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桜碧物語  作者: 碧桜依
桃桜殿
32/34

知らない、世界


ふわりと舞うスカートの裾のレース。

ほんの少し肌に吸い付くような感覚。

今日のお天気は曇り。

窓の外は暗く、空がゴロゴロと小さく鳴いている。

「午後からは雨が降りそうですね」

ハーブティーを淹れながら結奏が肩をすくめた。

私はいつもの窓際のいつもの椅子で窓の外を眺めている。

「今日はトロピカルな香りのお花にしてみました!」

結奏が明るくハーブティーを差し出す。

「ありがとう結奏。いただきます」

微笑み返すと結奏も同じように微笑んで部屋を出て行きました。

フルーティな味わいが口の中に広がる。

水面にゆらゆらと揺れるのは南の地方でとれる赤いお花。

外の暗い雰囲気とは間逆の明るい世界と香りが広がる。


昨日緑綬が花の都に帰ってきた際に、時間がある時に私の部屋に来て欲しいと伝えて。

その後緑綬が時間の合間を見て一度私の部屋を訪れました。

「明日の夜時間が取れましたので、姫様のお食事が終わられました頃、お伺い致しますね」

そう伝えて出て行きました。

そして一夜明けた今日。

ついに今晩私は緑綬と話をする。

曇り空を見上げる。

むわっと暑い空気が身体を包む。

もうすぐ雨が降り出しそうな空を見上げながら、どこか落ち着かない心は少しずつ沈んでいきました。


―――――


夜の食事を終え、ハーブティーをいただきながら窓の外を見る。

昼間に大きく降った雨も今は上がり、木々は小さな雫をつけています。

それでもまだ星空は見えません。

深夜にまた降るのかもしれません。

少しひんやりとした空気を感じながら、緑綬が来るのを待つ。

いよいよだと思うと胸は高鳴るけれど、どこか落ち着いた自分も居ます。

お父様との食事会の後からずっとこの日の事を考えていたからかもしれません。

ただしっかりと緑綬の話を聞こうと。

聞きたい事は全部聞いておこうと。

そう思っています。


―コンコン。

ドアをノックする音。

私は目を閉じ、胸に手を当て深呼吸をする。

大丈夫。

落ち着いて、きちんと話を聞こう。

「どうぞ」

「失礼致します」

月明かりに照らされる緑綬の髪。

少しだけ青く透けているように見える。

そう、碧の彼のように…。

部屋の中央のテーブルの椅子に腰掛ける。

緑綬は向かいの席に座っています。

何か、何か話しかけなくては…。


「今日は時間を作ってくれてありがとうございます、緑綬」

頬が少し引きつっているような気がする。

それでも微笑みかける。

緑綬の顔を見ていると、なんだか泣きそうな気持ちになる。

「いえ、私も久しぶりに姫様とお話がしたかったので嬉しく思っております」

優しい笑顔にまた胸がチクリと痛む。

「今回は石の都へ行っていたのですよ」

「そうだったのですか!今花の都にも石の都の客人が来ているそうですよ。

近々帰られるということで、私もお父様と共に挨拶を受ける事になっています」

王女としての役割を与えて頂けた事が嬉しくて、ついつい笑顔になる。

緑綬も目を細めて嬉しそうに微笑んでくれました。


「姫様は、石の都についてどの程度ご存知ですか?」

「そうですね…。花の都とは土地的には隣国で、長い目で見た将来にはいつか合併するかもしれない、という事くらいでしょうか」

緑綬が小さく頷く。

「おっしゃる通りですね。花の都と石の都は長らく協力関係にあり、友好関係も良好と言えます。

お互いの国の資源に足りない物をお互いにうまく補える理想の国同士と言えるでしょう。

しかしながらいざ合併となると、お互いの歴史や制度、王室の問題や民達の生活なども深く関わって参ります。

本当に長い長い目で見た、いつかの未来の夢、というのが現状ですね」

話しながら緑綬が侍女から受け取ったハーブティーのセットでお茶を淹れてくれました。

そっと唇をカップに寄せる。

すっきりした香りと、ほんのり甘い味が広がる。

「例えば花の都では毎日頻繁に飲まれるハーブティーですが、石の都ではあまり飲まれていないのですよ」

「そうなのですか!?」

私はとても驚きました。

緑綬の言う通り、ハーブティーは毎日当たり前のように何度もいただいているものですから、他国ではあまり浸透していないという事実に驚きました。

「花の都はハーブティーの材料が多く取れますし、それに伴って技術も進んでいますが、石の都では花の都ほどは材料が手に入らないのですよ。

とはいえ花の都からの技術提供などで少しずつ生産も進んでいるので嗜まれる方は増えています」

「そうだったのですか。恥ずかしながら私は初めて知りました」

思わず肩をすくめる。

「同じように石の都からの技術提供により花の都でも新しい技術が使われているという例もあります。

まさに理想の協力国家と言えると思います」

「何度も足を運んでくれている大臣や緑綬に感謝しなければなりませんね。もちろん、花の都に来てくださる石の都の大臣や客人にも」

緑綬が優しく微笑み、頷きを返す。


私は改めて、まだまだ他国どころか花の都の事ですら知らない事はたくさんあるのだという事を胸に刻みました。

これはしっかりと今後の課題として勉強していかなくてはなりません。


緑綬がハーブティーを飲んでいたカップをソーサーに置き、私を見つめる。

私も見つめ返す。

聞かなくては。

ちゃんと向き合うと決めたのだから。


「緑綬」

「姫様」

同時に声を上げて思わず驚きの顔で見つめ合う。

そんな些細な事がなんだか嬉しい。

「失礼致しました。姫様、何でございましょう?」

思わず俯く。

緑綬が心配そうな顔で私を見ている。

膝の上に置いた手をぎゅっと握り締める。

「その…以前話をしてくれた、結婚の事について…」

緑綬は真剣なまなざしで私を見つめた。

「ずっと続きを聞かなくて申し訳なく思っています。

私もちゃんと聞きたいのです、その…。お相手の事や、今後の事を」

身体中が熱い。

鼓動が全身で高鳴っている。

緑綬は小さく息を吐いて少し伏し目になった。

長いまつ毛が月明かりに照らされて、影を落とす。

「私も、きちんと話さなければと思っておりました。

姫様の城下町の視察が終わり、少し落ち着いたらお話に伺おうと思っておりました」

私は小さく頷きを返す。

「お相手の方は、石の都の方です」

石の都の方…。それでは…。

「それでは。此度の視察の際もお会いしたのですか?」

「はい、大臣様の補佐の仕事の合間に少しご挨拶させて頂きました」

心にぽっかり穴が空いたような感覚。

緑綬は私の知らない場所で知らない方と知らない間に会っていて…。

私はいつも何も知らずに城の中に居た。

そんな事実が心を少しずつ閉ざしていく。

「その方は石の都の姫君で、皆からは碧姫様と呼ばれております。年は桜姫様より2つ下で、今年14歳になられました。

私には勿体無いお方です」

緑綬は伏し目がちに、でもしっかりと伝えてくれています。

石の都のお姫様。

私はただただ俯いていた。

言葉が出てこない。

私は石の都に姫君がいらっしゃる事も知りませんでした。

私は、何も知らない…。

本当に、何も…。

「今後の事は石の都の王室の準備や私の方の仕事もありますので、まだ少し先の話になりますが、婚約は正式に決まりましたので、姫様にご報告をさせて頂きたいと思っておりました」

「そうですか…。話してくれてありがとうございます緑綬」

顔を上げて、今の私の精一杯で笑いかける。

緑綬は困ったような、私を心配するような表情を浮かべている。

結婚とはきっと家族が増える幸せな事。

それなのに緑綬にこんな顔をさせてしまっている自分にも悲しくなってきました。

身体の力が抜けていく。

夜の風が冷たく私の肩や脚を撫でる。

その風はいつにも増して寒く感じました。

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