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生きていて欲しい

 その夜、純也は心臓移植について調べた。

 最近では新興国での移植がクローズアップされ、需給バランスの関係から比較的早期に手術が受けられることを知った彼は、「これだ」と思った。

 費用も一億円程度…… どうにかなるかもしれない


 そして日曜日の午後、彼は思い立って警視庁捜査一課を訪ねたが、中野は休みだった。

 彩奈を見舞い、父親の電話番号を聞くことも考えてはみたが、彼女には知られたくないと思い、その日は諦めたが、翌日の月曜日、彼は体調が悪いからと学校へ連絡を入れ、再び警視庁を訪ねた。


 受け付けから連絡を受けた中野がすぐに降りてきた。

「なにかあったのか?」

「いえ、ちょっと聞いていただきたいことがあるのですが……」


 一階のロビーで、ソファに座った二人が話し始めた。

「どうしたの?」

「あのー、彩奈さんの移植のことなんですが……」

「何だ、そのことか……」

「色々調べたんですけど、新興国だったら比較的早く手術が受けられますよね」

「よく知ってるね、でも、唯じゃないんだよ、保険も効かないし」

「わかってます。でも一億くらいですよね……」

「ああ、確かに…… でも一億だよ、一千万じゃないんだ」中野がふっと遠くを見つめた。

「お金はいくらくらい用意できるんですか?」

「佐久間君、あの子の心配をしてくれるのはありがたいが、どうにもならない」

「でも、僕だっていくらかは持ってます」

「佐久間君、ここまでにしないか? 我々一般人にはどうにもならない額だよ」

「そ、そんなことはないです」

「佐久間君、それより学校はどうしたんだ?」

「休みました」

「おい、元気で通えるんだから、ちゃんと行けよ」

「でも、聞いてください」

「佐久間君、ここまでだ、捜査会議があるから行くよ、でも君の思いには感謝している」

「でも……」


 中野は振り向きもしないで立ち去ってしまった。


 結局、そのあとは学校へ出向いた純也だったが、話を聞いてもらえなかったことに苛々していた。帰宅後も、イライラは募るばかりでどうすることもできなかったが、八時過ぎ、久しぶりにやって来たDV男の小山優斗を見て、彼はますます気分が悪くなった。


「おい、純也、そろそろ懐が寂しくなったんだ。次は何買えばいいんだ? 」彼は酔っているようだった。母は、恐れて部屋の隅でふるえながら俯きがちに時々、彼の様子をうかがっていた。

「おい、ばばあ、何かめし作ってくれ」

「な、何がいいの……?」

「肉がいいな」

「今日は魚だったから……」

「何だと!む」彼が立ち上がると同時に

「ごめんなさいっ、殴らないでっ!」母親が頭を抱えた。

「やめろ、手を出すなっ」純也が叫ぶと

「何だと、おとなしくしてりゃいい気になりやがって」小山がすごい形相で純也に歩み寄る。

「殴れよ、殴ったらいいよ、その代わりすぐに警察に行くから、そしたらお前とはもう何の関係も無くなる。殴れよっ」純也は必死だった。

「ふん、行けよ、いきゃーいいじゃんか、その代わり俺の後ろにいる奴が黙ってないぜ、覚悟しとけよ」

「捜査一課の刑事と知り合いになったんだっ、その人が困ったらいつでも来いって言ってくれたんだ!」

「捜査一課……」小山は驚いたが懸命に冷静を装った。

「誰がお前みたいなガキを相手にするんだっ」小山は粋がって見せたが内心は穏やかではなかった。

「友達の親父だ、絶対に力になってくれる!」

「ふん、馬鹿らしい、まあいい、今日はそのお前の一生懸命に免じて許してやるよ、その代わりあしたにゃ、何買えばいいのか、メール入れろよ」

彼は言葉を吐き捨てたが、慌てていた。

( まさか、本当じゃねえよな…… )


 出ていく小山の背中を見つめながら、純也は、中野さんだ、絶対にあの人を説得する。金の用意ができることが分かれば、あの人だって、絶対に力を貸してくれる。絶対に力になってくれる。

 よし、明日こそ!


 そして翌日、彼は三度警視庁を訪れた。


 慌てて降りてきた中野は

「佐久間君、君には感謝している。でもいい加減にしてくれないか……」困り果てていた。

「話を聞いてください。聞いてくれるだけでいいです。お願いです」あまりにも真剣な彼の眼差しを見て

「まっ、座らないか」中野がロビーのソファを指さした。

「はい」

「君の気持ちはうれしいよ。君が言う通り、新興国だと順番も早いし、一億あれば移植ができるらしい」

「だったら……」

「聞いてくれ」

「……」

「医者からそんな話を聞かされて、家を売って四千万円を作ったんだ。親せきや知人に頭を下げて懸命に集めようとしたが二千万が限界だった。到底一億には及ばない。それに、あと四千万を誰かから借りたとしてもとても払えない。一億っていうのはそういう金なんだ」中野の無念が突き刺してくる。

「じゃあ、四千万はあるんですね」純也が尋ねると

「佐久間君……」

「私も三千万持っています」

「えっ、それは親の金だろ」

「違います。俺の金です」

「まさか……」

「俺は株をやっているんです」

「株かー…… 俺もやってみたけどあっという間に百万くらいやられてすぐに止めたよ」信じていない中野が苦笑いすると

「これを見てください」純也がスマホを取り出しログインして資産総額を表示した。

「ほっ、本当なのか…… すごいな、でもさ、そう簡単にはいかないよ。君だってあっという間にそれを倍にすることなんてできないだろ」

「倍にはできないけど、二人合わせての七千万を一億にすることは可能です」

 彼が真剣なまなざしを向けると

「おい、大人をからかっているのか……」中野は一瞬驚いたが、心の中で「まさかっ」という思いが顔をもたげてきた。


「そうじゃないです」

 彼は自分が株を始めるに至った経緯から、母のこと、DV男の小山のことなど、すべてを詳細に話した。


「おそらく二週間くらい先になると思うのですが、暴落しそうな銘柄があるんです」

「佐久間君……」中野は信じられなかった。

「……」

「でも、どうしてそんなことがわかるんだ……」

「おやじの使っていた裏情報を買っています。今まで六度、同じようなケースがありましたが、下がらなかったのは一度だけです。でも、それは上がったわけじゃないんです。ほぼ、前の週と同値だったんです」

「そうか…… 」未だに信じられなかったが、娘を助けたいという思いが、彼の心を迷わせていた。

「だけど、それで一億が作れるのか」

「作れます。金曜日の引け間際、中野さんと私が信用で六千万ずつ空売りをします」

「ろ、六千万か! 」

「はい、月曜日の朝一は大幅安で、おそらくストップ安で終わります。二千円くらいの株ですから約千五百円になります。この時点でそれぞれが千五百万円の利益です」

「……」

「ストップ安はおそらく二日続きます。翌日は約千百円になります。ここで買い戻しをしますと、それぞれ千二百万円の利益、二日で二人合わせて五千四百万円の利益です。足らずは私が出します」純也が懸命に話すと、中野は唖然としながらも考えていた。


「君のメリットは何なんだ? リスクを冒して、その利益を娘のために使ってくれて、さらに足らずは出すという、その君のメリットは何かあるのか?」

 ふと思った中野が尋ねた。

「そりゃ、彩奈さんに生きて欲しいっていう思いが一番です。でも、もし予定通り、利益を得ることができたら、あの男を……」

「さっきの話に出ていたDV男のことか?」

「はい」彼が唇をキッと結んで中野を見つめると

「だけど、それだけだったら、そんなリスクを冒さなくても俺が話をつけてあげるよ」

 中野は諭すように答えたが

「いや、それじゃ駄目なんです。立ち直れないくらい…… 地獄の底に叩き落してやりたいんです」

 なんとも言えない彼の憎しみが伝わってくる。

「そんなに恨んでいるのか……  まっ、お袋さんが痛められたんだ、仕方ないか……」

 中野がふっと遠くを見つめた。

「はい、この時を待っていたんです」

「ふーむ、そうか……」

「でも、それは後でもいいです。とにかくお金を手に入れましょうよ」彼が懸命に訴えるが

「佐久間君……」中野は悩んでいた。


 諦めていたことなのに、思いもよらない話に心が揺らいだ。しかし、その話を持ってきたのは娘と同じ十七歳の少年、ありえない話だとは思いながらも、その少年のあまりにも真剣な眼差しと、彼の執念にも似た憎しみが中野の心に突き刺さっていた。ただ、それでも金を捻出するために、こんな他人の少年を巻き込んでいいのだろうか、娘が知ったらどう思うだろうか…… 


 一度は心にけじめをつけて、娘が安らかに最期を迎えることができるように、そのために全力を尽くそう、そして、娘を送ったら、自分も最期を迎えよう、そんなことを考えていた彼だったが、それはある意味、最愛の娘に何もしてやることができないという苦しみから逃れることができる唯一の結論であった。


「看護師が話しているのを聞きました。発作の起きる間隔が短くなってきた、もう時間がないって……」

「……」中野は純也を見つめた後、目を伏せた。


「どうしてですか、どうして『うん』って言ってくれないんですかっ!」

 純也が涙を浮かべ訴えかける。


「半年ほど前にね、あるやつがお金ならいくらでも出すって言ってくれたんだ。闇金をやっている奴でね、俺もさすがに、そいつに出してもらうわけにはいかないって思ったんだが、どんなにしても金が集まらなくて、そいつを頼ろうとしたんだ。娘に移植をしようって話した瞬間、『汚れたお金で命を救われたって、死ぬまで苦しいだけよ』ってにらまれてしまってね」

「……」

「俺にはそんな金しか用意できないって知っていたんだろうな、あの子に教えられたよ」

「でも、株で儲けた金は……」

「その通りだ、何の罪も侵してはいない、だけど…… 」中野は再び俯いてしまった。

「もし損失が出たら、俺が弁償します。お願いです」

「いや、そんなことじゃないんだ、一度は諦めていたんだ、金なんてどうでもいい、ただ、どうしても釈然としない、おそらく他人の君を巻き込んでしまうことを恐れているんだと思う」

「どうしてですかっ、彩奈さんに生きて欲しいです。死なないで欲しいです。お願いです。お願いだから、チャンスがあるのに……」瞼に涙を浮かべ、懸命に訴える少年の渾身の思いが痛いほど伝わってくる。

 

 中野は純也を見つめながら、

( もし彼に損失が出たら、残った俺の金を渡してやればいいか、俺だってゼロになることはないだろう。それに、DV男を何とかしてやれば、彼だって救われる…… )

ふとそんなことを思った。

最愛の娘の最期を思い続け、疲れ果てて、もう考えたくないと思っていた中野の気持ちが再び前を向こうとしていた。


「佐久間君、ありがとう。君の言うとおりにするよ」


 純也の作戦はこうだった。

 金曜日の引け間際に小山に狙っている株を、信用ではなく現物で大量に購入させる。

「信用で購入すると信用倍率の関係で、強制決済される可能性があるから……」と、ありえない話をして、彼に可能な限りの現金を集めさせる。欲深い彼は、サラ金にだって手を出すはず。

彼は月曜日一日で大損をして、自分のところに来て気が狂ったように暴れ、責任をとれと、暴力で迫ってくるだろう。問題はその時、中野に小山をシャットアウトして欲しいということだった。


「要は、その時にその小山っていう男が、二度と君たちに関わらないようにすればいいんだな」

「はい……」


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