八
ヌハイマは理解できず、きょとんとしている。
コヌネマは倒れたまま、動かなくなった。
「コヌネマは乙女の生き血など効かぬ、と言ったそうだな。わたしは初め、おまえに人間を襲うのをやめさせるために嘘を言っているのかと思っていた。おまえが失敗して、人間に捕獲されたり殺されてしまったりすることを心配したのだと。まあ、それは本当だ。本当だが、それはおまえを案じてではなく、おまえの身体を案じてのことだ」
グイヌイは口を歪めて笑った。
「もうひとつ、真の理由は乙女の血で体力を回復したくなかったのだ。ちっとばかり回復したところで、病身で不便なまま生きながらえるだけだ。それよりも早く死んで、おまえの体に乗り移って、若返った体で生き直したかったのだ」
「それは……それは……」
「そうだ、我が一族にはそのような能力が備わっているのだ。自分の子供の身体を、自分が死んだときに乗っ取れるのだ。すなわちヌハイマ、おまえはコヌネマが身体を乗っ取るために産んだ娘なのだ」
ヌハイマはコヌネマを振り返った。
「ひどい言いがかりだ……なにか、証拠でもあるってのかい」
「証拠などなくとも、わたしは知っているのだ。おまえは昔からそういう女だった。いい加減、いい歳で娘を生んで、大事に育てていると聞いたときはおまえも年を取って、親になって殊勝になったのだなと感心したものだったが、あにはからんや娘の身体を乗っ取って自分が生きながらえるためだったとはな」
「ヌハイマ、し、信じるんじゃないよ、こんなやつの……」
「この期に及んで見苦しいぞ、コヌネマ。そうだ、なぜわたしがおまえのたくらみを覚ったか、それを教えてやろう。さっきおまえはヌハイマに、黙って見ていろ、と言い、自分が倒されたら仇討ちなぞ考えず逃げろ、と言った。一見、ヌハイマのためを思っているようで、しかし考えてみるとどうもおかしい。なぜ最初から逃げろと言わないのだ、巻き込まれる恐れがあるのに」
ここでグイヌイはヌハイマを見た。
「ヌハイマ、おまえはどう思う。不自然だとは思わぬか」
ヌハイマは弱弱しく首を横に振った。グイヌイはコヌネマに顔を戻した。
「それは、だ。おまえが死んだときに、その四間以内にヌハイマがいなければ乗り移れないからなのだ」
ヌハイマは茫然とコヌネマを見ている。コヌネマはもうぐったりと、動く気力もないようだった。
「そして敵を考えずに逃げろとは、ヌハイマを乗っ取った自分が逃げやすくするためだ。ヌハイマの気性ならば、我を忘れてわたしに向かってくるはずだが、しかしそれをせず、親の言い遺した……いわば遺言を守ったという体にして、まんまと逃げおおせようともくろんだのだ」
「おかあさん……ほんとなの?」
「うるさい、寄るんじゃない」
コヌネマは鎌をよろよろと振り回した。近寄ろうとしていたヌハイマだったが、思わず退いた。
その鎌が力なくポトリと落ちたが、その切っ先の先にはコヌネマ自身の首があった。
「あっ」
ぐさり。
ヌハイマが駆け寄ったが間に合わず、鎌はコヌネマの首を刺し貫いた。ヌハイマははじかれたように跳びすさった。
「乗っ取られるのを怖れたか、親思いのようで、コヌネマの子だな。安心するがよい、自死ならば乗り移ることはできん。だからコヌネマは衰弱して死にたがり、わたしに殺されたがったのだ」
ヌハイマがきっ、とグイヌイを振り返った。
「よくも……おかあさんを」
「莫迦か、おまえは。見ていただろう、ヌハイマは自ら命を絶ったのだ」
「うるさい! あんたさえ来なけりゃ、おかあさんは死なずにすんだのに」
「だがそこの間抜けな小者に捕まり――おまえらふたりともだぞ――そしてコヌネマはそのうち弱ってやはり死んだだろう。しかしそうなったらコヌネマはおまえの身体を乗っ取ったろうから、実質死ぬのはおまえだったのだ。それがおまえの望みか」
ヌハイマは低く身構え、鎌をもたげた。すると後脚二本で立っていたグイヌイも、前脚と中脚をおろして六つ足になり、大きな鎌をゆっくりと持ちあげた。
冴え冴えと風が吹くなか、満月に近い月はまぶしいばかりに対峙する二匹のかまいたちを照らす。
しかしヌハイマは、グイヌイからじりじりと後ずさっていく。そのうしろには、さっきからかまいたち同士の内輪もめを黙って見ていた色吉が立っていた。
「小者、あいつが下手人だから捕まえろ」
ヌハイマは色吉を振り返った。
「おめえ、メスだったのか」
「そんなこと今どうだっていいだろ! 早く!」
「ほう、人間の小者、逃げもせずそこにいたか。もっとも、逃げようとしたら切り刻んでやったがな」
「へ。化け物ってのはな、なにを考えてるかわからねえからおっかねえんだ。ここでおまえらのやりとりを見てたらな、まあ人間みたような生臭い醜態さらしやがって、だからなんだかちっとも怖くなくなっちまったったら怖くねえ怖くなんかねえぞ」
「怖がりすぎだろ」
そう言ったヌハイマの姿は、色吉の目にはふっとかき消えたように映った。と同時にグイヌイの姿も消え、すぐに離れたところに二匹とも現れた。ヌハイマは地べたに倒れ、グイヌイは後脚で立っていた。
「わたしから逃げられると思うか、おろかな」
色吉のほうをぎろりと横目に、
「あの間抜けな小者を切り刻んでやるから見ておれ、我が一族の戦いぶりをしかとな」
それから色吉に向かって、鎌をぐるぐると振り回しながら愚弄するようにゆっくりと近づいていく。
と、その姿がかき消えたと思うと、色吉がつきだした十手にかきんと音をたてて手ごたえがあった。
色吉はのけぞってそのまま尻餅をつく。縫い縫いの姿はまったく見えなかった。と思ったら三間ほど前にどさりと現れた。
「ぬう、このわたしの鎌をはじくとは、きさま思ったよりもやりよるな」
「へ、こいつは和賀見額参にほんものの銀を塗りこんでもらった破邪の十手よ。神妙に恐れ入りやがれ」
以前に是坊の化け物を羽生の旦那が退治したのを見て、和賀見額参に無理を言ってあつらえたものだ。おかげで江戸っ子の風上にも置けないことではあるが、細々と貯めこんでいた蓄えがすべてふっとんだうえ、借金まで抱え込む破目になっていた。




