第1話
正直、その提案に驚いた。
初めて聞いたその話は、途中からは頭の中に入ってこなかった。
非現実的ということもあるが、その提案に対する自分のイメージと母の説明がどうもしっくりこないのだ。
それでも母は未だに話し続けている。
感覚では、その提案についてのメリットを話していることは大体分かるのだが、どうしても思考回路がついていかない。
夕食後、リビングの食卓に座ってテレビを見ていた宗佑は、向かいに座った母に完全に不意を突かれた形になっていた。
「・・・ごめん、母さん。今なんて言った?」
母の話の最初の部分を確認したくて、初めて声を出した。
「だからね、きっと楽しいと思うのよ。あんただってきっといい経験になるんだから」
聞いているポイントにではなく、母はまたその提案についてのメリットを話し始めようとした。
「いや、ちがうちがう。そうじゃなくって、これ何の話?」
かぶりを振って聞き返す息子に、一瞬キョトンとし、調子を崩されたような顔で母は答えた。
「だからぁ、ホームステイよ」
最初に口にしたときの、いかがでしょうか?的な提案をするような話し方とは違い、あたかも、何を今さら当然でしょ?と言わんばかりに口調を強めて言った。
「ごめん・・・誰がすんの?」
何度も確認して申し訳なくなったので枕詞に謝意の念を付けて聞いた。
一息ついて、さらにちょっとの間を空けて母は言った。
「私たちがに決まってるでしょ!」
と言ってから
「・・・あれ?なんか違うかな・・・」
と続けた。
自分でも何か違和感を感じたのか、しばらく目線をテーブルに置いてある自分の手のひら辺りに泳がせながら考えてる。
そして再び目線を上げると、あっ、という顔になって
「ホストファミリーよっ!私たちが受け入れるのっ」
と元気に答えてくれた。
第1話
帰りのバスの中、座席に背中をうずめるようにしながら、外の景色をぼんやり見てた。
「おっ、宗佑起きてたんか?」
そう言いながら隣の席に腰をおろして早瀬はスナック菓子を勧めてくる。
「さっき起きた・・・っつーかお前らウルサすぎっ」
スナックをもらう手を伸ばしつつも悪態をついた。
「だって1週間ぶりに帰れんだぜ〜、めっちゃ楽しみや〜。何食べよっかな?」
早瀬はそう言うと、あれもいいし、これもいいしと指を折りながら考えている。
そんな奴とは対照的に、宗佑の気持ちは暗澹としていた。
その暗闇は宗佑達の住んでいる町に近づけば近づくほど、濃度を増しているようだった。
また外の風景に目を戻す。
合宿に出て行く前の日の、母との会話が思い出される。
「受け入れるって、この家に?」
我ながら当たり前の質問だ。
「当たり前じゃない」
(そりゃそうでしょうけど・・・)
「うちはほら、部屋が余りすぎてるでしょ?ちょうどいいと思って」
確かにこの家は2人で住むには広過ぎて、寒々とした感じは確かにあった。
それもつい最近まで喧騒に近いほどガヤガヤしていた余韻が残っているためか、より一層居心地の悪さみたいなものはあった。
「でも一体だれを?そんなん募集しなきゃ駄目なんちゃうの?」
ホストファミリーなんてのは、外国に行ってそこの家族と一緒に住むというウルルン滞在期のようなイメージしかなかった俺はとにかく初歩的なことから聞かないといけなかったが、
「大丈夫大丈夫、母さんに任せときなさい!」
と飲みかけの缶チューハイを一気に喉に流し込んだ。
家計の事情などもきっと絡んでいるんだろうな・・・
俺は母の姿を見て、ふとそう思った。
それにこれは提案というよりも、報告になのだろう。
母はけっこう前からこのことについて考えていて、すべて準備も整え、俺に話をしている。
そう、いつだって、そうなんだ・・・
あの時だって、どれだけ反論したって何も変わらなかったし。
「とりあえず1年間ってことで、いいでしょ?」
宗佑もはや抵抗することもなく、いいよ、と答えた。
「でもどんな人が来るかぐらい教えてくれてもええやろ」
この主張は尤もである。
「そうね・・・」
母はフフっと笑って何かを思案しているようだ。
その年甲斐もなく可愛らしい姿に嫌な気配を感じる。
「ひょっとして韓流か?ヨン様みたいな男を呼ぶんちゃうやろな?
」
思わず前のめりになって聞いた。
「ちゃうわっ。何目当てのホームステイや思ってるねん。異文化コミュニケーションやねんで」
(・・・懐かしい響きやな)
「え〜っと・・・」
なぜか母は指折り始めた。
「アメリカ人と・・・」
(・・・ん?アメリカ人と?と?)
「ちょい待ちっ!と・・・ってなんやねん、アメリカ人とって!」
この突っ込みを無視して母は続けた。
「ブラジル人と・・・」
「えぇっ〜〜!!何人おるねんっ!」
「中国人!3人や。数も数えられへんのか」
指折った手のひらを前に突き出し、3本指を上げて、母は陽気に答えた。
(まじか・・・まじでか・・・)
俺はこの家が寮になるようなイメージを浮かべた。
(異文化多すぎるやろ・・・)
「とにかく、あんたは明日から合宿やろ。はよ寝ーや。帰ってくる頃にはみんなおるわ」
やはり報告だった。
母はすべて決めていたのだ。
もう何も言葉が出ない俺を置いて、母はさっさと台所に行ってしまった。
(・・・まじかよ)
頭の中で何度も何度も同じフレーズが浮かんでいた・・・
「・・・佑っ・・・おい宗佑!」
隣りで宗佑の顔を覗き込む早瀬が心配そうな目で名前を呼んでいる。
「あ〜、わりい。考え事。なんか言った?」
「だからさ〜」
早瀬は笑って、少し小声で聞いてくる。
「帰ったら何回ヌクかって。俺もう溜まっちゃって溜まっちゃって大変っす」
そう言うと、早瀬はぎらぎらした目で、早く着かねーかなー、と催促するように運転席の方を向いて呟いた。
俺はといえば再び流れる外の景色を眺めて、ハア〜とため息をついて思った。
(早瀬、俺の合宿生活はまだ終わらないんだよ・・・とりあえずあと1年は)
17時ちょうどにバスが学校に到着する頃には、不安はピークを迎えた。
玄関の門を開けると、メリーがバウバウとシッポを振っていつもよりも大げさに身もだえして宗佑の帰りを喜んでいる。近寄ってメリーの目線に合わせるようにしゃがみ込み、ただいまと挨拶する。
メリーは1週間ぶりに会えるのが相当嬉しいのか、すぐにゴロンとなりお腹を見せる。
しばらく相手しながらも、呼吸を落ち着け、ゆっくりと決心を固めていった。
ひょっとしたら計画がご破算になってるかもな・・・という甘い考えは自分でも、そりゃないか・・・とすぐに打ち消した。
「・・・ただいま」
自分の家なのに、何故にこのように緊張してドアを開けなければいけないのか?答えは分かっていても自問したくなる。
ドアを閉めて玄関で靴を脱いでると、奥のダイニングキッチンから笑い声が聞こえてきた。
その後すぐに、帰ってきたわよ、と母の声が聞こえたかと思えば、廊下の先から褐色の肌をした男がヒョコッと出てきた。
目が合うと、真剣な顔でダダダダっーと玄関まで走ってきて宗佑の目の前で急停止した。
近くで見ると、かなり逞しい体をしていて俺よりも5センチは明らかに高い大男だ。
真っ黒の短髪で目が大きくホリが深い。・・・誰かに似ている。
俺は呆然と立ち尽くして、その男が果たして誰に似ていたもんかと思い出していた。
彼も同じように俺の顔を見て思いを巡らせているようだったが、いきなりガバっと手を広げ大男の胸に自分の頭を抱きこまれてしまった。
海っぽい匂いがして、あ〜、この香水いいな〜、どこで売ってるのかな〜と瞬間的に考えている自分がいた。
ようやく頭を離すと、大男は小池鉄平もびっくりするくらいの満面の笑顔で
「ソースケさんですね、会いたかったよっ!」
と今度は握手してきた。
「・・・あ・・・そう・・・ありがと」
突然の異文化交流に、戸惑いながら引きつった笑顔で答えた。
見るからに人懐っこい感じの大男は、握手した手を離して宗佑の荷物を持ち上げ廊下を歩いていく。
「あっ、いいよいいよ」
荷物を持っていく大男にそれぐらいは自分でやるからという気持ちを込めて言うと、彼はこっちを振り向きにっこり笑うと、早く早くと手招きしている。
彼についてリビングに入ると、・・・酒臭い。
「おっ、おかえり〜」
母が赤ら顔で缶チューハイ片手に、どもっ!と言わんばかりに片手を上げて息子に挨拶した。
「たっ・・・ただいま〜」
食卓には、寿司やら煮物やら賑やかな料理がいくつか置かれていて、それを囲むように母と見知らぬ女の子が一人、そして先ほどの大男がいる。
その女の子は宗佑と目が会うと、優しく微笑んで軽く会釈した。
幼い感じの彼女は目がクリッとしていて、肩まで伸びた真っ直ぐな黒い髪の毛がとても似合う・・・日本人だ。
(あれ?・・・日本人?)
俺も自然と微笑んではみたものの、漫画だったら頭の上に?マークが出ていたと思う。
「ソースケさんも早く飲みましょう、ハリアップ、ハリアップ」
先ほどの大男が俺にワイングラスを手渡してくる。
(あ〜、そっかあ、分かった)
彼が誰に似ているのか、ようやく分かったのだ。犬だ。しかもうちのメリーにそっくり。
そう思うと、彼の顔が犬にしか見えなくなってきて、思わず吹きそうになる。
キョトンとする彼に、
「リック!英語は禁止でしょっ」
と母が注意する。いくつかルールが決まってるらしい。
「あ〜、そうですね。すみませんママさん」
(ママさんって・・・)
母はニコニコしている。こんなに楽しそうな母を見るのはずいぶん久しぶりのような気がした。
「とりあえず、カバン置いてくるよ」
俺は自分のペースを確保するためにも一旦部屋に引き上げた。
2階へ続く階段を駆け上がる足取りは軽い。
あの大男や、国籍不明の物静かそうな女の子に会っただけで、正直不安はかなり薄れていた。そして母の楽しそうな顔。
(な〜んだ・・・別に大丈夫そうやん)
下の階から母が俺を呼んでいる声がするが、無視して自分の部屋のドアを開けてバッグを放り投げ・・・れなかった。
ドアを開けると、後ろを向いてる女がいた。しかも着替え中のようで下着姿だ。
「・・・なっ・・・だれ?」
まさか自分の部屋に半裸の女がいるなんて・・・頭の中が真っ白になってしまった。
ドアを開けた音を聞いてだろう、サッとこちらを振り返った彼女と目が合う。
(・・・あっ)
ポカンと口を開けてしまった。
大きな瞳、薄い唇、凛とした顔立ち・・・一瞬幼かった頃の記憶がフラッシュバックする。
「・・・who the hell are you・・・」
なんか英語っぽい言葉で意味は分からなかったが、低い声が感情を抑えていることは分かったし、その感情が怒りとかそういった類のものであることも理解していた。
「いや・・・ちがっ・・・ここは」
留学生よりも酷い日本語を口にしたが、俺はそのキレイなお尻に再び目が行ってしまう。
そのお尻の位置がタンっと音を立てて変わったかと思うと、長くスラリと伸びた足が、そのままスラリと俺の顔面まで伸びてくる。
「ユゥ〜、ファッ○ン!、マザー ファッ○ー!!」
顔面にヒットしたその蹴りは、膝下から鞭のようにしなっていて・・・これはいい逸材を見つけたかも・・・と名トレーナーのようなことをぼんやり考えながら廊下に倒れこんだ。
下の階から、何事かと駆けつけてくるのが分かった。
「あ〜、だからさっき呼んだのに」
母は、アラアラ大変ね〜と笑っている。
「オ〜、ソースケさんやったね〜」
大男は何故か嬉しそうにそう言うとタオルタオルと発音よく降りて行った。
(・・・やられたね、でしょ)
それにしても・・・
クラクラする頭を手で押さえて母に聞いた。
「母さん・・・なんであいつがいるんや?」
母はその言葉に、フッと笑顔を消して、真顔で宗佑の顔を覗き込んだ。
「あんた・・・覚えてるの?」
びっくりしたように、母は聞いてきた。
「・・・ああ、まあ」
そう言うと母は、そうなんだ、と呟いて宗佑を立たせて2階のリビングに連れて行った。
(なにかおかしい・・・)
そう思いながらも俺は2階のリビングの見慣れたベッドに腰を下ろした。
・・・見慣れたベッド?・・・リビングに??
「ここが今日からあなたの部屋よ」
母はシレっと言い切った。
「・・・はい?」
「ジャンケンで決まったの。日本の文化、ジャンケンで」
ジャンケンが果たして日本の文化なのかは分からないが、そのジャンケンに自分が参加していないことのほうがもっと分からない。
「まさかあんたが覚えてるとはね〜・・・まあ当たり前か、毎日プールで裸になれば思い出すか」
宗佑の部屋のことなど、どうでも良いというように、話を戻した。
「あれからいっこうにあなたが話をしてこないから、つい忘れたのかと思っちゃってたわ、あたしも、お父さんも」
咎めるような言い方ではなく、むしろ優しいその声は、今までに起こっていたことを少し早口で話してくれた。
一通り話し終わると、母は1階に戻り、戻り際に元宗佑の部屋に何やら声を掛けていった。
大男が濡れたタオルを持って戻ってくる頃には、痛みは和らいでいて、先ほどの母の話を思い出しているところだった。
「ソースケさんご飯行きましょう」
と大男はニカっと笑い、こいつは南国の太陽だな〜と訳も分からないことをふと思った。
大男について階段を降りる途中、元俺の部屋に視線を上げる。
(そっか・・・大きくなりやがって・・・)
とルパンがクラリスを回想するようなセリフで彼女のことを思い出した。
(・・・良かったな・・・ユキノ)