十九
「そ、それみろ、……お、恐ろしい……つぎはあんただ」
弥太郎は民助を指さした。
「ひとを指さすんじゃねえよ」
「こうやって怖がらせておいて、さんざびびらしといて、それから俺を死なすんだ。いやだ……お君……赦してくれ……」
弥太郎はへたり込み、畳のうえにつっぷした。民助はひとつため息をついた。
「おい、立て、いくぞ」
弥太郎の襟首をつかんで引き立てる。
「立てってんだ。チッ、重いな。さっきはずいぶん軽い野郎だと思ったんだが、ありゃ六蔵の馬鹿力か」
「あ……あんた、怖くないのか」
「あ? ああ、怖い怖い、怖いからいくぞ」
民助は弥太郎をつかんだまま歩きだしたところでばたりと前のめりに倒れた。
「う……やっぱり、うわ、うわ」
弥太郎は転がり逃げようとしたところ、ばたりと倒れた。自分も死んだのか? とも思ったが、自分が死んだと考えるのも妙なことだ。そしてその通り、自分が死んでいないことは、弥太郎にもすぐにわかった。倒れたのは足首をつかまれていたからだった。
「ひいっ」
足首をつかんでいたのは、死んだはずの民助だった。
「へっへっへっ」
民助が顔をあげたが、その顔にはにやにや笑いがへばりついていた。
「あんた今けっこうな勢いで逃げようとしてたぜ。それだけ元気がありゃ歩くどころか駆けることだってできるな。よし、でかけるとするか」
「いやだよ、勘弁してくれ。おとこ女郎なんか……」
「おめえどうせとり殺されるっていま言ったじゃねえか。だったら死ぬまえに店に渡してこっちに金を手にさしてくれよ。そのあとで呪われようが死のうが好きにしやがれ」
「あんた、さっき金はもういらねえようなこと言ってたじゃねえか」
「なんだ旦那、じゃあ俺に殺してほしいのか?」
弥太郎は首を横に振る。
「そうだろうが。ほれ、いくぜ」
再び戸口に向かおうとしたとき、民助はうっ、とうめいて胸を押さえ膝をついた。
「おい、いいかげんしつっこいぜ。どうせまた死んだふり――」
しかし民助の真っ白になった顔を見て弥太郎は自分の顔からも血の気が引くのを感じた。そのときがらりと戸があき、
「待て!」
と声がかかった。民助は畳にばたりと倒れた。
戸口には巫女のような恰好をした女が立っていた。
「これ以上罪を重ねず、おとなしく自分の行くべき場所に行きなさい」
女の目は民助を通り過ぎ、弥太郎を通り過ぎて、弥太郎の背後を見ていた。
いつのまにか行燈の灯りがずいぶんと落ちて、どんよりと薄暗くなっていた。
弥太郎が振り返ると、顔が浮かんでいた。お君だった。
弥太郎がまた声にならない悲鳴をあげて逃げようとすると、戸口の女の陰から男が出てきて押しとどめた。
「待てよ、お君さんの話を聞いてやれ」
「なっ、なに言ってやがる、あいつは俺をとり殺そうとしてるんだぜ」
「お君さんがそう言ったのかよ」
男はあの気に入らない小者、色吉だった。
「言っちゃいねえ。言っちゃいねえが、そうに決まってらあな」
「フン、お君さんにひでえことをした自覚はあるってんだな」
「とにかくどいてくれ」
弥太郎は震える足で土間に降りたが、色吉に肩をつかまれ反対を向かされた。
「痛え、くそ、馬鹿力が」
お君は悲しい顔をしている。泣いているようにも見えた。暗いなか、ぼんやりと浮かびあがっている。
「莫迦だね、あんたは」
巫女のような恰好だが妙に派手な装束を着た女が言った。弥太郎はお君から顔をそむけた。
「この女の、気持ちがわからないんだねえ。この人が生きていたときも、死んだあとにも」
弥太郎は土間でしゃがみこみ、頭を抱えた。「堪忍してくれ、堪忍してくれ……」
巫女のような恰好をした女はため息をついた。
「情けない。あんた、お君さんの言ってることが聴こえないのかい」
弥太郎は頭を抱えているだけだ。
「あの、水祐先生……あっしにもなにも聞こえやせんが」
水祐先生と呼ばれた巫女のような恰好をした女はじろりと色吉を見た。
「ああ、そうなのか。そりゃそうか。そうだよな。じゃあわらわが代わりに話してやろう」
水祐は座敷にあがり、お君の顔を背にするように、土間のほうに向きなおった。
「お君はあんたをとり殺そうなんか、考えちゃいないよ。むしろ逆だ、おまえさんを守ろうとしているじゃないか。よく思い返してごらんな」
ちんぴらの吉八、松吉をはじめ、銀次や富造、それから今日の六蔵を死に追いやったのは確かにお君の怨霊だった。だがそれは、自身の恨みをはらすためではない。
「みんなあんたに簪を作らそうと、それから茶屋に売りとばそうというのを阻止するためさ」