二
翌日、色吉は元村様を訪ねてみた。勝手口を訪うと、初老の女が出てきた。これがお清であろう。
「奥様はだれにもお目にかかりません」
丁寧だが断固とした口調だった。
一見ぼんやりしているようで、いや、それだけにかえって愚鈍なまでに主人に忠実な頑固さを備えていた。
「お病気かなにかで」
「違います。失礼な。下賤な小者などに会ういわれはないのです」
それをいうなら、あんたの主人だって不浄役人とさげすまれて……と思ったがしかしこれでは旦那に跳ねかえってくるからやめておく。
「えーと、あんたがお清さんでやすね? あんたでもいいんだ、話を聞かしてくんな」
「なんですか、藪から棒に」
「あんたが見た鬼、ってやつについて教えてもらいてえ」
「あた……あたしは、よく見ていないのです」
自分に声がかかるなど思いもよらぬことだったらしく、お清はつい応じてしまったようだ。
「あんたが手を引いていたお夕ちゃんのほうに向かってきたんだろう」
「手を引く……?」
お清はちょっととまどったような顔をする。
「お嬢さまは疲れて寝てしまって、神田のあたりからはあたしがおぶっていたのです」
「ああ、そうなのかい。じゃあ鬼はあんたのほうに向かってきたのかい」
「いいや、あたしらが帰ってきたとき、門のところになにか立ってたが、奥様が悲鳴をあげると逃げてったよ。ものすごい大男だったから、たしかに鬼のようだったけど、顔や格好をはっきり見たわけじゃ――」
宙を見て思いだしながらしゃべっていたお清は、はっとした顔で唐突に口をつぐんだ。
「いいや! 奥様もお嬢さまもあたしも、そんなものはなにも見なかったんだった。お、鬼なんてこの世にいるわけねえでしょう。さあ、こんなとこ見られたらまたしかられる、帰った帰った」
「いや、もう少しだけ――」
色吉は食いさがろうとしたが、けんもほろろに追い返された。
夕刻、元村家の主人、沖直がまえを通るのに、羽生家の隠居、歩兵衛が声をかけた。
「これは元村殿、こんばんは。いまお帰りですかの」
元村のあとを、供の中間が二人つき従っている。
「うむ」
鷹揚にうなずいて、通り過ぎようとする。
「奥方と娘御が鬼を目撃したとか。話を聞いてもようござろうかのう」
元村は立ちどまり、じろりと横目で歩兵衛をにらんだ。
「そのような噂を立てられ、当家としては迷惑しておる。羽生殿も言いふらしている口か。であるならば即刻おやめいただきたい」
「いやこれは……年寄りの退屈しのぎ、気に障られたら申し訳ない、お詫びする、ご容赦なされよ」
「ふん」
元村は再び歩きだした。二人の供も、その主人にぴったりと動きを合わせている。
「武士たるもの怪力乱神を語らず、いわんやその身内においておや」
それほど大きな声ではないが、そう言い捨てていった。