第17話 暗黙のうちに駆け引きを
転移魔法をこんなに簡単に使う人、初めて見たわ。獣人ゆえに魔法は親しみのあるアゼリアだが、転移魔法は空間と時間を歪める高等技術だ。彼女には扱えなかった。
何度も練習して、それでも発動の兆しすらなかった魔法を、指先でさらりと構築したイヴリースに驚く。魔王とは、これほどまでに違う存在なのだと目を見開いた。
「どうした?」
「いえ。私が努力しても出来なかった転移を、簡単そうに使うんですもの。ちょっと悔しかっただけ」
唇を尖らせて頬を膨らせれば、くすくす笑うイヴリースが頬を指でつついた。周囲が魔法の光に包まれる。
「随分と可愛い拗ね方をするものよ」
「ありがとう」
容姿や仕草を褒められたら素直に受けなさい。そうでなければ、周囲の人が困惑してしまうわ。なぜかそう教えた母カサンドラの言葉に従えば、イヴリースは嬉しそうに頷いた。
「それでよい。素直が一番だ」
上から目線の話し方なのに、全然気にならないわ。アゼリアはイヴリースの口調より、彼の見せる優しさに惹かれ始めていた。もちろん、顔が好みなのは最優先条件だ。
「……私の存在をお忘れでしょうか。それと、結界の外にご家族がお待ちですよ。アゼリア様」
一緒に転移したメフィストが呆れ顔で注意する。慌てて手を突っ張り、イヴリースと距離を取ったアゼリアの目に、見慣れた屋敷の庭が飛び込んできた。
王都の屋敷にいたから、昨年以来だろうか。魔王城の庭と違い、季節感溢れる春の花が咲き乱れていた。まだ薔薇は蕾をつける前で、足元に小さな黄色の花が揺れる。
「お父様、お母様!」
大喜びで駆け寄ろうとするアゼリアに、肩を竦めたイヴリースが結界を解除した。転移先の状況に影響されないよう、転移魔法と結界は常にセットで使う。
飛び出したアゼリアは、剣の柄に手をかける父アウグストに何かを説明し始めた。母カサンドラは元王女の肩書にふさわしい優雅な所作で、魔王と側近へカーテシーを披露する。
「魔王陛下、娘をお返しいただき感謝いたしますわ。こちらでお茶でもいかがです?」
「頂こうか」
「カサンドラ!」
怒るアウグストの声に、カサンドラはにっこりと微笑んで「あなた、失礼ですわ」と一喝する。可愛い娘と愛しい妻に叱られ、ぐっと文句を飲み込んだアウグストが苦虫を噛み潰したような顔で後ろに続いた。柄にかけた手を離さないあたり、彼の本音が透けてみえる。
後ろから斬りかかるほど卑怯な男ではない。そう判断したため、イヴリースはアゼリアの父の無礼を見逃した。日常的に結界を多用する魔王を傷つけることは難しい、メフィストも辛辣な判断で背を向ける。
相手にされず背を向けられれば、そこに斬りかかる無礼は出来ない。公爵という肩書より、竜殺しの英雄としての面子だった。もちろん、娘アゼリアが傷付けられたら、そんな面子はゴブリンにでもくれてやるが。
頬を赤らめた侍女が用意した紅茶に手をつけ、イヴリースは本題を切り出した。
「こちらの公爵領にユーグレース王家が手を伸ばしたと聞くが……戦うのか?」