緑の香り
コツコツコツ―。
椿の間を出てゆっくりと歩き出す。
結奏の笑顔が見える。
結奏の笑顔はいつだって私の心を温かくしてくれます。
お父様とこんなにたくさんお話が出来たのは初めてで、心地よい疲労感に包まれています。
緑綬の話をした後、石の都からの客人の話をして、王女としての仕事を与えて頂いて…。
それからも少したわいもない話をした。
緑綬の事で胸が痛かったけれど、それでもお父様との初めての食事会が幸せな時間であった事に変わりはありません。
本当に楽しい時間を過ごせました。
「おかえりなさいませ、姫様!」
いつもと変わらない明るい笑顔。
「ただいま結奏」
私も微笑む。
ゆっくりと部屋へ向けて歩きながら、小さく報告をする。
「石の都からの客人にご挨拶…!
姫様が出席なされば先方もとても喜んで下さると思います!」
間違いありません!と両手を握り大きく頷く結奏。
「ふふ、大袈裟ですよ、結奏」
結奏の表情が可愛らしかったので、思わず笑ってしまいました。
石の都からの客人。
王女としてしっかりご挨拶をしなければなりませんね!
部屋に着き、結奏と別れ、一人。
いつもの窓際のお気に入りの椅子に腰掛ける。
夜になり、冷たくなった風が頬を撫でる。
星空の下、木々のざわめきが響く、静かな庭。
深く息を吐く。
とても充実した時間であると同時に緊張もしていたので少し疲れているようです。
思い浮かべるのは緑綬の事。
緑綬は明日、花の都に帰って来る予定です。
いよいよ緑綬と話をする時が来ました。
明日は報告書の作成などで忙しいでしょうし旅の疲れもあるだろうから、明後日がいいかな、先に声だけかけておこうかな、などと考えながら、そっと空を見上げる。
瞬く星が静かに世界を見下ろしている。
緑綬といよいよ話をする、そう思うだけでこれほどに緊張している私。
緑綬はこのような想いをしながら私に結婚の話を打ち明けてくれたのでしょうか。
それだというのに私はずっとはぐらかして続きを聞かなかった。
緑綬に申し訳ないという気持ちが溢れる。
今度こそ、しっかりと最後まで聞かなければなりませんね。
そしてしっかりと自分の気持ちにも向き合わなければ。
私は立ち上がり、窓を閉め、カーテンに手を伸ばす。
月明かりが部屋の床を照らしている。
早く明日になってほしいような、でも緊張してしまうような。
複雑な気持ちを抱えつつカーテンを閉めた。
月明かりは、いつまでも優しかった。
―――――
翌朝。
大臣と緑綬が花の都へ到着したとの連絡が入りました。
いよいよだ…。
胸にそっと手をあて、窓の外を見る。
カラっとした風が、木々を揺らす。
木漏れ日がまぶしい。
ここ桃桜殿にももうすぐ到着するという事で、私は結奏と共に城の前で出迎える事にしました。
―コンコン。
「どうぞ」
「失礼致します!」
元気よく結奏が入ってきた。
「姫様!お迎えにあがりました!まもなく大臣様達が桃桜殿にお着きになるようです」
「わかりました。行きましょう」
結奏の笑顔を見ていると、私まで笑顔になる。
二人で出迎えの場所へ移動する。
胸が高鳴る。
もうずっとずっと長い時間待っているかのように感じます。
「姫様」
聞きなれた声にますます私の鼓動は高鳴った。
膝の下を風が通り抜ける。
緑の香りが心を揺らす。
「ただいま戻りました姫様。お出迎え感謝致します」
大臣と緑綬が深くお辞儀をする。
私も笑顔で出迎える。
大臣が歩き出した後。
後ろにいる緑綬にそっと声をかける。
「緑綬」
「いかがされましたか?姫様」
「今日でなくとも良いのですが、時間の都合が良い時に、部屋に来て欲しいのです」
「かしこまりました。今後の日程が決まり次第連絡させて頂きます。
此度の旅でも是非姫様にお聞かせしたい話がありましたので楽しみにしていて下さい」
目を細めて優しく微笑む緑綬。
小さくお辞儀をして、大臣の後を歩いて行きました。
緑綬の事を思うと、胸が締め付けられる。
あんなに優しい微笑みでさえも…。
「姫様」
結奏に声をかけられて我に返る。
このようなやりとりは、もう何度目でしょうか。
さすがに恥ずかしく想いながら振り向くと、結奏は少し寂しそうな、心配しているような顔をしていました。
「そろそろお部屋にお戻りになりますか?」
「ええ、そうします。お付き合いありがとう、結奏」
部屋に戻るまでも、私はずっと緑綬の事を考えていました。
結奏もそんな私を気遣ってか、とても静かです。
まぶしい日差しが差し込む廊下を少し俯きながら歩く。
緑綬に話を切り出す時、何と話せば良いのか。
緑綬は何と答えてくれるのか。
その時私は何を想い、どんな返事をするのか…。
そんな事を考えながら。




