第20話 夢から覚めた後味の悪さ
逃げ込んだへーファーマイアー公爵領は、思っていたより発展していた。正直に表現するなら、王都より賑やかで人が多く華やかだった。人々は戦の気配を感じながらも、領主である公爵家の力を信じている。
この公爵領を守る砦に、公爵の長男であり跡取りのベルンハルトがいる。彼の強さは騎士としても魔法士としても有名だった。自領を守る騎士団も、王家の飾り物より立派だと自負している。公爵領の領民にとって、王家は敵ではなかった。
だから多少の被害が出ても負けないと考え、自分達が持つ力や食料を活用してもらおうと衛兵の詰所は賑やかだ。
王都では見られない状況に、騎士ブルーノと聖女エルザは驚いた。こぞって逃げた王都の民と明らかに違う。それだけ公爵家が民を大切に守り、庇護した証拠だった。代々得た恩をいつか返そう、それが今だと領民の気持ちは高まる。
「我がヘルマン男爵家もこうありたいものだ」
ブルーノはぼそっと呟いた。英雄である父の銘に憧れて騎士になったが、今回の騒動で思い知ったのだ。爵位を授けた王家に父が恩を感じていない理由は、ここにあった。宰相であったへーファーマイアー公爵家の口添えだったのだろう。
王家の騎士になると告げた息子ブルーノに「お前の人生だ、好きにしろ」と溜め息をついた父の姿が脳裏に蘇った。真実を見極められない息子に失望したのではないか。
隣で「あれが欲しい」と屋台を指差す聖女エルザを見つめ、ブルーノは時折過ぎる違和感を初めて直視した。無邪気に物を強請るエルザは市井の娘だ。そこは問題ないが、何も考えずに初対面の男について行ったのなら……この子は何が目的だったのか。
金だろうか、贅沢させてくれそうだと思ったのか? 愛情より金を優先する『聖女』の考え方を否定する気はない。それもひとつの生き方で、貴族が家柄や釣り合いを考えて、政略結婚するのも同じようなものだ。
逃げる馬車の中で聞いた話は、孤児院でひもじい生活をした苦労だった。燃え上がった一時的な感情を恋と錯覚したのは、彼女が笑顔で甘えてくるからだ。庇護欲を誘う仕草で、猫撫で声を出して甘えるエルザを可愛いと感じた。
砂糖菓子のような外見は好ましいが、私はエルザの何を知っているだろう。この姿と甘える声、孤児院育ちで王太子に拾われた聖女――公爵令嬢アゼリアを蹴落とした少女。
公爵領へ引き上げるベルンハルトに直談判した時、恋仲だと告げた話を遮った彼の呆れを含んだ表情が浮かんだ。騒ぐエルザへ屋台の串焼きを買い与え、ブルーノは再び考えに集中する。
すぐに作った貴族の笑みで隠された本音は、もしかしたら父と同じだった? 少し視線を動かせば、食べ終えた串を指先で揺らす少女がいる。優しければ、服や食べ物を買い与えるなら、誰にでも同じように微笑むのではないか?
浮かんだ疑念に、ブルーノは真実のカケラを見出した。ああ、また見誤ったのか。単純で上辺しか見ない自分の愚かさを自覚すれば、恥ずかしさで顔が赤くなった。
ベルンハルトは騎士ブルーノを認めて受け入れたのではない。後ろにヘルマン男爵である父を見たのだ。英雄である父を引き込む材料として、私はこの公爵領に招かれた。
「本当に愚かだ」
駒として扱われたことに屈辱感はない。逆に、よく見捨てられなかったと強運に感謝した。
「あの髪飾り、綺麗ね」
無邪気に強請る隣の少女を見つめても、もう何も感じない。王城から手を取り合って逃げた時の激情は消えていた。まるで悪い夢から覚めたように――己が選ぶべき道が見える。
「買ってきていいよ」
銀貨を握らせ、走る彼女を見送る。そのまま踵を返し、人波に紛れた。向かう先はベルンハルトがいる砦だ。ここからは少し遠いが、走れば30分ほどだった。
後ろから名を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、ブルーノは振り返らなかった。




