二
逃げだしたくなるところを必死にこらえて手を伸ばして、震える十手の先でつついてみる。手ごたえがある。
しめた、実体さえあれば、そんなに怖れることはない。ないはずだ。色吉は気をとりなおした。それでも十手を構え、用心しながらぐったりと倒れている動物を観察した。
大きさはそこいらの野良犬くらいだが、胴が長い。ふつうの動物とあきらかに違うのは、足が六本あることだった。前脚二本、後脚二本のほかに、その中間に中脚とでも呼ぶべきか、後脚に似た足が二本、ついていた。そしてちょうどその部分の背中から、鎌が生えている。いや、形は鎌だが、鉄製というわけではなく、体の一部、腕のようなものだった。柄にあたる部分には体毛が生えていて、刃にあたる部分は硬く白く光り、ちょうどどうやら人間や動物の歯のように骨が露出しているようだった。ほかに体長の半分ほどもある長い尻尾の先に、膏薬のようなものがついていた。
間違いない。こいつはかまいたちだ。……ご隠居は三匹だと言ってたが、一匹なんだな。この前脚と中脚で突きとばして、背中の鎌で切って、尻尾で血止めの膏薬を塗るって寸法だ。
ところでさっきからぴくりともしないが、死んじまったのだろうか。そもそも妖怪って死ぬのか? だいぶ落ち着きを取り戻した色吉は、顔を妖怪に近づけた。すうすうと息する音が聞こえたから、生きているのだろう。
かなりこっぴどく叩いたからもうしばらくは気絶しているだろう。色吉はそいつをさらにじっくりと観察した。
さっきも見た通り大きさは成犬ほどもあったが体つきは犬ほどはごつごつしておらず、猫のようにしなやかだ。大きすぎるのと、中脚、背中の異物、尻尾とその先を除けば――
「まるでイタチだな」
色吉がぽつりと言うと、
「あたりまえだろ、かまいたちなんだから」
と声がした。
色吉ははじめ、まさかそいつがしゃべったとは思わなかったから、立ちあがりざま十手を構えたまま体をぐるりと一回転させた。だれもいない。見あげてもなにもない。
「どこ見てんだ。こっちだ」
かまいたちの目は、ふつうの鼬と同様に黒目がちだった。そしてあたりは半月と星明りのみの暗さだったが、それでも色吉には、かまいたちが自分を見ているのがわかった。
しゃべる妖怪に腰を抜かしそうになったが、なんとかこらえて、だが足が震えるのでなるべく自然に腰をおろしたように見えるようにへたりこんだ。
「おめえ、しゃべれるのか、けだもののくせに」
声が震えないように話すと、押し殺したふうに聞こえたのでしめたと思った。
「けだものとは失礼だな、きみ」
「おめえ、しゃべれるのか、バケモンのくせに」
「もっと失礼だろ」
「おめえ、しゃべれるのか、妖怪のくせに」
「妖怪、ってのもひっかかるね」
「じゃあなんと呼ばれたいんだよ」
「そうだな……せめて、あやかし、とでも呼んでもらおうか。まだがまんができるかな」
面倒なやつだな、と思ったが逆らうと余計に面倒なことを言いだしかねない。
「おめえ、しゃべれるのか、あやかしのくせに」
「さんざんしゃべったろう、なに言ってるんだいまさら」
「く……こいつ……んで、なんでしゃべれるんだ」
「さあ、妖怪だからじゃないかな」
「おい、自分で妖怪って名乗ってるじゃないか」
「自分で呼ぶにはいいんだよ。きみだって人から小者と呼ばれると頭にくるだろ、自分じゃ名乗っても」
「くそ、マジ面倒なやつだ。なんで妖怪だとしゃべれるんだよ」
「そこまでは知るものか」
「じゃあ妖怪だから話せるってのは理由になってねえな」
「じゃあ逆に訊くが、なぜきみは話せるんだ?」
「え……そ、そりゃ、人間だからな」
「なぜ人間だとしゃべれるんだ?」
「そりゃ……人間の言葉だからだよ」
「ほう、その理屈からいえば、ぼくも人間てことでいいかな」
「おめえは妖怪だろ」
「あやかし」
「おめえはあやかしだろ」
「そもそも、なんでぼくが話せる理由をきみに説明しなけりゃならないんだ」
「ああ、もうそれはいい」
結局面倒だった。
「ところでおめえ、なんでそんなとこに寝そべってやがる」
さっきからこの妖怪は、地べたにずっと伸びたままだった。
「やれやれ、質問の多いやつだ。だいたいきみが殴ったからじゃないか。体が痺れて動かないんだよ」
「おれはなにか飛んできたのを振りはらっただけだぜ。じゃあおめえ、おれに襲いかかったのを認めるんだな」
「ほう、頭の悪いふりをして、うまくぼくをはめたね。なかなか感心だな。さよう、いかにもぼくはきみを的にした」
「おれがいつ頭の悪いふりをしたんだよ!」
つい癇癪を起こしたが、すぐに我に返る。
「このところ小さな女の子を傷つけてるのもおめえで間違いないな」
「ふん……」
かまいたちはそっぽを向いた。
「どうなんでい」
色吉が十手を向けると、妖怪はびくりとして逃げようとしたが、まだうまく体が動かないようで、うねうねとのたうつだけだった。
「乱暴はやめたまえ」
「べつになにも――」
言いかけて、色吉はにたりと笑った。
「ははあ、おめえ、十手が怖いのか。ほーれ、ほれ」
十手をかまいたちの体のうえにかざし、撫でまわすように振った。
「やめろよ、趣味の悪いやつだ」
本気でおびえているようだが、じたばたと逃げようとしてうまくいっていない。色吉は十手を懐にしまった。
「なら答えやがれ」
妖怪はしばらくためらったが、色吉が懐に手を入れると、
「……ああ、そうだよ」とふてくされたように認めた。
「なぜ人を鎌で襲ったりしたんでえ」
「そりゃ、かまいたちだからだよ」
「む。そりゃそうか。だけどよ、なぜちっちゃな女の子ばかり狙いやがった。もっと他に、大人の男なんか狙いやがれ」
「そうしらたこのざまじゃないか」
「む。なるほど」
「ぼくなんかまだ小さいから、小さい女の子くらいしか突き転ばせないのさ」
「なにい……いたちにしちゃあ充分でかいじゃあねえか。まだ大きくなるつもりかよ」
これくらいの犬に跳びかかられたら大人でも倒れそうなものだ。
「それがそうでもなくて、まだまだこのていどじゃあ目方が足りないのさ。なにしろ物の怪だから、他の獣よりも実体が薄くて軽いんだ」
言ってしまってからしまった、と慌てて口をつぐんだ。しゃべりすぎだ。なんでこんなことまで話してしまったのだろう。
「ふーん、そういうもんなのか」
かまいたちのそんな思いは知らず、人間は素直に感心している。
「なりはでかいが、まだ餓鬼か、なら二度と小さい子を襲わないって誓えば、今日のとこは見逃してやる。どうだえ?」
「フン……餓鬼とはなんだい、失礼だな」
「餓鬼は餓鬼だろうが、バケモンのくせに子供とでも呼んでもらいてえのか」
「あやかし」
「あやかしのくせに子供とでも呼んでもらいてえのか」
「餓鬼も子供も失礼にはかわりないだろ。かまいたち、と呼んでくれたまえ」
「いやおめえ、名前はないのかよ」
「だからかまいたちだよ」
「そりゃ妖怪の名前だろう、おめえ自身の名前だよ」
「なんでそんなもの教えなけりゃならないのさ」
「ちっ、ならいいよ、カマ公、もう女の子を襲わないと誓えるかえ?」
「カマ公とはなんだ」
「かまいたちじゃ長くて呼びづらいだろうが。で、どうなんでえ、誓えるか?」
「フン」
かまいたちはそっぽをむいた。
だいぶ体も回復してきた。隙をみて逃げだしてやる、と密かに考えていた。
色吉はそんなかまいたちをしばらくにらんでいたが、ふと表情をやわらげ、背中ひとつ叩いた。
「今日のところはこんくらいにしといてやる。でも二度と小さな女の子を襲ったりしてみやがれ、そんときゃあたたっつかまえて容赦しねえぜ」
かまいたちは、ふ、とかき消えたように見えたほど素早く逃げだすと、しかしすこし離れたところで立ちどまった。
「二度と人間なんかに捕まるもんかよ、この間抜け」
「なんだとこの餓鬼、ちくしょう待ちやがれ、やっぱ見逃すのやめた」
「餓鬼じゃねえ、つってんだろ、そんなに餓鬼に会いたけりゃ地獄に堕ちな」
色吉はかまいたちに向かって駆けだしたが、そのときにはかまいたちの姿は再びかき消えて、こんどは再び姿を現さなかった。