第142話 浮気、ですか?
妃となる婚約者が、側近と目配せしあい頷く姿は、心の中が重くどす黒い感情で埋め尽くされる。アゼリアは余の番で、誰にも渡さない。
殺気まじりの視線を向けられたメフィストは、呆れたと溜め息をつく。何を勘違いしたのか、尋ねるまでもなく感情がダダ漏れです。王たる者の心得を叩き込んだ上司の姿に、空を仰ぎたくなった。もちろん、他国の王族の前でそんな振る舞いは出来ない。
我慢……出来ないでしょうね。イヴリースの性格をよく知るから、メフィストは早々に諦めた。
「アゼリア姫、陛下と休まれてはいかがでしょう」
突然何を言い出すの? 首をかしげるアゼリアの首を、赤毛がさらりと撫でる。吸い寄せられるように口付けたイヴリースの様子に、アゼリアも事情を悟った。
なんだか機嫌が悪いわ。拗ねて甘える男を可愛いと思いながらも、他国で見せる態度ではない。完全に拗らせる前に宥めるのが得策でしょう。
「そうね。海が見たいわ」
にっこりと強請る最愛の姫に、イヴリースは素直に従った。強大な力を持つほど、魔族の性格は子供の状態を保つ。そう言い聞かされ、イヴリースを始めとした魔王軍の重鎮と接して、アゼリアは理解していた。
メフィストは上位魔族の中でも、珍しい存在なのだ。彼のような魔族はいなかった。我が侭な主君を宥めて、国の方向性を示すのが彼の役目だ。
「海に戦場はないぞ?」
戦場を見に来たのではないのか? 直球で尋ねるイヴリースだが、少し機嫌が上向いている。子供っぽい性格ということは、機嫌を損ねるのは簡単だが、その機嫌を取るのも容易という意味だった。もちろん特効薬のアゼリア姫がいれば、の話だが。
「いいの。海に足を入れたことがないのよ」
だから入ってみたい。無邪気にそう口にしたアゼリアへ、ベリルの末っ子王子は慌てて忠告した。
「この時期の海は荒れます。水温も冷たいので、足首より先を入れないようにしてくださいね」
波に攫われますと付け足した。アゼリアは忠告に頷き、イヴリースの首に腕を回してしっかり抱き着いた。
「お願い」
「よかろう。何かあれば呼べ」
一応魔王としての役目とばかり、思い出したように宰相に声をかける。しっかりと臣下の礼をとって見送るメフィストは2人の姿が消えると、大きく息を吐き出した。
「……あの方が魔王陛下ですか。僕より幼い子供を見ている気がします」
「否定できませんが、怒らせると子供は怖いですよ」
口止めする気はない。あの性格がバレても痛くも痒くもないのだ。ただ逆鱗に触れる国が滅ぼされるだけの話だった。忠告というより、大人の事情を諭す口調のメフィストに、王子は頷く。
「泣く子には勝てぬ――この国の格言です」
なかなか的を射た言葉だと笑うメフィストは、この後の騒動を正確に予想していた。
浮気かとアゼリア姫に詰め寄り、事情を聞いて今度は私に文句を言いに帰ってくる。それでも早朝の戦いが終わるまでもてば、文句も甘んじて受けましょう。もちろん反論しますけれどね。
有能な宰相は、机上の地図を眺めながら一点を指さした。
「ここが手薄です。固めましょうか」




