがいるのか」

「おおよっ、人殺しなんてなんとも思ってねえ奴がよっ、俺が一声かけりゃ飛んでくるんだ、わかってんのか!」

「そりゃ、やばいな…… 」そんなことを言いながらも中野は笑っていた。


「今すぐ電話して呼んでもいいんだぜ」

「まっ、ちょっとそれは待ってくれ、そりよりだいたいお前は誰から二億も借りたんだよ」

「し、島田っていうやつだ」

「島田って、島田コーポレーションの島田か?」中野がとぼける。

「そ、そうだ、その島田だ」

「なーんだ、島ちゃんか、あいつならよく知っているんだ。俺が話をまとめてやるよ」

「ほ、本当か、仲がいいのか、話をつけてくれるのか」小山は急に態度を変えた。

「ああ、任しておけよ」


 中野が電話を入れると、外で待っていた島田がすぐに上がり込んできた。

「失礼します。上がらせていただきます」彼の礼儀正しさが伝わってくる。


 母親は新たな客に、もう訳が分からず、頭がくらくらしていたが、純也は中野が呼びつけた人だからと思って安心していた。


「島田さん、済まねえ」小山は島田を見るとすぐに詫びを入れたが彼は見向きもしないで

「親父さん、彩奈さんのことはとても残念です。心よりお悔やみ申し上げます」深々と頭を下げた。

それを聞いた母親は、

( この人が中野さんなのか、今日はお通夜のはずなのに、来てくれたんだ。私たちを守るために来てくれたんだ。なんて人なの、こんな人もいるんだ……! )

そんなことを思いながらうっとりとした表情で彼に見入っていた。


「ありがとうな、お前にゃー、最後まで心配かけてすまなかった。感謝してるよ」

「いえ、とんでもないです」


「ところでよー、この小山っていうやつがよ、お前から二億円借りたらしいけど……」

「はい、間違いなくお貸ししています。借用書もあります」彼は胸の内ポケットから一枚の紙切れを取り出した。

「それでよ、この男はその二億円で東西工業の株を買ったんだけど、今日、ストップ安になってしまって、五千万くらい損したらしいんだ」

「そのようですね、とても残念です」

「それで、この男が言うには、そこにいる純也君が上がるって言ったから買ったらしいんだ。どう思うよ?」

「中野さん、私には関係のない話ですよ。私がお貸ししたのは小山さんです。この少年との間にどんなやり取りがあったのかは知りませんが、それは私が関与するところではありません。私はあくまでお貸しした小山さんからお返しいただきます。これは貸し借りの鉄則ですからね」

「違うんだ、島田さん、違うんだ。こいつに責任があるから、俺に代わってこいつが借金を払うって言っているんだ」

「えっ、そういうことなんですか? 純也君とか言ったよね」

「はい」

「君はこの小山さんの借金を肩代わりするつもりがあるのかな?」

「とんでもないです。この人が勝手に借りたんです。俺は関係ないです」

「てめえー、ふざけんじゃねーぞ」

「ちょっと静かにして下さい。彼の言っていることはその通りだと思いますよ。仮に彼が絶対にあがるからって言っていたとしても、それをどう考えるかは自己責任でしょ。この純也君には全く関係のない話だと思いますよ」島田が呆れたように話す。

「し、島田さん、違うんだ。こいつがこれから稼いで、払っていくから、それまで待ってくれないか、お願いだ」

「待つのはかまわないですよ。証書にある通り、最初の一週間は無利子ですが、その後は年五%で利子がついていきますけど……」

「そ、そんなことは聞いていないぞっ」

「何を言ってるんですか、ちゃんと証書に書いてありますよ」

島田が証書をちらつかせる。

「だ、騙したのか……」

「ちょっと待ってくださいよ、担保はいらないって言いましたけど、それ以外は何も言っていないですよ。無利子だなんてありえないでしょ」


「く、くそっー、な、中野さん、あなたは話をまとめてくれるって言ったじゃないですか」

「おお、そうだった。島ちゃん、それでこの男の借金はどうなるんだ? とても払えるとは思えないけどよ」

「それは仕方ないです。この株はおそらく後二日、ストップ安が続きます。結果としてこの小山さんの二億は六千万円程度になると思うんです。私共は、この債権を二千万円である人材派遣会社に売却するつもりです。今朝、その打ち合わせも済んで話もついているんです」

「でも、それだったら、島ちゃんは大損じゃねえか?」

「いえいえ、大丈夫です。この東西工業の株、金曜日に三億円空売りしていますから、おつりは来るんです」


「そ、そうなのか、じゃあ、俺の分の補填ができるじゃねえか、良かった」

黙って話を聞いていた小山が安心してほっと一息ついたが

「何がいいんですかっ、これは私の利益ですよ。あなたの損失とは何の関係もない」

蔑んだ目で島田が吐き捨てるように言うと

「し、島田さん、そんな冷たいこと言わないでくださいよ。一緒に運気を上げていこうよ」

「ふざけないでくださいよ。あなたみたいな人間に関わってもろくなことが無い、あなたと会うたびに運気が下がって、取り戻すのが大変だったんですよ」

冷たい島田の視線は変わらない。

「な、何だって……」小山の思いがフェードアウトしていく。


 純也はこのやり取りを呆然と見守っていたが、母親は依然として中野に見入っていた。


「それで島ちゃん、この男はどうなるんだ」中野が尋ねると

「おそらくその会社からどこかに派遣されて、仕事をしながら少しずつ借金払いしていくことになるでしょうね」島田から笑みがこぼれる。

「ふ、ふざけるな、そんなことになるんだったら自己破産するよっ」小山が声を荒げると

「そんなわけにはいかないですよ」島田が微笑んだ。

「ど、どういう意味だ!」

「いまねー、アフリカのどこかの山奥で鉱山の採掘をしているんですけど、機械が入らなくて困っているんですよ。おそらくそこに連れて行かれるんでしょうね」島田が遠く一点を見つめたまま諭すように話すと

「ふ、ふざけるなっ、そんなところにゃー絶対に行かねーぞ」小山は唇をかみしめたが

「はははっ、あなたの意思なんて関係ないですよ」島田は笑い飛ばした。

「ど、どういうことだ」

「だって、行きたくないって泣き叫んでも、連れて行かれるんですよ」

「誘拐と一緒じゃねーか、俺は空港で叫ぶからな」彼の狼狽ぶりが伝わってくる。

「はははっはははっ、面白い、あなたは非常に面白い。飛行機でゆったりと連れて行ってくれるって思ってんですか? 救いようがない。貨物船ですよ。遊ばせてはくれないですよ。貨物船の中で働きながらアフリカに向かうんですよ」

「なっ、何だって……」

「おいおい、島ちゃん、法律にはふれないのか?」

「私にもわかりませんが、今のは私が聞いた話です。うちとすれば、改修不能な債権を譲渡するだけなので全く問題ないです。まっ、そのあとがどうなろうが私が関与することじゃないので……」

「そうか、それならいいよ」

「な、中野さん、話付けてくれるって言ったじゃないですか……!」

「ああ、良かったじゃねえか、ちゃんと仕事して借金払いすることがきるんだ。ちゃんと話はついたじゃねえか」中野がまじめな顔をして話すと

「そ、そんな……」小山は俯いてしまった。

「そうですよ、人間真面目に働くのが一番ですよ」島田が微笑むと

「おい、島ちゃんがそれ言うか?」中野が面白がった。

「はははっはは、でもね小山さん、労働環境はいいですよ。朝六時に起きて、体操して、朝食をとって仕事は八時三十分から五時までです。お昼も一時間は休みがあるし、十時と三時にも十五分の休憩があるらしいですよ。三食付いているんですよ」

「……」

「何か娯楽はあるのか」中野が尋ねると

「まっ、テレビだけらしいですけどね」島田があっさりと答えた。

「だけど、言葉が分かんねえだろ」

「いや、だんだんとわかるらしいですよ」

「まっ、慣れてくるってことか…… だけどよ、そんなところで仕事して借金が払えるのか?」

「そうですね…… うちが二千万ですから、会社の方はおそらくその倍以上の五千万円で考えているでしょうね。年五%ですから利子だけで年間二百五十万円ですよね。一日二万円として二百五十日働いて五百万円、食費諸々引かれて、一年に五十万円の支払いですか?」

「おいおい、何年かかるんだよ」

「まっ、それは仕方ないですよ。借金したんだから、償いはしないと……」

 二人は小山を脅しながら話を楽しんでいた。


「そうかい、わかったよ。そんなところに行かされるくらいなら死んでやるよ、くそっー」

 小山の目が座っていた。

「それは残念ですね、あなたが亡くなればその償いは家族がすることになりますよ」

「ふん、おれにゃー、家族なんていないよ」

「そうですか、娘さんがいるでしょ、高校生の……」

「な、なんの関係があるんだっ!」

「美人らしいじゃないですか、派遣会社が言ってましたよ、父親が死んでも娘が使えるって…… まっ、女子高生がアフリカに連れて行かれることはないと思いますけどね、まっそれなりに簡単に稼ぐ方法はありますよね」

「ふ、ふざけるなっ…… なんて野郎だ、くそっー、なんでそんなむごいことができるんだ、くそー」

「何がむごいんですか、あなたのやって来たことに比べればかわいいものですよ。ここの家で奥さんや純也君になんど手を上げたんですか、何度蹴ったんですか? 何度も何度も金を無心して、あなたみたいな虫けらは見たことが無いですよ」

「てめえ、騙したんだな、最初からグルだったのかっ、」

「違いますよ、今日のお昼に、聞いた話ですよ、まっそんなことはどうでもいいでしょ、現実は、あなたが二億の借金をしてそれを払うことができない。だから私はその不良債権を処分する。それだけのことですよ」


 この時、純也は中野が島田に依頼していたのだということを直感したのだが、本当にこんなことをしていいのだろうかと、そんなことを考え始めていた。


「まっ、それじゃあ、話もついたし、なっ、純也君」中野が彼に目を向けると、彼は唇をかみしめたまま俯いていた。

「おい、純也君、大丈夫か……」中野は一瞬彼の表情に驚いたが

「迷っているのか?」優しく問いかけると

「……」彼は曇った顔を上げると、唇をかみしめたまま目で小さく頷いた。

「確かに、復讐ほど虚しいものはない。復讐するまでは一生懸命にそのことしか考えていないから突っ走ってしまうけど、その後、言い知れぬ虚しさに襲われることになる。復讐しても喜びや達成感は一瞬で消えてしまう。後は後悔と虚しさが残る…… 俺も仕事がら、復讐に燃えて罪を犯した人間を何人も見てきた」


「純也、頼む、助けてくれ、何とかしてくれ、お願いだ。もう二度とここには来ない。お願いだ、アフリカなんて行かせないでくれ、娘に罪はないんだ、お願いだ」

ここぞとばかりに小山が哀願する。


「黙ってろ!」中野が小山を睨み付けた後

「この前も、そんな父親がいた」ふっと遠くを見つめた。

「……」純也が中野に目を向けると

「娘さんが強姦されてね、自ら命を絶ってしまった。その犯人が一年後、仮釈放されて出て来たんだ。その日を一日千秋の思いで待っていた父親が、その男を刺して命を奪ってしまった」

そこまで話した中野は俯いてしまった。


 しばらくして、

「取り調べをしながら、痛いほどその気持ちがわかったよ…… その父親が言っていたよ。そいつを刺した時、『やったぞ、これであの子の仇は取った。これであの子は救われる』って思ったらしい。でも一時間もしないうちに、ふと娘の悲しい顔が浮かんできて『本当にあの子は喜んでいるのか? あの子は泣いているのかもしれない』って思ってしまったら、涙が出て来て、とんでもないことをしてしまったって、想像したこともないような激しい後悔にさいなまれて、そのまま自首してきたらしい。『死ぬまでこの後悔は消えないかもしれない、でも背負っていきます』って…… 復讐っていうのはそういうものなんだ……」

 中野は純也の思いに沿ってここまで手を貸してしまったが、まだ十七歳のこんな少年にこの後悔を背負わせてしまっていいのだろうかと自問していた。まして、この少年は最愛の娘の最期に灯をともしてくれた少年だ、感謝してもしきれない、その少年の将来に闇を引きずらせてしまうかもしれない、そんな不安が中野を襲っていた。

 

 純也の瞼に涙が浮かぶ。

 

「中野さんの言うとおりだ。復讐を遂げた私にはその後悔がよくわかる。だから純也君、私は君の思いに従うよ」島田が優しく微笑むと、中野は(えっ、何の復讐だ?)と不思議に思ったが、純也は大きく頷いた。

「僕が二千万円払います…… 」

その純也の言葉を聞いて、

( なんで二千万も持ってんだ? )小山は不思議に思ったが、それでも何とか逃れたいという一心な思いが彼の哀れさをさらに誇張させた。


「ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。何かあったら何でも言ってくれ、君のためなら何でもするよ、本当にありがとう、もう絶対にここには来ないから…… ありがとう」

 涙ながらに何度も頭を下げて礼を繰り返す小山を見て純也も目頭が熱くなったが、その時だった。


「だめ、純也、だめっ、絶対にだめっ」先ほどまで穏やかな表情で静観していた母親が突然声を張り上げた。


 皆が驚いて彼女に目を向けると

「純也、お願い、絶対にだめっ、この男は口だけっ、反省なんてしてないっ、絶対にだめっ、絶対に、またここにやってくる! お願いだからアフリカでもどこにでも行かせてっ、お願い!」 彼女が悲壮感を漂わせて懸命に訴えたが、決して小山には目を向けなかった。

「母さん……」


 中野はその様子を見ながら

( よほど怖かったんだろうな…… そりゃ、そうだよな、この人が一番の被害者なんだ。殺して欲しいぐらいの思いだろうな。何度も蹴られて殴られて、金もむしり取られて…… そりゃ仕方ないわな )

そんなことを思っていたが、それでも純也に闇を引きずらせたくない彼は

「お母さん、大丈夫ですよ。この男には絶対に、指一歩触れさせない。この家には一歩たりとも入らせない。何かあれば私が守りますから……」と優しく彼女に囁いた。


 一瞬顔を上げて中野を見つめた母親だったが、何度も顔を振って

「だめ…… お願いだから……」と最後の抵抗を示した。が、それはあまりにも弱々しく消えいるようだった。


「奥さん、こんな屑でも、娘はかわいいんですよ。二度とここに来るようなことはしないと思いますよ。それにもし何かあれば、私だって全力でサポートしますから……」島田が諭すように話したが、母親は依然として顔を伏せたまま小さく頭を振った。


 小山は祈るような思いでその様子を見つめていたが、

( このばばあっ、覚えてろよっ、ぐずぐず言いやがって )思わず彼女を睨み付けてしまったが、三人は彼女を見つめていたので誰もその小山には気が付かなかった。


「大丈夫です。母さんは説得しますから…… この人の娘さんまでがどうにかなるんだったら、とてもできない。仕方ないです。ここまででいいです。ありがとうございました」

純也が、二人に向かって微笑むと小山は身体の力が抜けてしまって、その安堵が皆にも伝わってきた。

「ありがとうございます。本当にありがとございます。心を入れ替えて、まじめに働きます。もう、ここには近づきません。感謝します」

 小山はうなだれたまま極限の感謝を演出したが、その様子を侮蔑の眼差しで見ていた島田は苦笑いをした。


「後はどのようにしたらいいんでしょうか。二千万円はお支払いします。それだけでいいんですか?」

「ああ、それで十分ですよ」島田が微笑むと

「でも、ストップ安が三日続いたとしても、二億のうち、四~五千万円は残ると思うのですが…… それだったら、そちらをとる方が……」

「いや、いいんですよ。こんな屑みたいな男とは早く離れたいんです。関わっている時間は極力少なくしたいんです。それだけのことなんでよ」

「そ、そうですか、それは助かります。私はおつりがくると思います」

「いいよ、いいよ、君がとっておけばいいよ」

「は、はい……」

 そのやり取りを見ていた中野は

( なんかおかしい、今日の島ちゃんはなんか違うなー、金にはびしっとしている男なのに…… えっ、惚れたのか? )そんなことを思いながら純也の母親に目を向けたが、彼女はキッチンのテーブルに肘をついて両手で顔を覆っていた。


「それじゃあ、これは処分しますよ。島田はスーツの内ポケットから一枚の紙切れを取り出すと、純也の母親の前をとおり、流しに行くとライターで火をつけた。

 通り過ぎる島田を見ていた母親は、彼が火をつけると

「だめ、やめて、お願い」力なく叫んで、再びテーブルに伏せると泣き続けた。


 一方で小山は「よっし!」心で叫んでガッツポーズをした。


 純也は母親のそばに行くと肩に手をかけて

「母さん、大丈夫だよ。今日からは静かに暮らせるよ」優しく語り掛けたが、彼女は顔を伏せたまま「ありえない、絶対にありえない」かすかな声で訴えるだけだった。


「みなさん、ありがとうございました。本当に感謝します」

「二度とここに近づくんじゃねえぞ」中野が睨み付けると

「はい、わかってます」小山は応えた後、島田の方を向いて

「島田さん、借用書は灰になってしまったんだから、もう俺の借金はないんですよね」

「そうですね、借用書が燃えて灰になれば、あなたの借金の証拠は何もないですよね」

 島田が苦笑いした。

「そうですよね。純也、感謝するよ。それでよ、さっき、変な話をしていたよな」安心した小山が豹変した。

「えっ」

「俺の取引口座に残る五千万がお前のもののような言い方してたけどよ、どうしてお前のもんなんだよ。俺の借金はもうないんだぞ。誰が見たってあれは俺のものだろっ? えっ、違うのか?」

 小山が鬼の首でも取ったかのように勢いに乗って話し始めると、中野と純也は目を丸くして顔を見合わせた。


「ふざけるんじゃねーぞ、調子に乗りやがって、この礼はさせてもらうからよ」

小山が悦に入って純也を睨み付けると

「おい、てめーこそ、ふざけんじゃねーぞ、ここには来ないって約束しただろっ!」中野が声を荒げた。

「そんなこたー、覚えてねーよ。あっ、そうだ、思い出したよ、思い出したけどよ、あれは今日の話だ、今日一日だけのことだ。だから明日にならりゃー、ご破算よっ、はははっはははっ」

 その笑い方がなんとも腹立たしい。

「お前はどこまで腐ってんだ!」

「なんとでも言えよ、おっさんよー、おめー、刑事かなんか知らねーけど、意味もなしに俺に触ってみろよ、ただじゃ済まねーぞ、わかってんのか、おらー!」


 小山はこのあたりの所は天才的な嗅覚をしていた。彼は、中野が刑事だとわかった時に、今後はうかつなことはできないと思ったが、それでも問題さえ起こさなければ、警察は何もできない、どんなに罵倒しようが、彼らは絶対に手を出さない。さらに島田が暴力団関係者でないことはわかっているから、借用書が無くなれば何も怖いものはないと思っていた。


「だから言ったのよっ、そんな男なのよ、だから言ったのに……」突然母親が泣き叫んだのをみて、純也もしまったと思った。


「おい、ばばあ、ふざけんじゃねーぞっ、ぐずぐず言いやがって、覚えてろよ。明日からかわいがってやるからなっ」彼が怒りをぶちまける。

「おい、この二人に指一本でも触れてみろ、ただじゃ済まねえぞっ、よく覚えておけよ」中野の威圧感が半端ない。

 小山は一瞬息をのんだが、

( こいつらはどすをきかすだけだ、捕まるようなどじふまなきゃ、何もできねー )

 自らに言い聞かすと

「おい、刑事さんよ、どこの所轄か知らねーけどよ。俺はよ、このばばあの内縁の夫なんだよ。夫婦なんだからよ、殴り合いのけんかすることだってあるぜ、できの悪いむすこにゃー、げんこつの一つや二つ、必要なこともあるぜ、そんなところへ刑事さんがわざわざ口出しすんのかい? えっ、どうなんだよ?」こんな場面では信じられないほど口が立つ。


「まあ、好きにしろ」中野が低い声で呟くように言うと

その言葉に小山は

(こいつはやべぇぞ、当分は来れねーな )そう思ったが、それでも腹の虫がおさまらず

「まっ、朝から晩までへばりついてろよ。それじゃーな、島ちゃん、ありがとよ」

彼は最期の悪態をついて玄関に向かった。

 

 中野は、

( こんな奴がいるのか…… なんか、次の手を考えないといけないな )そんなことを思ってふっと島田に目を向けると、彼は苦笑いをしていた。

( えっ、島ちゃん、何か策があるのか? )中野がそう思った時だった。


「何すんだっ、てめら、ふざけんなよ、離せっ!」

 玄関で小山の怒鳴り声が響いて皆が唖然とした。


 するとすぐに、二人の男に首根っこをつかまれ小山が居間に押されるように入ってきた。

「小山さん、借金を踏み倒して逃げるんですか? それはないでしょ」島田が微笑むと三人は驚いて顔を上げた。

「な、なにが借金だ。ふざけんじゃねえぞ、おい刑事、こんな暴力が許されるのかっ、何とかしろっ」

 小山が声を荒げたが

「暴力のようには見えないけどなー」中野もとぼけた。

「ふざけるな、はなせっ!」二人の男が放すと、小山は部屋を出ようとしたがその男たちに遮られ、振り向くと

「島田さんよ、こりゃ、何の真似だよ、ふざけんじゃねえぞ」再び声を荒げたが

「いやいや、二億の借金はどうしてくれるんですか?」島田が微笑むと

「何だと、借用書は燃やしただろっ、どこに証拠があるんだっ!」小山はいがるように大声を上げた。 


「ええっー、借用書はここにありますよ、ほらね、あなたのサインと母音もついてるじゃないですか」

 彼が胸ポケットから取り出した借用書を小山の目の前でちらつかせると

「なっ、何だとー、騙したのかっ!」小山は大声を上げた後、唇がプルプルと震え始めた。

「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。騙したのはあなたですよ。私は騙されないようにしただけですよ」

「ふざけるな、借用書は燃やしたから借金の証拠はないって言ったじゃないかっ」

「はあーっ、あっ、確かに言いました。私は、『借用書が燃えて灰になれば、あなたの借金の証拠は何もないですよね』って言いましたけど、燃えていないんだから、証拠がありますよ」


「ゆ、許してくれ、冗談だったんだ、本気じゃないんだ、二度とここに来るつもりはなかったんだ。腹が立ったから、言うだけ言いたかったんだ。許してくれ、絶対にここには来ないから、お願いだ。純也、済まない、本当なんだ。ここに来るつもりなんてないんだ。お願いだ」

慌てた小山は顔面蒼白になって、懸命に言い訳を始めた。


 純也の母親はなぜか姿を消してしまったが、彼は小山の豹変ぶりにただ驚かされ、もう何がなんなのかわからなくなっていた。


「小山さん、あなたの言っていることはわかりますよ。確かにあなたの言う通り、今は腹立たしさから言いたいことだけ言ってから、帰ってやれって思ったのでしょう。私にはよくわかります。刑事までがかかわっているのに、あなたに、再びこの家を訪れる勇気があるとは思えない。だからあなたの言っていたことは、口先だけなんだって、私は思いますよ。でもね、あなたみたいに腐った人間は、時間が経つと必ずここに戻ってきますよ。念入りに状況を調べて、ある日突然ここにやって来て、また平気で手を上げる。あなたはそういう人ですよ。少なくても奥さんは、あなたと言う人間を見抜いていたんでしょうね」

 島田が冷たい視線を向ける。


「ち、違うんだ、お願いだ」小山の哀れさが半端ない。

「小山さん、今のあなたをみても誰も同情する人はいませんよ。哀れで愚かな屑なんだなーという侮蔑しかないですよ 」

「頼む、お願いだ、助けてくれ」彼は今にも泣きだしそうだった。


「最初に言ったように、この借用書とあなたをある人材派遣会社へ引き渡しますので、そこでお願いしてみてください」

「許してくれ、お願いだ、純也、助けてくれ、娘がかわいそうだ、お願いだ!」

彼の声にもう力はなかった。

「連れて行ってくれ」島田が二人の男に命令すると、

「お願いだ、助けてくれ、許してくれ」小山の最期の叫び声がこだましたが、彼は車に乗せられ姿を消した。


「ふうっー、島ちゃん、脅かさないでくれよ。俺は次の作戦を考え始めていたんだよ」

「すいません、敵を騙すにはまず味方からって…… でも親父さん、何か感づいていたんでしょ、ちらっ、ちらって、見ていたじゃないですか……」

「ああ、なんか変なこと言うなーって思ってたけど、まさかねー」


「ありがとうございました。なんとお礼を申し上げたらいいのやら、本当に感謝しています」

知らない間に二人のそばに来ていた母親が深々と頭を下げると、島田はドキッとした。


「私たちは大したことはしていないですよ。すべては純也君が仕組んだことです。私も彼には驚いています」中野が微笑むと

「とんでもないです。私が愚かなばかりにこの子にも迷惑ばかりかけて、でも、もう目が覚めました。お二人には本当に感謝しています」

この対応に中野と島田は驚いた。

少なくても、純也から詳細を聞かされていた中野は、彼女のことを礼儀も知らない馬鹿っぽい女、昼間から酒を飲んで年甲斐もなく若い男にもたれかかるようなどうしようもない女、そんなイメージを持っていた。

しかし、目の前で微笑んで頭を下げるその女性が、思っていたよりも相当に若く、いつの間に化粧を直してきたのか、美人で、なによりも大きな瞳が、とても馬鹿な女には思えない。


 驚いた中野が

「ええっ……、お若いですね、びっくりしました。失礼ですがおいくつですか?」と問いかけると

「親父さん、セクハラですよ」島田が微笑んだ。

「あっ、これは失礼しました」中野が慌てたが

「いえ、大丈夫です。三十六です」

「えっええっー、」中野は一瞬純也に目を向けたあと、彼女を見つめた。

「……」純也は、『どうしたんですか』と言わんばかりに首を傾げたが、彼を見て、彼の母親が三十六だというのは信じがたいが、それでも目の前にいる女性は確かに若い。見方によっては三十を過ぎたばかりにも見える。

「……」中野も困惑して首を傾げたが、彼を察した母親が

「二十歳の時の子供なんです。短大卒業前に妊娠に気が付いて卒業後にこの子を産んだんです」

「そ、そうですか……」中野はなんとなくは納得したが

「その後、頑張ったんですけど、この子に兄弟をプレゼントしてあげられなくて……」はにかんだ彼女を見て、中野は再び驚いたが、隣にいた島田は( 守ってあげたい )直感的にそう思った。


「あのー、失礼ですけどね、奥さんのお名前は……?」島田が尋ねると

「あっ、失礼しました。亜紀子です。佐久間亜紀子です。これからもよろしくお願いします」

「あっ、あの、こちらこそ、よろしくお願いします。私は 島田一樹といいます。島田コーポレーションという金融業を営んでいますが決して悪いことはしていません」

「はい、よくわかります」彼女が微笑むと島田はもう魅せられてしまった。


その様子を見ていた中野は、明らかにおかしい島田を見て

( 島ちゃん、惚れたのか! 信じられん、金にしか興味がないのかって思ってたのに…… でもいいことだ、島ちゃんもそろそろ家庭を持った方がいい…… )そう思ったが、その瞬間、旅立ってしまった彩奈の笑顔が脳裏をかすめた。


 その時だった。

「島田さん、お願いがあるんです」

「どうしたの、何でも言ってよ」

「僕が二千万円払います。だからもし小山が亡くなったとしても、娘さんに手を出すのはやめて欲しいんです」

 

 一瞬静寂があったが……

「ははっはは、純也君、大丈夫だよ、そんなことまではしないよ。あれは小山を脅しただけだよ」

「そ、そうなんですか……」

「当然だよ、アフリカの話だって作り話だよ。まっ、場合によっては海外に派遣する場合もあるみたいだけど、そんな奴隷を扱うようなことにはならないよ。でも、あいつに関しては、君のお母さんの思いもあるから、どこか、海外に行かすように条件を付けるけど…… 」

「そ、そうですか、安心しました」


「純也君ね」しばらく考えた島田が話し始めた。

「はい」

「子供の君にこんな話をするのはどうかと思うけど、それでも君はこの世界で生きていくつもりなんだろ?」

「この世界っていうのは、株のことですか?」

「ああ、俗にいうトレーダーとしてやっていくつもりなんだろ?」

「先のことはわからないですけど、でも、今は、生活費のこともあるんで……」

「そうか、でも、この世界で生きていくんだったら一つだけ覚えておく方がいい」

「はい」

「世の中には必ず屑がいる…… 」

 島田は屑について語り始めた。


 中野はその様子を見ながら、 島田が明らかに純也の母親に自らの人となりをアピールしていることを感じて、ふと母親に目を向けると、彼女も中野に目を向けて微笑んだ。

 中野はこんな微笑を久しく見た記憶がなく、皆うまいことやって幸せになれよと心で願った。


 しかし、その瞬間、

 約束を果たすためにここに飛んできたが、ことが収まってしまうと、たった一人ぼっちになってしまった自分を思い知らされてしまう。まして、その最愛の娘をこれから見送ってやらなければならない彼に再び闇が襲い掛かった。

 時計を見ると五時を回っていた。


「親父さん送っていきますよ」島田が目を向けると、

「いや、お前はもう少しここにいてあげてくれ、何もないとは思うが、これからのこともあるだろ、二人のことよろしく頼むよ」

 中野は島田に気を遣った。


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