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桜碧物語  作者: 碧桜依
桃桜殿
33/34

無気力の花


少し、暑い…。

そんな事を考えながら、頭の上まですっぽりと被っていた掛け布団から少しだけ顔を出す。

とっくに目が覚めていたけれど、私はまだベッドの上に居ます。

目が覚めていたというよりも、あまり眠れなかった、というのが正解かもしれません。

窓の外はきっと晴れ。

まだ閉め切っているカーテンの隙間から小さく漏れる日差しがきらきらと部屋を照らしている。


昨日緑綬が帰った後、私はしばらく一人でぼんやりとしていました。

悲しくなったり何も知らない自分に腹が立つような感情が湧く時もあったけれど、それよりも深い空虚が私の全身を包んでいて、文字通り抜け殻のような状態だったと思います。

いつの間にか着替えてベッドには来たものの、少しは眠っていたような、でもほとんど起きていたような。

あまり昨日の事は覚えていません。


そろそろ起きて支度をしなければ。

何度もそう思って起き上がろうとは思うですが、中々重い身体が動いてくれません。

何に落ち込んでいるのか、なぜこんなにも無気力なのか。

そんな事をぼんやりと考える。

でもぼんやりした頭では、ただただ昨日の会話を繰り返すだけでした。


―コンコン。

あぁ、きっと結奏が朝食の支度のお知らせに来たんだわ。

起きなくてはいけないと思いながらもベッドから動けない。

―コンコン。

再びノックする音。

「姫様?」

心配そうな結奏の声がする。

だけど返事をする元気もない。

一人にしておいて欲しい、そんな風に思いながら、私は再び掛け布団を頭から被る。

ふわりと優しい感触が身体を包む。

「姫様、いかがなさいましたか?体調が優れませんか?」

先ほどよりも早口で、一層声色に心配な気持ちを乗せて結奏がドア越しに声をかけてくる。

呼ばれているのに返事もしない、私はどうしてしまったのでしょう。

「姫様!失礼致しますね!」

私の様子がおかしいと感じた結奏がドアを開ける。

私は思わずビクッとして身体をドアと反対の方向に傾ける。

「姫様!」

私が起きているのに返事をしなかったのだと気づいた結奏がベッドの側まで走ってくる。

「姫様、いかがなさいましたか?お顔を見せて下さいませ」

私は布団を被ったまま、黙って首を振る。

結奏はしばらく黙っていた。

困らせてしまっている。

わかっていても、動けない。


「少し失礼致しますね」

結奏が真剣にそう言った後、布団の端を握っていた私の手をそっと握る。

ひんやりとした感触が手の甲を包む。

そしてそっと布団の中に手を入れ、私の額に手を当てる。

再びひんやりとした感触。

少し暑いと感じていたから、とても心地よい。

「少し熱があるかもしれませんね。今日はゆっくりと休みましょう!朝食は食べやすそうな物を用意して参りますね」

結奏が明るく話しかける。

いつものように明るい、だけど心配している様子もとても伝わっていて、私のために明るく振舞ってくれている事がわかった。

その事に気づいて、空っぽだった心に小さな明かりが灯った気がした。

私は小さく頷く。

結奏がほっとしたように息を吐く。

「ではすぐに準備をして参りますね!

熱がある時は普段より汗をかきますから、出来ましたらお召しかえ下さいませ!」

再び明るく元気にいつものように声をかけてくれた後、結奏が部屋を出て行きました。


熱、あるのかな。あるとしても微熱だと思うな。そんな事を考えながら再び布団の中から顔を出す。

結奏に心配をかけてた上、気も遣わせてしまいました。

ゆっくりと身体を起こす。

結奏が用意してくれた新しい部屋着に袖を通す。

陽だまりの香りがする服に着替えた事で、少しだけ心が明るくなった気がした。

ベッドの端に腰掛ける。

今日はなんだかいつもの窓際の椅子に座る気になれない。

また布団を被ってしまいたいような、でももうそんな気力もないような。


―コンコン。

しばらくして結奏が戻ってきた。

用意してくれたのは食べやすく切られたフルーツとアイスのハーブティーとフルーツドリンク、そして色とりどりのフルーツのジャムが入った小瓶を並べたヨーグルトのセット。

「お待たせ致しました姫様!食べやすそうな物を見繕って来ましたので、無理せずお好きな物を召し上がって下さいませ。他に要望があればすぐにご用意致しますよっ」

結奏が明るく微笑みながらテーブルに朝食を並べてくれる。

私もゆっくりとベッドから足を下ろしてテーブルへ向かう。

「さて!せっかくの朝食の時間ですから、カーテンを開けさせて頂きますね!」

結奏が窓際まで歩き、勢いよく両手でカーテンを開ける。

まぶしさに思わず目を閉じる。

部屋が一気に明るくなって、まるで先ほどまでとは別の場所へ来たかのように感じました。


「私もご一緒してよろしいですか?」

私は俯きながらも小さく頷く。

「では失礼致します」

結奏がにっこりと笑って私の前の席に座る。

出際良く食事やドリンクの準備を済ませてくれる。

アプリコットのジャムを添えたヨーグルトを一口いただく。

甘酸っぱい味と香りが口の中いっぱいに広がる。


「姫様、その…。何かあったのでしたら私で良ければいつでも相談して下さいね。

私はいつだって、姫様の味方ですから」

気を遣いながらも明るく声をかける結奏。

その優しさが心に染みて、思わず目を閉じる。

結奏も、緑綬が結婚するという話を知っているのだろうか。

また、何も知らないのは私だけなのでしょうか。

そんな事が頭に浮かぶと、全身に不安と心細さが広がりました。

「結奏は、知っているのですか…?」

「姫様?」

「私が今何に悩んでいるのか、知っているのですか…?」

俯きながら、祈るように問いかける。

「いえ、姫様、申し訳ありません。私は何も存じ上げておりません」

結奏が俯いて肩をすぼめる。

「でも、姫様の事が心配なのは本当です。姫様の悩みを聞いて出来る事なら力になりたいと考えています」

力強く私の目を見つめる結奏。

「私は…」

言葉は出かけるものの、続かない。

何と話せば良いのか。

自分でも、今自分が何に悩み、どうして落ち込んでいるのか、わからなくなってきていました。

微熱があるというのなら、そのせいかもしれません。

結奏が心配そうに私の顔を見ている。

「ごめんなさい。うまく、言えなくて…」

言葉に詰まる私を見て結奏が苦しそうな顔をする。

「誰かに話せばすっきりする事もありますし、話している内に頭の整理がついてくる事もあります。

だから少しずつでも時間をかけても良いから、話せそうならぜひ話して頂きたいです」

何度か言葉に詰まりながらも懸命に、結奏が声をかけてくれる。

こんなにも心配してくれている事に感謝と申し訳なさを感じながら、結奏の言葉を頭の中で繰り返す。

誰かに話せば、私の悩みもなぜ元気が出ないのかもわかるのでしょうか…。

それは今無気力で何をして良いのかわからなくなっていた私にとっては、一筋の希望でした。

窓から差し込む日差しに照らされてキラキラと輝くグラスを見つめながら、ほんの少しだけ前向きな気持ちになる事ができました。

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