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色吉捕物帖 三  作者: 真蛸
放縦娘の嫁入り
162/183

十六

 しまった。色吉は混乱した。どういうことだろう。留緒が倒れたお畝に飛びついた。

「お畝さん、お畝さん」

 皆が駕籠に気をとられているうちに刺されたのか。下手人はとっくに逃げたのか、どこにも見当たらなかった。

「ああ、これはいかん。すぐに医者に運ぼう」

 近くで様子をうかがっていたのだろう、騒ぎを聞きつけてすぐにやってきたのが日茂庵だった。自分が医者のくせになにを言ってるんだ。色吉はぼんやりと見当違いなことを考えた。

「寺のお堂に運んではいかがか」

 小滝まで同道する予定だった僧侶が言った。

「いや、この近くにわしの知りあいの医者、抱月先生の診療所がある、そこなら道具も薬もそろっておるから」

 島太が戸板をかついで門から出てきた。ぐったりとしたお畝を乗せ、島太と色吉が戸板を持ちあげた。

「さあ、お嬢さんは離れて」

 日茂庵が留緒をお畝から引きはがし、それからこっちじゃ、と先導に駆けだした。

 お畝は目をつむり、息も絶え絶えだった。戸板の横で留緒が壊れたように繰り返し名前を呼び続けている。

 いったいだれが、お畝を刺したのだろう。お畝には今日、料理に混ぜられた毒を飲んだていで死んだふりをしてもらう手筈だった。そうすれば清治殺し(狙ったのは松伍かもしれないが)の下手人が動揺して、なにかへまをしでかして、うまいことあぶりだせるのではないか、ともくろんだのだ。

 しかしまさか本当にお畝が狙われるとは。色吉は自分の間抜けさに歯ぎしりする。

 すぐそこ、というわりには遠く、五町ばかりも走らされて、色吉と島太はお畝を乗せた戸板を抱月診療所に運びこんだ。


 お畝を診療部屋に寝かせると、色吉と島太はもちろん、留緒も追いだされた。島太は先ほどまではしっかりしていたのに控えの間に入ったとたんへたりこんだ。腰が抜けたという。お嬢様が傷つけられたともなればどのような罰を受けることか、いえ、なんとお詫びをしたらよいのか、などとぶつぶつ言い、立ちあがることもできない。

 留緒はお畝の近くにいると言い、やはりそこを動こうとしなかった。

 二人とも当てにできそうにないとなると、色吉は平太として一人で駆けまわることにした。まずは小滝に戻って欠礼の無礼を詫びた。お畝が急な病を得たということにした。もちろん小滝は騒動を承知しているが、黙って受け入れてくれる。

 それから飯舟屋へ廻ってお畝の急を知らせた。番頭の川蔵にお畝の養父母への急報を頼んで早々に船宿を出たところで、

「そういやあいつはどこにいった」

 惣太郎がいないことに初めて気がついた。あの騒ぎのあとの記憶をたどっても、いつのまにかいなくなったとしか思えない。

「ま、いいか」

 つぎに番屋へ事件を知らせにいこうかと思ったところで、友之助もいないことに気がついた。ひょっとして自分の家に戻ったのかもしれない。そこで特に急を要したわけでもないのに興河屋へ廻ってみたのは、なにか虫の知らせみたいなものが働いたのかもしれなかった。

「はい、ちょっとした騒ぎがあったとかで、しばらくうちで休んでから飯舟屋の寮に戻る、と申しておりました」

 取り次ぎにでた店の者が言った。

「どちらにおいでで?」

 と色吉が尋ねる。

「庭の離れですが、いまは誰も通すなと言いつかっております。お宿のお使いがおいでになったことは伝えておきます」

「ひょっとしてうちの若旦那がお邪魔してやせんか」

「いえ、そのようなことはございません」

 色吉は礼を言ってそこを辞去した。

 廻船問屋興河屋は大川沿いに店を構え、内陸側に住居が隣接している。その時分にはもう日もとっぷりと暮れていたので、色吉はやすやすとだれにも気づかれずに庭に入りこむことができた。

 広い庭にぽつんと建っているのが離れだろう。と、戸口から男が出てきて、母屋の方に歩いていく。さっきの店の者だった。木の陰でやり過ごして、離れの外壁に身を寄せた。そっと中をうかがうと、友之助と惣太郎が向かいあっているのが目に入った。

「見つからないだろうか、ここにいるのがばれてないでしょうね、友之助さん、俺は怖いよ」

「平太はお宿の下男でしょう、そんなに怖れることはないのではありませんか」

「のんきなことを言わないでください友之助さん、姉上が刺されたんですよ、誰であろうが信用できません。それにあいつは俺のいないあいだに雇われたとか言って、つい一昨日はじめて見たんです、用心棒とか名乗ってたくせに姉上は刺された、信用できるもんですか」

 これには耳が痛かったが、つまり惣太郎は平太こと色吉のことを疑っているようだ。しかもこれだけ怯えているところを見ると、惣太郎は少なくともお畝を襲った嫌疑からははずしてもよさそうだった。

「まあ落ち着いて。ここにいれば安心ですから、ゆっくりとしていってください」

「でも友之助さん、あんた御舟庵に戻っちまうんだろう。行かないどくれよ、あんたまで殺されちまうかもしれないだろう、俺は怖い」

 怖い、と惣太郎は繰り返した。こんな気弱な男だったのだろうか。礫騒動のときに曲者を追っていったという猛者っぷりはどこへいってしまったのだろう。

 とにかく惣太郎と友之助の居場所はつかんだ。色吉はそっと離れをあとにした。

 それから、お畝が刺されたことを自身番に届けておくことにする。寺のあった町内の番屋に近づいていくと、戸が開け放しになっていて、中で馬道の親分、武佐蔵が土間に腰かけ、番太郎の老人と話しているのが見えた。

「どうもこんばんは、あっしは船宿飯舟屋の船頭を勤めている平太という者でやすが、さっきうちのお嬢さんが何者かに刺されやして」

「てめえ色吉、俺の縄張りでなにやってやがる」

 武佐蔵が目をむく……ところまで想像して、色吉は見つかるまえにくるりと背を向けた。

 しまった。色吉は混乱した。どういうことだろう。留緒が倒れたお畝に飛びついた。

「お畝さん、お畝さん」

 皆が駕籠に気をとられているうちに刺されたのか。下手人はとっくに逃げたのか、どこにも見当たらなかった。

「ああ、これはいかん。すぐに医者に運ぼう」

 近くで様子をうかがっていたのだろう、騒ぎを聞きつけてすぐにやってきたのが日茂庵だった。自分が医者のくせになにを言ってるんだ。色吉はぼんやりと見当違いなことを考えた。

「寺のお堂に運んではいかがか」

 小滝まで同道する予定だった僧侶が言った。

「いや、この近くにわしの知りあいの医者、抱月先生の診療所がある、そこなら道具も薬もそろっておるから」

 島太が戸板をかついで門から出てきた。ぐったりとしたお畝を乗せ、島太と色吉が戸板を持ちあげた。

「さあ、お嬢さんは離れて」

 日茂庵が留緒をお畝から引きはがし、それからこっちじゃ、と先導に駆けだした。

 お畝は目をつむり、息も絶え絶えだった。戸板の横で留緒が壊れたように繰り返し名前を呼び続けている。

 いったいだれが、お畝を刺したのだろう。お畝には今日、料理に混ぜられた毒を飲んだていで死んだふりをしてもらう手筈だった。そうすれば清治殺し(狙ったのは松伍かもしれないが)の下手人が動揺して、なにかへまをしでかして、うまいことあぶりだせるのではないか、ともくろんだのだ。

 しかしまさか本当にお畝が狙われるとは。色吉は自分の間抜けさに歯ぎしりする。

 すぐそこ、というわりには遠く、五町ばかりも走らされて、色吉と島太はお畝を乗せた戸板を抱月診療所に運びこんだ。


 お畝を診療部屋に寝かせると、色吉と島太はもちろん、留緒も追いだされた。島太は先ほどまではしっかりしていたのに控えの間に入ったとたんへたりこんだ。腰が抜けたという。お嬢様が傷つけられたともなればどのような罰を受けることか、いえ、なんとお詫びをしたらよいのか、などとぶつぶつ言い、立ちあがることもできない。

 留緒はお畝の近くにいると言い、やはりそこを動こうとしなかった。

 二人とも当てにできそうにないとなると、色吉は平太として一人で駆けまわることにした。まずは小滝に戻って欠礼の無礼を詫びた。お畝が急な病を得たということにした。もちろん小滝は騒動を承知しているが、黙って受け入れてくれる。

 それから飯舟屋へ廻ってお畝の急を知らせた。番頭の川蔵にお畝の養父母への急報を頼んで早々に船宿を出たところで、

「そういやあいつはどこにいった」

 惣太郎がいないことに初めて気がついた。あの騒ぎのあとの記憶をたどっても、いつのまにかいなくなったとしか思えない。

「ま、いいか」

 つぎに番屋へ事件を知らせにいこうかと思ったところで、友之助もいないことに気がついた。ひょっとして自分の家に戻ったのかもしれない。そこで特に急を要したわけでもないのに興河屋へ廻ってみたのは、なにか虫の知らせみたいなものが働いたのかもしれなかった。

「はい、ちょっとした騒ぎがあったとかで、しばらくうちで休んでから飯舟屋の寮に戻る、と申しておりました」

 取り次ぎにでた店の者が言った。

「どちらにおいでで?」

 と色吉が尋ねる。

「庭の離れですが、いまは誰も通すなと言いつかっております。お宿のお使いがおいでになったことは伝えておきます」

「ひょっとしてうちの若旦那がお邪魔してやせんか」

「いえ、そのようなことはございません」

 色吉は礼を言ってそこを辞去した。

 廻船問屋興河屋は大川沿いに店を構え、内陸側に住居が隣接している。その時分にはもう日もとっぷりと暮れていたので、色吉はやすやすとだれにも気づかれずに庭に入りこむことができた。

 広い庭にぽつんと建っているのが離れだろう。と、戸口から男が出てきて、母屋の方に歩いていく。さっきの店の者だった。木の陰でやり過ごして、離れの外壁に身を寄せた。そっと中をうかがうと、友之助と惣太郎が向かいあっているのが目に入った。

「見つからないだろうか、ここにいるのがばれてないでしょうね、友之助さん、俺は怖いよ」

「平太はお宿の下男でしょう、そんなに怖れることはないのではありませんか」

「のんきなことを言わないでください友之助さん、姉上が刺されたんですよ、誰であろうが信用できません。それにあいつは俺のいないあいだに雇われたとか言って、つい一昨日はじめて見たんです、用心棒とか名乗ってたくせに姉上は刺された、信用できるもんですか」

 これには耳が痛かったが、つまり惣太郎は平太こと色吉のことを疑っているようだ。しかもこれだけ怯えているところを見ると、惣太郎は少なくともお畝を襲った嫌疑からははずしてもよさそうだった。

「まあ落ち着いて。ここにいれば安心ですから、ゆっくりとしていってください」

「でも友之助さん、あんた御舟庵に戻っちまうんだろう。行かないどくれよ、あんたまで殺されちまうかもしれないだろう、俺は怖い」

 怖い、と惣太郎は繰り返した。こんな気弱な男だったのだろうか。礫騒動のときに曲者を追っていったという猛者っぷりはどこへいってしまったのだろう。

 とにかく惣太郎と友之助の居場所はつかんだ。色吉はそっと離れをあとにした。

 それから、お畝が刺されたことを自身番に届けておくことにする。寺のあった町内の番屋に近づいていくと、戸が開け放しになっていて、中で馬道の親分、武佐蔵が土間に腰かけ、番太郎の老人と話しているのが見えた。

「どうもこんばんは、あっしは船宿飯舟屋の船頭を勤めている平太という者でやすが、さっきうちのお嬢さんが何者かに刺されやして」

「てめえ色吉、俺の縄張りでなにやってやがる」

 武佐蔵が目をむく……ところまで想像して、色吉は見つかるまえにくるりと背を向けた。


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