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色吉捕物帖 三  作者: 真蛸
かまいたち
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 かまいたちは振り返り、充分に人間を引き離したのをみて、とぼとぼと歩きはじめた。

「なぜあんな大人の、しかも男を襲った」

 かまいたちの前に、巨大な影が立ちふさがった。かまいたちは立ちすくんだ。

「ああ、グイヌイさん……」

 かまいたちの目の前にいたのは人間ほども大きなかまいたちだった。

「そのうえ、岡っ引などに」

「それは……だって……知らなかったんだ」

「ふん。岡っ引だと知らぬ、それはいい。それはいいが、なぜ大人の男に襲いかかったのだ」

「だってあんなとこでうろうろしていて、おかあさんが見つかるかもしれなかったから」

「それで自分から正体を現すとは、やはり考えの浅い子供だな。愚かな」

 かまいたちは、きっ、と顔をあげたが、グイヌイのひとにらみでまたすくみあがった。

「あの十手がおかしいんだ……体が痺れて……そもそもあやかしのぼくを打ち据えるなんてできっこないってのに……」

「だからまだ修業が足らんのだ、愚かなチビよ」

 グイヌイはかまいたちの頭をわしづかみにすると、ぐいぐいと抑えつけた。

「ああ、痛い、やめて、グイヌイさん、痛いよ、ゆるして……」

「よいか、おまえなど、人間の小さな女の子を襲っていればよいのだ。身のほどを知れ。目方も軽く動きも遅く勢いも弱く技もなく頭も悪い分際で、猪口才なことを考えるでない」

おまえの母がどうなってもよいのか」

「ごめんなさい、グイヌイさん、ゆるしてください、おかあさんに手を出さないで」

「馬鹿め、私がなにをするというのだ。おまえがちゃんと働かねば、母の病が治らぬと言っておるのだ」

「わかりました、ちゃんとします。だからゆるして、手を放して……ください」

 グイヌイは投げ出すようにかまいたちを開放した。かまいたちはぐったりと倒れて、荒い息をついた。

 しばらくしてなんとか起きあがったときには、グイヌイの姿は消えていた。


 柳原土堤に戻ると、あの岡っ引の人間ももういなかった。

 それでも用心しながら進み、一本の柳のうえに駆けのぼると、そこにはもう一匹、かまいたちが目を閉じて横たわっていた。毛並みがぼさぼさと悪く、体も痩せ背中の鎌も萎びているところを見ると、かなりの高齢のようだ。

「おかあさん」

 おかあさんと呼ばれたかまいたちは目を開き、じろりとかまいたちを見た。

「どこにいってたんだい、病気の親を放っといてさ」

「ごめんよ。人間がうろうろしていたから、ちょっとおどかしてやったのさ」

 それを聞いた母かまいたちは鼻で笑った。

「そのわりにゃあずいぶんとかかったもんだねえ。切りつけるだけじゃあなくて、よっぽど念入りに脅しつけたってわけかい」

「うん……まあ、そんなとこだよ」

「嘘をお言いでないよ。おまえ人間に取っ捕まって逆に脅されたりすかされたりしていたじゃないかね。まったくもう、人間に知られるなんてぞっとしないね、二度とあんな真似はやめておくれ」

「だって――」

「だってもへちまもない、約束しな」

「うん」

「するのかしないのか、どっちだい」

「約束するよ」

「おまえ、昼間にちっちゃな女の子を襲っていただろう。それこそおまえよりもまだ子供の女の子を」

「うん、でもおかあさんは心配しなくていいんだ」

 母かまいたちは顔をしかめた。

「苦しんでるあたしを放っておいて、よくそんなことできたもんだ。ここんとこ、昼間によく長いこといなくなるけど、どこにいってるんだね」

 そうだ、今日はおかあさんの様子がいつもより悪かったから、それで遠くまで行けなかったのだ。

「それも心配しないで」

「なに言ってるんだ、おまえがいないあいだに病気がひどいことになったらどうする、それを心配するなだなんて、ひどいやつだね。病気よりもおまえのほうがひどいよ」

「ああ、ごめんね、おかあさん。もうひとりにしないよ」

 かまいたちは涙ぐんでいる。

「わかりゃいいんだよ、泣くんじゃないよ、うっとうしい」

 かまいたちは目をこすりながらまた、ごめんなさいと繰り返した。

「それからおまえ、いったいどこに行ってるのかね」

 かまいたちは黙っている。答えない。

「どこに行ってるんだい」

「その……食べるものを探してるんだ」

 母かまいたちはちょっとあきれたような顔をした。

「食べるものだって……? ここにはたくさん柳があるじゃないか」

 かまいたちは柳の精を食べるのだ。

「うん、でも、もっと――滋養のつくものを食べてもらいたくて」

「滋養のつくもの、だって?」母かまいたちは、はっとなにかに気がついた顔になった。「まさかこのところおまえが持ってくるあの黒い飲み物、あれはまさか人間の血じゃあないだろうね」

「えっ、ええ……その……」

 かまいたちはどう答えていいかわからない。まさか人間の血じゃあないだろうね、という言いようは、ひょっとして、ほんとうのことを言ったらまたおかあさんを怒らせてしまうのではないか。

「そんなこと、ないよ」

「人間の血なんだね、しかも子供の女の子なんだね。うげぇ、やめておくれよ、あたしは人間の血が嫌いなんだ、二度と持ってくるんじゃないよ」

「でもおかあさん、滋養をつけて早く病気をよくしないと」

「そんなもの飲むくらいなら死んだほうがましだね。もう二度と人間を襲って血を採ろうなどと考えるでないよ、いいかね」

「でも、おかあさんの病気には人間の血がいちばんだって」

「誰だい、そんなでたらめをおまえに吹きこんだのは」

「……」

 グイヌイには、もしそう訊かれたときのために答を言われていた。だがかまいたちは、母に嘘をつくのをためらった。

「なんだいおまえはさっきからすぐに黙りこんで。そんなにあたしに言えないことばかりならば、もうおまえとは親でも子でもない。どっかに行っちまいな」

 母かまいたちは背中を向けた。

「ごめんなさい、ダハヌタ……ダハヌタさんに教えてもらったんだ」

「ダハヌタだって……? あいつは上州かどっかに旅に出たんじゃなかったかね、だいぶまえに」

「う、うん、でも、こないだちょっと帰ってきてたんだ」

 母かまいたちはなにか考えこむ顔つきをしたが、背を向けていたのでかまいたちにはわからないかった。

「そうかい、ダハヌタがそんなでたらめを言ったのか。まあ誰が言おうとそれはでたらめだ。二度と人間を襲うんじゃないよ」

「でも」

「いいから母のいうことを聞きな」

「……」

「わからないなら、もう――」

「わかったから、おかあさんと一緒にいていいでしょ」

「もう二度と襲わないと誓いな」

「……誓う」

「約束を破ったら、もうあんたはわたしの子じゃあない」

 かまいたちはうなずいた。

「でもおかあさん、人間を襲って切るのがかまいたちなんじゃあないの?」

「人間を襲うったって、年がら年中襲うわけじゃあない。せいぜい年に一度、ひどいときは何年も間が空くものさ。それに襲うのだって、怪我はさせても血は出さないものなんだ。だから人間の血を採ろうなんて、それは邪道、外道さね、かまいたちにとって」

「でもぼくだって、血を採ったあとでちゃんと膏薬を塗って――」

 母かまいたちがじろりとにらむと、かまいたちは黙った。

「それにだ」母かまいたちが続けた。「襲うったって誰でも構わないってわけじゃあない。大人の悪いやつを懲らしめるためにやるんだよ」

「悪いやつだって、どうしてわかるの?」

「においでわかるんだ。あんただって大人になればわかる。だから子供のあんたが人間を襲うのは違うんだよ。わかったかい」


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