四
「またおかしな辻斬りがでやした。この春先のやつに似てる、ってんで、またあのあやつり人形の兄弟だろう、って話になりかかったんですが……」
「ふむ。なりかかったが……」
「しかも最初に絡んだのが、例の楢藤家の中間だったんで、こいつはどうみても恨み……逆恨みだろう、って話になりかかったんですが……」
「ふむ。なりかかったが……」
「名前を草助といって、四十になるってぇお人なんですが」
楢藤家の中間、草助は本所の寂しい道をふらふらと歩いていた。柳島の下屋敷への使いを済ませたあと、食事と酒を出され、それからついでにそこの用人どもと軽く遊んだおかげですっかり遅くなってしまった。提灯はさげていたが、満月はその用もないほどじゅうぶん明るかった。
いったいこのあたりは田畑の拡がるなかにぽつりぽつりと武家の中屋敷や下屋敷、それから仏閣が点在する、といったていで開けているため、たとえもっと細い月明りだったとしても明るく感じられるのだった。
しかし明るいのはいいが、風を防ぐものがなく、折からの空っ風に震えながら歩いている。
ふっ、と、目のまえが暗くなった。
月が陰ったか、と足元を見ながら歩いていた草助は顔をあげた。
だが空を見あげるまえにその目に映ったのは、立ちふさがる人影だった。
右手に抜き身をさげている。
曲者はゆっくりと刀をあげると、草助の脳天に向けて振りおろした。
「草助さんは、額を割られただけで済みやした。やっぱり刀はなまくらで、とどめも刺してこねえ。それもやっぱり去年の正月のやつと似てる、ってことを言われてます。下屋敷でうだうだやってるあいだにも遊びながら呑んでたんでしょう。それで腰が抜けて、斬られる、と思ったときにへたり込んだんで、傷もずいぶん浅く済んだ、ってことみてえです。なんとか這って下屋敷まで戻ったんで、命をとりとめました」
「気を失ってしもうたら朝までに凍えてしまうじゃろうからのう」
歩兵衛の先代、背兵衛は備中あたりの出だったらしい。歩兵衛自身は生まれも育ちも江戸なのだが、なぜかそっちのほうの言葉が強くなってきている。
「それで、それを聞いた楢藤様のところの中間が二人、仇討ちに乗りだしました」
「ほう」
「で、返り討ちにあいやした」
「じゃろな」
「わかりますか」
「そこで解決しとりゃ、もっと評判になっておろうからな」
「なるほど」
色吉はひとつうなずいて話をつづけた。
中間は小郎と源太といって、ふたりとも草助と同じ四十になる。柳島の下屋敷に詰めて毎夜、草助のやられた田畑道から横川を越えた屋敷町までを見廻った。
そして四日目。この日も風の強い夜だった。
小郎と源太はふらふらとおぼつかない足取りで歩いていた。
いや、始めの二日は真面目に見廻ったのだ。だがなにも起こらない。そして屋敷に戻ると、寒さで手足がかじかんでいた。
三日目の昨日は風が吹いていて、とても外廻りなどに出かける気にはなれなかった。だから体を温めるために呑んだのだ。ところが戻るころにはやはり体が冷え切っていて、手足がかじかんでいた。
今日は昨日にもまして風が強い。そこで小郎と源太は昨晩よりも多めに呑んだうえ、皮袋に酒を用意したのだ。ちょっと歩くたびに、というか風が吹くたびに呑んだものだから、ほんの数町いったところですでにふたりとも足元が怪しくなっていた。
「こらあいかん。まっすぐ歩かれん」
「むむ。飲みすぎたかの」
「すこし控えねばなるまい」
そのときまた突風が吹いた。
「ぶるる! これはかなわん。また内側より温めよう」
小郎が皮袋の飲み口を口にした。
「これ、すこし控えると言ったばかりではないか」
「それよ。酒が残っている限り、飲むのをこらえるのは難しい。だが飲むべきものがないとしたらどうだ?」
「おお、そうか。飲みつくしてしまえば、あとは自然、控えることになる。よく気がついた」
源太も皮袋を取り出し、喉を鳴らして飲み始めた。
「ふう。よし、これでもう飲みすぎを心配することもないぞ」
「うむ。でかした。もう安心だ」
ふたりはふたたび田畑地を歩きはじめる。
するとそこに、まったくいつ現れたのか、黒い影が立ちふさがった。笠をかぶり、黒装束で、抜き身をさげていた。
「おのえ」
「れたか」
酔っていたとはいえ、小郎と源太は槍となぎなたを構えた。そしてかねてよりの作戦通り、曲者の左右の空間をそれぞれの自分の得物でひっかいた。
「おりゃ」
「どうじゃ」
楢藤家では、草助を襲ったのはあの一年前のあやつり辻斬り、玉太郎と玉次郎の仕業だともう決めつけていた。
「うりゃ」
「こうじゃ」
だから小郎と源太は、あやつりの糸を切ろうと人形の左右に刃物をふるっているのだ。
「どりゃ」
「どうなっとるんじゃ」
手応えもなければ、曲者は静かに突っ立ったままだ。無駄なあがきをする二人を、あきれて見ているようにもみえた。笠で隠れているので表情はもちろんうかがえないが。
「くりゃ」
「ぬおおじゃ」
いくら糸を探っても人形は倒れない。そしてついに、人形が抜き身を持つ手を持ちあげた。ひょっとして人形ではないのか。
「だりゃ」
「だめじゃ」
二人は身をひるがえして逃げ始めた。が、その足は悲しくなるほど遅かった。二、三間走ったところで、小郎の頭のうえに刀が振りおろされた。
「ぎゃあ」
頭を割られた小郎が倒れるのを横目に見て源太は、
「おお、小郎、大丈夫か、しっかりせい」
と声をかけつつ逃げ足を速めた。
しかしそれがかえってまずかった。源太は足をもつれさせて転んだ。その頭に衝撃を覚えたのが、源太が覚えている最後だった。
「小十郎と源太はしばらくして、遅いのを心配して探しにきた下屋敷の中間に助けられました。だいぶ体は冷えてたみてえですが、ふたりとも命は落とさずに済みました。酒をたっぷり飲んでたのがよかったみてえで。こうなると飲んでよかったのか悪かったのか」
「ふむ。まあ命が助かったのはなにより」
歩兵衛は笑った。
「小十郎と源太はまえのときに旦那がやったように――世間的には奥州左馬之介さんがやったことになっていやすが――あやつり人形の糸を切ろうとしたのに、まったく手応えがなかった、つうことです」
「なまくらで切れんかったということでもないと」
「へい。あっしもそこは念を押しました。すかすかと宙を切るばかりで、切れた手応えも切れなかった手応えも、どっちもなかったと。つまりなにが言いてえかっていうと、糸そのものの手応えがなかった、ってことなんで」
「ふむ、それで」
「へえ、ひょっとしてこたびの辻斬り、というか辻叩きですが、あやつり人形ではないのか、玉太郎玉次郎兄弟の仕業ではないのではないか、って話になってきましたようで」
色吉はひと息ついた。茶がほしいところだ。
「だいたいからしてこんだの辻斬り、というか辻叩きがでたところは開けた田畑地で、まえんときみたいにちょうどいい高さの塀があるわけでもなし、見渡す限り玉太郎と玉次郎が糸を構える場所なんてねえんです」
「ほう」
「それもあって、これは奴らの仕業じゃあねえんじゃないか、でも切れの悪い抜き身をさげて、怪我をさせるだけ、つうやりくちなんかは奴らのもんで、つまりいまはなんだかよくわからないようなことになってるようです」
「なるほど。ところでさっき色吉殿は念を押したと申したが、楢藤の中間からじかに話を聞けたということなのかや」
「へい、実は、柳島の楢藤様の下屋敷のへんでうろうろしていたところに、いま話の出た奥州左馬之介様が通りかかりまして」
色吉にとって楢藤様の上屋敷は鬼門だが、襲われた中間たちは下屋敷で療養していたので、そこをたずねようとした。しかし下屋敷といえど正面からいったところで取り合ってもらえないのに決まっているから、訪問しあぐねていたのだ。
「通りかかった、つっても、もちろん左馬之介さんも楢藤邸をたずねるところでして」
ここで襖の外から「ご隠居さま」と声がかかった。留緒が戻ってきて、茶を運んできたのだ。
「あっしは左馬之介さんの供、ってことにしてもらって、楢藤様の中間たちから話を聞くことができたってわけで」
留緒がさがり、熱い茶をひとくち飲むと色吉は話を再開した。
「左馬之介さんは、久貫様に申しでて、今度も辻叩き退治に乗りだした、ってことです。手始めに楢藤様のところの中間に話を聞こうとしたところに、うまいこと行き会わせたってことであっしはついてやした。楢藤の家じゃあ去年につづいて今回も久貫に手柄を持っていかれちゃたまらんという敵愾心はあったんでしょうが、久貫様がうまいこと手を回して、楢藤家ご当主の紹介状まで持参してたんで、あっさりと通されやした」
左馬之介はこういう探索には素人なので、話はほとんど色吉がした。左馬之介は黙って腕を組んで座っていただけだった。しかし中間たちはそれに威圧を感じたらしく、色吉はいま歩兵衛に話したようにかなり細かいことまで聞き出すことができたのだった。
「で、左馬之介さんは紹介状をたてに楢藤家に泊まりこみで見廻りを始めるってことです。あさってあたりからだということでやすが」




