八
またある夜、一杯機嫌で弥太郎が長屋への道を歩いていると、自分を呼びとめる声がしたから、弥太郎は用心しつつ振り返った。
「このところお君さんを見ねえようだが、なにかあったのかえ」
嫌な野郎だ。色吉という小者で、なにかと人の家のことに首をつっこんできてうるさく詮索しやがる。
「ああ、ちいと具合が悪くて、しばらく田舎のほうにな」
「ふーん。田舎ってのはお君さんのか。どこだったっけ」
嫌な野郎だ。だが弥太郎と色吉の長屋はすぐ隣同士だ。しかたなく並んで歩きながら、
「深川……の先の、平井村のあたりだ」
と答えるとしつこく、
「へえ、今度あのあたりに行ったときに見舞いにでも寄ってみるぜ。平井はどの辺だえ」
嫌な野郎だ。
「どの辺もなにも、あの辺の農家だよ、だがおいおい、大きなお世話だぜ、ひとの嬶のことなんざ放っておけよ」
「ふん、そうかえ。ところでしばらくっていつまでだえ」
嫌な野郎だ。
「そんなもん俺にわかるか、あいつの具合次第だよ」
「そうかい、こんなこた言いたかねえが、おまえさんが苦労かけすぎたおかげじゃねえのかい。ところで最近ずいぶん景気がいいみてえだな、仕事もしてる様子がねえのに」
まったく嫌な野郎だ。
「でけえ仕事をひとつ仕上げたんだよ、ほんとに大きなお世話だぜ、じゃあな」
ちょうど自分の長屋のまえにきたのでこれ幸いと、弥太郎は木戸をくぐってぴしゃりと閉めた。