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色吉捕物帖 三  作者: 真蛸
あやつり辻斬り再現
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 相州の山奥、小さな小屋のなかで、ひとりの男が人形を作っていた。江戸から逃走したあやつり人形師の兄のほう、玉太郎だった。兄弟は上州から南にくだり、落ち延びていたのだった。

「兄者、面同心の話を聞いてきたぜ」

 弟の玉次郎が入ってきた。

「凧のほうはどうだ」

「だいぶ高くあがるようになった」

「よし」

 それから兄は弟から面同心の話を聞いた。

 面同心はおそろしくすばやく動き回れるのだが、さんざん動き回って疲れると、まるで発条ぜんまいがきれたかのように今度はまったく動かなくなる、という。

「どのくらい動き回ったらだ」

「それはわからんそうだ」

 だが早く動けば動くほど、疲れるのも早まるということだった。

 玉次郎は江戸の悪党仲間の伝手つてを頼り、あの晩とつぜん自分たちのまえに現れたおかしな同心について、これだけのことを聞き出してきたのだ。

「ぬう。そうか」

 そう言ったきり玉太郎は、黙り込んだ。しきりに思案などしている様子で、弟が話しかけても答えない。


 人形の顔の真ん中にとげのようなものが生えている。

「ずいぶんと高い鼻だやなあ。しかもまあとんがって、刺さりそうだな」

 玉次郎が言った。

「実のところ、刺さる」

 玉太郎が答えた。「見ていろ」

 玉太郎は人形の顔の向きを弟からはずした。「この糸だ。こう引きや」

 びいぃん、と空気を震わす音がして、人形の鼻が飛び出した。玉次郎が驚いて視線を向けると、鼻が二間ほども離れた柱に深く刺さっていた。

「兄者、こりゃあすごい飛び道具だな」

 玉次郎は感に堪えない様子だった。つねに笑っているような顔だったが、兄にはその微かな違いがわかるのだ。玉太郎は満足そうに笑った。


 亀戸村のはずれ、このあたりは見渡す限り百姓地である。近くには中川が流れていて、耳さとい玉太郎玉次郎の兄弟にはその音、流れの音が聞こえるほどだった。風の強い夜で、ときおりせせらぎの音をかき消すほどびゅっと強く吹く。

「いい風だ」

 玉太郎はなにやら大きな荷を積んだ大八を引いている。

 晦日つごもりの月は空になく、灯りも持たない二人が頼るのは星明りだけだが、夜目の利く兄弟は格別問題にしなかった。

 猿のように小柄な玉次郎は、その体よりもはるかに大きな凧を背に負っていた。体のまえには人形を抱えている。

 田圃のなかにぽつんと一本の松が立っていた。玉太郎は、昼間に目をつけていたこの木の太い幹に太い縄の端を結びつけた。その縄のもう一方の端は、大八のうえの巨大な荷物につながっていた。その荷物の反対側から、留め金をガチャリとはずし、玉太郎はやはり縄を引き出した。木に結びつけたものよりもやや細いくらいの綱だった。綱の先端を、玉次郎の凧の紐に結びつける。この紐も同じくらいの太さの綱だった。玉次郎は凧の骨から突きだした取っ手のようなもので凧を支えている。そしてその取っ手と玉次郎の体も、綱で結ばれているのだった。

 玉太郎の荷物は巨大な、ある種の糸繰り車だった。玉次郎が向こうに駆けていく。綱が伸びていくが、玉太郎はそれを上回る早さで綱をたぐり出し、糸繰り車と玉次郎のあいだの地面にたわみの山を作っていった。

「このくらいでよかろう」

 玉太郎は弟のすぐ近く、といっても十間ほど離れたところまで駆けていき、そこの綱を拾いあげた。兄弟は目をあわせ、ひとつうなずくと、同時に駆けだした。

 歩幅も足運びの速さもそろえて駆けるうちに見よ! 玉次郎の足が浮かんだ、と見る間に猿のような体は大きな凧に引かれてどんどんと空高くあがっていった。

 地上から三十間ばかりの高さまで昇ったときには、玉次郎は取っ手を離し凧からただぶらさがっていた。

 そしてその体が二つに別れた。もう一つの体は地上近くまで落下して、そこで飛び跳ねるように妙な踊りを踊った。いわずと知れた、先ほどから玉次郎が抱いていた操り人形だった。

 人形は右手に剣を持っていたが、それを二、三度振り回した、と、今度は目にもとまらぬ速さで上昇していき、あっという間に玉次郎と地面のちょうど中ほど、十五間ほどのところまできた。

 そしてまた地上まで降り、抜き身を振るってはまた宙に昇る、ということを繰り返した。

 一方で地上では、玉太郎が凧を操るのに苦心していた。

 巨大凧があがってしまうと、もはや人力では押さえがきかない。糸繰り車の取っ手と留め金で綱の長さを調整し、綱の根元を思い切り押したり引いたりしてなんとか思い通りの場所に運ぶようにするのだ。

 その巨大な糸繰り車も、凧に引っ張られて宙に浮いてしまっている。それが一、二尺にとどまっているのは本体を木に結びつけているおかげなのだ。

『よし、つぎは玉六郎を地面につけたまますばやく横に移動させるのだ』

『おう兄者、ではわしの合図とともに右に二間、ずらせてくれ』

『よし、わかった』

 操り師のふたりは、細くて目に映らないほどの糸をそれぞれの端において持っており、それを巧みに引っ張り合うことによりこのように遠く離れていても会話ができるのだ。

 凧と人形を操ることについては相州山中でたっぷりと稽古はつんだが、この土地の風に慣れ、風をも操る練習をするのだ。

『そうだ、玉六郎を神出鬼没に出現消失させることによって、あの面同心を走り回らせるのだ』

 そして兄弟は地上と空中高くで、同時に不敵な笑みを浮かべたのだった。


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