ゴースト・アップル
「ゴースト・アップルって知ってる?」
「何それ」
まるでカップルのように手を繋いでいる僕の幼馴染、時任唯瑚は、矢庭に、そんな質問を投げかける。──ふむ。ゴースト・アップル。生憎だが、18年間生きてきた中で初めて耳にした単語だ。
……だが、僕はその聞き慣れない単語の事など、最早どうでも良かった。
彼女は何故、このタイミングで、この場面で、そのような質問を振ってきたのだろう。その一点に関して、僕は猛烈な疑念を抱いていた。
それは、"今ここ"で重要な事なのか。今でなきゃダメなのか? ……ダメ、なんだろう。彼女は意味のない問いかけをするような人間ではない。これまでも、そしてこれからも……ずっと。
たっぷり数秒の間を置いて、──僕の困惑した表情をたっぷりと眺め回して、彼女はニンマリと笑顔を浮かべ、続けた。
「アメリカの寒い地域でね、腐ったリンゴの表面に伝った雨が、リンゴを型取るようにコーティングされて、凍りつくんだって。でね、リンゴはそのままドロドロに腐り果てて、氷のスキマを流れ落ちていくの。そうして残った氷のリンゴを、そう呼ぶんだってさ。……ゴースト・アップルって。それってさ──」
「それは……凄く、汚いね」
話の腰を折るように、間髪入れずに入った僕の素朴な感想は、彼女の機嫌を軽く損ねるには十分であったようで。
先程まで気持ち悪いくらいに貼り付けていたワザとらしい笑顔の仮面を外し、対照的にムッとした表情を浮かべてみせた彼女は、そんな僕の言葉に反論する。
「……何で? 凄く、綺麗なんだよ? 透き通ってて、それでいて光を複雑に反射してキラキラ輝いてて。自然の神秘を感じるっていうかさ……写真でしか見たことないけど」
「……違うよ。僕が言いたいのは、そんな事じゃないんだ。確かにそれは綺麗なのかもしれない──見た目は。でもさ、その"ゴースト・アップル"の中に入っていたリンゴは、腐って流れ落ちた。"ゴースト・アップル"は、それを知ってなお、本物のリンゴのような顔をして……いや、本物のリンゴより美しいんだっていう顔をして、そこにいるんだ。それってさ……まるで」
「……私達、みたい。でしょ?」
彼女の顔から、表情が抜け落ちる。
そこには、ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、何も、無くて。
……唯一、その口元だけが不気味に半月を形作っていて。
「もう、私が言いたかった事、先に言わないでよ。全く、キミは変に察しがいいんだから」
「この状況でそんな話を切り出されたら、嫌でも……嫌でも、わかる。僕だってバカじゃない」
「だったらどうして、キミは"それ"を、汚いだなんて……私には理解できない。やっぱり、どう考えたってそれは、どうしようもなく綺麗なんだもの。……でもね、そんな綺麗なゴースト・アップルには、本物のリンゴは不要なんだ。ゴースト・アップルが輝くためには、本物のリンゴは流れ落ちなきゃいけない。腐り果てて、ドロドロになって、地面に吸い込まれなきゃいけないんだ。──そんな、本物のリンゴにこそ、私はなりたい。だって、それくらい、ゴースト・アップルは美しいんだから」
彼女は、僕らが握りあっていた手とは違う、もう一方の手を握りあった手に添えると。
──力一杯、引き剥がした。
重力に従って地面に吸い込まれていく彼女の身体。溶けて、グチャグチャになって、地面とリンゴの境界は曖昧になっていく。
潰れた果実のように真っ赤なそれは、とても美しくて──
陽の光に当てられた"ゴースト・アップル"は、地面との境界が曖昧になったリンゴの上に落下し、粉々に砕け散った。