異世界転移は嘔吐と共に
現代社会において職場環境というものは そこで働く人々にとって
それはやる気や社員一人一人のペース 果ては人間関係から健康状態を左右する
会社という団体において最重要なものだ。
近年においてはブラック企業の多くの取り締まりが厳しくなっているとはいえ
生憎と数ヵ月かあるいは一桁程度の年数で社会全体が良くなった試しなどないのは明白。
黒をどんだけ薄めても灰色になるだけで真っ白になんてならないように
綺麗に見えた会社にもブラックな面はあったわけで この物語の主人公である彼も例外なく
労働基準法アウトスレスレの職場環境で一人残業していた
時刻は既に何度目かの深夜の0時を回っており疲労と心労が積もりに積もっている彼は
目の下の隈と顔色の境が分からない程酷い有り様だ。
マグカップに注がれているのは最早味などかなぐり捨て 甘さと苦さも感じ取れないような
カフェインを取り込む為の泥のようなコーヒーを飲みながら書類仕事と経理仕事を片付けていく
よく「断ればいいじゃない」とか「私がお前くらいの時は」などと言うのを聞くが
断れるものなら断っているが大概の場合それに続いてくるのは舌打ちと評価の低下であり
会社の人間関係というものは綺麗事では成立などせず評価と目を瞑る汚さが物を言う
はやい話が押し付けた仕事ができる【使えるやつ】か責任逃れせざるを得なくした【使えないやつ】
あるのは信頼ではなくて使いやすいかどうかの【利用価値】が社会常識なのである。
それに気づくのには何もかも遅すぎた27歳の今日 誕生日も何度過ぎたことか
他の先輩方がクリスマスを楽しむのを何度歯噛みしたか数えるのは昨日無駄だと思いやめた
これが大人の仕事って言うものなんだと諦めてしまえば 存外不満とも付き合えるし
相談した所で所謂経験者の言う結論が経験不足というのなら解決には繋がらないだろう
いかんいかん、鬱で死にたくなってきた クソみたいな職場のせいで死ぬのは負けた気がする
こんな時は想像の翼を広げて現実逃避としていないと自分の足で窓から飛び降りそうだ。
こういう時は現実逃避だけが癒しになり理想妄想は大いに心の支えになるのだ
例えば理想な企業とかだ誰も仕事を押し付けてこない
定時退社できて休日がしっかりと機能してる
もうちょっと給料もよくて月収が今以上に欲しい
保険もしっかりしていて仕事を新人に押し付けまくるとかなく
「ああ、それか・・・ら・・・」
【フッ】と意識が溶け込みながら暗転する 身体が鉛かそれ以上に感じる程重く感じて
瞼は引っ張られるように閉じてしまいそうな程 すぐにでも眠りたくなる
入社してから何度も体感してきた寝落ちの瞬間というやつだが 眠るわけにはいかない
多分だが今ぐっすり眠ろうものなら暫くは起きないと思う
しかし抗おうとしたところで眠気が消える気配はまるでなさそうだし
書類を左右に避けてからデスクに突っ伏して眼をつむる こうなったら仕方ない
少し仮眠したら 仕事の続きをしよう どうせ理不尽に怒られるだろうが
そんな日常を変えてやれる程、睡魔という強敵を前には人は無力なのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おぉ自分よ 睡魔に負けてしまうとは情けない
しかれば目を覚ますと同時に 仕事を再開する機会を与えよう~
などとふざけつつ ゆっくりと瞼を開く 流石に一週間ぶりの睡眠だ
デスクで突っ伏して寝てたとしても身体が軽く感じるぞぉ
・・・?いや本当に軽いな 軽すぎる 体感羽毛のように軽く感じる
最早疲れで全身鉛のように重かった身体が信じられないくらい軽いのだ
疲れが吹き飛んだというよりは 最初から疲れてなかったかのような充足感
フワフワと全身が浮いてるような 職場のデスクにそこまで疲労回復効果があったのか?
もしかしたら まだ自分は夢の中なのだろうか?
辺りは真っ暗だし よく見たら目の前にある筈のデスクもない事に気づいた
なるほど 仕事のストレスから遂にこんな夢を見るようになったか
自分だけはしっかりと見えているから やはり現実ではないのだろう
まだ夢の中にでもいるのだとしたら上司や先輩が来るより前に起きなきゃダメだぞ自分
ははは、と乾いた笑いを溢しながら しかし本当に何も見えないなと見回してみると
先程までは目が慣れてなかったのか正面に誰かいることがわかる
面接官のように座る金髪ロングの白スーツの女性と
女性と・・・ん?んーーー!?
---「え?」---
いやいやいや、
おかしいだろ自分 疲れて見てる夢にしても面接の夢だとしても
場違いすぎる【人?】がいるだろう面接に!!
全身が厳つい鎧と顔まで隠すドクロのような兜に
血のように赤い深紅のマント ゴゴゴゴ、とか効果音とかが
右斜め上から左斜め下へとゆっくり流れそうなそんな【魔王】が、座っている。
落ち着け自分!疲れてみる夢が魔王とスーツ姿の女性が面接官してる夢って酷すぎないかな!?
どんだけ社会に絶望してるの!?確かに会社の実態知ってれば
面接官なんて皆魔王に見えちゃうかもしれないけどさ!!
「ヒラノ・コウイチ 年齢27歳独身 趣味のゲームと漫画は
2年近く出来ていない 実家にも連絡・帰省は年に一度程度
睡眠時間は二年間で三時間が最高 ここ三日間で食べた食生活は全て社内食堂のみ
栄養バランスはお世辞にも取れていない 健康診断ではストレスによる胃や肝臓などへの---」
「ちょっ!?」
スーツ姿の女性が僕の健康状態やら何やらを喋りだしたと思えば
鎧姿の魔王はワナワナと震えながらジッとこっちを睨んでいらっしゃる。
食生活とか帰省とかでお怒りなら僕のせいじゃないですから!!
会社の有給なんてあってないようなものだし給料だって節約していかないと行けないから
栄養バランスとか言ってられないんですって!
「ここまでがヒラノ・コウイチの三年間における食生活や健康状態と帰省状況です
如何でしょう【魔王様】」
やっぱり魔王でしたッ その魔王と言えば肩をワナワナと震わせたまま
拳を強く握ってギリギリとすごい音が鳴ってる よくわからない赤いオーラとか見え始めた
怒ってる?怒ってらっしゃる!?何か気に障るような事でもあっただろうか?
記憶にまったくございませんが夢だとしても、こんなおっかない相手を怒らせるとか
怖すぎるので全力で謝らせて頂きたいと思います!!土下座、土下座しましょうか!?
「ヒラノ・コウイチィ!!」
バンッ!!と魔王を思いきり机を叩いて立ち上がる 絶対怒ってますよねこれ!?
「ひっ!?ご、ごめんなさっ」
「今いる職場環境では君の才能を活かしきれていないと本社は判断致しました!!
魔王軍と致しましては貴方のような人材を是非とも迎え入れたいと考えておりますッ」
「・・・はい?」
唐突な敬語と聞き間違いであろうか 今迎え入れたいと~って言った?
え、何だか話の方向がおかしくなってるような?まるで企業の引き抜きのような流れになっている気が
「福利厚生充実、新人サポートも豊富で交通費等の負担も一部請け負います!
わが社、我が城、いいえ 異世界 魔王軍への転職をご検討頂けないでしょうか!?」
引き抜きだこれーー!?
「魔王軍では貴方のように様々な企業経験者や重労働経験のある方でも安心して働ける
ホワイトな職業環境を目指しており給与体制からメンタルケアに子育て支援も充実させ
社員満足度も毎年高い水準であると自負しております!また交通費・保険費用・生活費など一部負担!!
社内食堂での栄養バランスを整えたメニューで貴方の健康も整えます!更に今なら」
どうしよう 魔王が必死だ 引き抜き面接にすごい必死だ
しかし説明だけ聞くと僕の妄想の中で理想としていたホワイト企業そのものだ
怖そうな魔王との面接とか悪夢かと思ったけど中々良い夢じゃないか
うんまぁ【夢】なんだけど
「えっと・・・じゃあ、よろしくお願いします」
ガタッ!と魔王が立ち上がれば多分顔を輝かせてるのだろうか
両手で「よしっ!よしっ」と小さくガッツポーズまで取っている
それを白スーツの人が書類を纏めながらも「ふぅ・・・」と一息
「ではヒラノさん、明日お迎えにあがりますので 本日は」
<夢の中 ありがとうございました>
「え?」
瞼が重い、身体もだるい、リアルな疲労感の中で目を覚ます
パソコンの画面を見ると全然仕事は終わっておらず時刻は午前七時
結局昨日も帰れずに終わった 救いは良い夢を見れた事くらいか
どうせ増やされる仕事にため息を吐きながら再び仕事を片付ける
あんなに熱心に引き抜きしてくれるような会社 魔王軍でも何でも入りたかったけど
所詮夢は夢のまま それに現実だったとしても 今の会社が辞めさせてくれるわけが
<コンコンコンコン>
ノックの音? 変だな、ここは会議室でも社長室でもない筈
それに、まだ先輩たちは出社してくる時間じゃあ・・・
いや、うん?窓の方から?ここ確か4階の筈だけど
「魔王様、やはり窓越しでは気づかれ難いのではないでしょうか?」
な ん か い る 目をこすって、もう一度窓のほうに視線を向ける
「えー?人間の世界ではまずノックは大事と書いてあったよ?」
「それ、扉で行うのでは?」
魔王がいた リアルな疲れのお陰で今は夢じゃないって事が分かる
見間違いでも幻覚でもない違和感たっぷりの二人組 魔王と女性の面接官だ
魔王のほうは中世の鎧を彷彿とさせながら威厳溢れるガッシリとした重鎧であり
物理学的に不可能だろう形で 平然と空中に立っている
と、いうことはあの夢の中での引き抜き面接は・・・本物だった!?
「あ、気づいたようですよ?」
「あ、本当だ!朝早くに失礼致します おはようございます魔王軍でございます
昨夜の夢面接でお会いした魔王ですがお迎えにあがりましたーー!」
「うわーーーっ!?」
流石に夢でないと驚いてしまい、腰を抜かす
ガタガタッと椅子から転げ落ちてしまい痛みから再度現実だと再確認させられた。
「い、今開けます!」
慌てて窓を開けると冷たい空気と共に現実味のある質感の鎧
物理法則と万有引力が泣きを見そうな空中浮遊をしている二人
ファンタジーめいた事を現実でやっている魔王と名乗る相手と
夢の中で魔王の隣に座っていたスーツの女性が入ってきた。
近くで見るとドクロの兜の下には優しそうな瞳が見える
ゆっくりと窓から入ってくる際に特にガチャガチャと音は立たず
それが余計に【本物っぽい】鎧だと気づかせていった。
改めて交互に二人を見ながらも突然の非現実に追い付かない脳をどうにか落ち着かせようと頭を抱えながら
魔王とスーツ姿の女性は異世界の言語ではなくとてもスムーズに日本語で話す
「いやぁ急なお迎えで申し訳ありません
もうすぐ貴方の勤めているこの会社の他社員の皆様もいらっしゃる時間だと秘書が言うものですから
朝早くで申し訳なく思いましたが、こうしてお迎えに上がった次第です」
「魔王様、確認が取れました
やはりヒラノ・コウイチで間違いありません」
丁寧な敬語のお陰で少しずつだが脳が追い付いてきた
とりあえず目の前の二人はファンタジー的な剣と魔法の世界の住人なんだと仮定しよう
鎧を身に付けた方は魔王、ゲームのラスボスとかの魔王なのだとか
うん、一つ分かると意外と冷静になってくるな
もう一つ疑問がある・・・こっちは質問してみようか
「あの・・・もしかして昨日見た夢の中の面接って」
そう、昨日みた夢についてだ
今こうしてファンタジー世界の住人が来ているということは
魔王、もしくはスーツ姿の女性が何か僕にしたということだ。
夢の中に入り込む魔法でもあるのだろうか それとも夢の中に入れる種族だったり・・・?
「えぇ、時間も時間でしたので私の持つスキルで
ヒラノさんの夢にお邪魔致しまして面接を行う方針で
私は夢魔ですので・・・あぁ分かりませんか?
貴殿方の言葉で言えば【サキュバス】と言えばよろしいでしょうか?」
サキュバス!ゲームや漫画では決まってお色気成分として出てくる!?
でも、なんと言うか目の前の彼女はサキュバスっぽい姿というか
お色気満載のレオタードだとか、とにかく肌をあまり露出させていない
何よりも尻尾だとか羽とかも見えないし・・・本当にあの
ムフフな事で有名なサキュバスなんだろうか
「考えてることが筒抜けですよ?
えぇ、本来サキュバスは所謂【そういう】事が従来の私たちにしか出来ない
やらせてもらえない職務内容でしたが現魔王様による職場環境の見直しで
種族関係なく好きな職業に就いて働けるようになり
お陰で服装も従来の肌を露出させた格好から
白・紺・黒のスーツに改善されたのです」
「我が魔王軍では服装は基本自由、
支給したスーツは軍と契約した店で無料クリーニング
ただやっぱり肌を過剰に露出させるような格好は良くありませんので
多数の女性社員と数多の種族と会話を重ねた結果
我が軍の制服として採用したビジネススーツ・・・!
当然ヒラノさんにも支給致しますので
サイズや肩回りで不具合がございましたら
遠慮なく申請してくださいね」
スーツに関して記載されたファイルをサキュバスさんから渡されると
魔王軍、という組織が何であれ別世界に渡ってしまうと
実家の両親へ仕送りができなくなってしまうのでは?
それに気づいてすぐ慌てて訪ねてみた。
「あのっ魔王軍がどこにあるにしても別世界・・・というか異世界?
とかにあったら実家に仕送りが出来なくなったりしませんか」
「その点に関してはご安心下さい
我が魔王軍は【この世界】の銀行とも契約を結び
給与振り込みが可能となっておりますので
仕送りも問題なく行えますよ 詳しくは
こちらの給与形式に関するファイルを御一読下さい」
めちゃくちゃしっかりしてる
というか、この世界の銀行と既に繋がり持ってるのか
相当手広くやっているんだなぁ魔王軍
ふと、魔王が時計の方を見るとサキュバスの方に視線を向ける
意図を感じたのか小さく頷けばスケジュール帳を胸ポケットから取り出す
「それでは魔王様、ヒラノさん
これより魔王軍本拠地へ転移魔法を発動致します
転移の際、強い光が発生致しますので
サングラスの装着か、あるいは目を瞑ることを推奨致します」
「え、ここで!?外か屋上じゃダメなんですか!?」
「移動中に他の社員に遭遇すると面倒です
平和的に誰も傷つけず、貴方だけを魔王軍へお連れするには
今、ここで転移するのが都合が良いのですよ」
ため息をつくサキュバスさんは静かにスケジュール帳に
スラスラと何かを印始めた 物凄い速さでペンを動かしていく
「座標は異世界<魔王城>
メインホール前に設定致しました
転送班からの安全確認
転送先周囲50mに障害物の有無確認
それではヒラノさん転送後酔いましたら
我慢せずその場にぶちまけてください」
「え、まってサングラスや目を瞑るってそういう事ですか!?」
パタン、とスケジュール帳を閉じると
ページ一枚一枚の隙間から光が溢れ出した
ミラーボールのように乱反射する光が
床の上で少しずつ積み上がっていきドームのようになっていく
完全に光に包まれると浮遊感を感じ、エレベーターに乗ってるような
・・・あ、ダメだ何か酔う
この瞬間への説明は普通どの異世界転移でも大事だと思うが
僕から他の異世界転移している主人公の皆様に忠告を
「物凄く酔う・・・!!」
「到着しました、ようこそ異世界へ
予想通り酔っておられますが大丈夫ですか?」
全然大丈夫じゃありません、顔色は青なのか紫なのか
もしかした白いかもしれない・・・あ、ダメだ吐きそう
もう一度違う世界線の異世界転移する主人公の皆さんへ・・・
酔い止めの常備をお忘れなく!!
「うぉえええええええええええっ」
「衛生へぇぇええええええい!!」
かくして僕の人生が
文字通り大きく変わった異世界入りは
転移先で盛大に嘔吐してしまうという
最悪の形で成されたのだった。
改訂版を書くにあたって、前よりも文章多目に好き放題書くことにしましたが
それでも最後まで読んでくださった方には感謝感激でございます
今後もこのシリーズを読んで下されば幸いでございます!!
それではまた次回!!