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桜碧物語  作者: 碧桜依
桃桜殿
30/34

椿の間-2-


テーブルに飾られた花からすっきりとした、でも少し甘い香りがする。

すっかり食事を終えた後も、お父様と私はゆったりとした時間を過ごした。

今日はいつものハーブティーだけでなく、城下町で飲んだアロマティーも作って頂いてお父様と一緒に頂いています。

お父様とドリンクも楽しみながら、今まであまり会話をする時間がなかったのが嘘かのように、たわいもない話をいつまでも話していました。

早めの時間から食事を開始した事もあって、まだ焦る時間ではありません。

この時間がいつまでも続いてほしい、そんな風に感じています。


「城下町の他にも行ってみたい場所はあるか?」

お父様に聞かれた時、私は少し言葉に詰まってしまいました。

今までは城の外へ出ないのが当たり前の生活を送ってきました。

だから他に行きたい場所があるかなんて聞かれた事がありません。

でもいざ聞かれると、胸がふわっと高鳴りました。

不安よりも、この目で見てみたいという気持ちが大きく溢れていて、自分でも驚きました。

「以前緑綬に話を聞いた、みかん畑に行ってみたいです!

後は川の上流にある森も、街では見た事のないような木や花がたくさん咲いているそうです。

そのような一見不便な所にも小さな街があって、民が暮らしているのだそうです。

どんな暮らしをしているのかとても興味があります」

私はつい早口に、少し身を乗り出して勢いよく話してしまう。

「それから緑綬が感動したという藤がたくさん咲いている公園や、どこまでも続いている桜並木…あぁ、考え出すと自分で見てみたい景色はたくさんあります」

笑顔で私の話を聞いて下さっていたお父様がふと寂しそうな顔をした気がしました。

勢い良く話をし過ぎてしまったでしょうか。

思わず肩をすくめておずおずとお父様のお顔を伺う。

お父様はもう先程までと同じように優しい穏やかな笑みで私を見つめていました。


「儂が城の外に出る事を禁止していなければ、お前はその景色をもう緑綬と見ておったかもしれんのう」

やはり少し寂しそうなお顔。

「これからたくさん見て参ります。

城下町以外に住む民達に会ってお話もしてみたいですし」

そう口にするだけで心が躍った。

私は外に出る事が出来るようになった事がこんなにも嬉しいんだと改めて実感しました。

「お前から見た緑樹はどのような人間だ?」

優しい表情に、お父様も緑綬の事を大事に想ってくれているのが伝わってきます。

「緑綬は、私に外の世界の事や執務の事、とてもたくさんの話を聞かせてくれました。

周りの臣下達からの信頼も厚いし、私もこの前の城下町の視察の件では本当にお世話になりました。

普段から彼が頑張っている事をより感じました。

あと、お茶を淹れるのも上手なのですよ!

緑綬の淹れたお茶はとても良い香りがしてそれでいてすっきりしていて飲みやすいのです」

ついつい笑顔がこぼれる。

「そうか」

お父様は小さく笑った後、伏し目がちにグラスを取りドリンクを飲む。

私も同じようにアロマティーを一口。

甘酸っぱい味と香りが口の中に広がる。


「儂にとっても緑綬は素晴らしい人間だ。

あの若さでお前の言う通り臣下達の信頼も厚い。

儂も信頼している」

私はまるで自分が褒められているような気分で、誇らしげな気持ちになりながら、お父様のお話に耳を傾ける。

「本来お前の護衛役ではあるが、お前が安全な城から出る事がなかった為、付きっ切りというようにはならなかったが、それでもお前の事は日々気にかけておったし鍛錬も欠かさなかった。

そして勉強家でもある。

熱心に多方面に学び、今では他国へ向かう大臣の護衛、兼、補佐役として大活躍なのはお前も知る所であろう」

お父様の言葉に明るく頷く。

緑綬がお父様からもこんなにも信頼されている事が本当に嬉しい。

「まさに非の打ちようのない程この花の都の為に尽力してくれているのだが…。

少々真面目過ぎる所があるもんでな、儂も心配しておる」

お父様の表情が曇る。

私もそのお顔を見て不安な気持ちになる。


緑綬はいつも真面目で優しくて…それは私もよくよく知っています。

でも…。

私は自分が緑綬の事を誰よりも知っていたつもりでしたので、少しだけ複雑な気持ちになりました。

私は真面目過ぎる緑綬を心配した事があったでしょうか。

緑綬は努力家でいつも完璧だから、待っている私はいつも安心しきっていたように思います。

お父様はお忙しい中様々な事を考え、行動しながらも、こうして臣下の事を想い、考えているというのに、私は…。

少し泣きそうな気持ちになりながら俯く。

これから、これからはちゃんと緑綬や他の臣下の方の事ももっと気にかけて、王女として共に頑張っていかなければ。

膝の上に置いた手を小さく握ろうとした時、お父様から声がかかりました。


「緑綬が結婚するという話はもう聞いておるか?」

それは、私がずっとずっと逃げていた言葉。

何度も何度もはぐらかして、きっと緑綬を困らせてしまっていた話。

城下町の視察が終わったら、今度こそ緑綬と向き合って、私のこの緑綬に対する想いが何なのか、はっきりさせようと思っていた、あの、話…。

「はい、結婚する…という事については聞いています」

「ふむ、そうか。

緑綬は、お前には自分から話したいと言っておった。

無事に話が出来たようで何よりじゃ」

お父様がほっとしたようにグラスに手を伸ばす。

「いえ、お父様。その…」

私は思わず言葉に詰まってしまって小さく俯く。

お父様はグラスに伸ばした手を止めて私を心配そうな表情で見つめています。

ちゃんと言わないと…。

「緑綬は確かに私にきちんと事前に大事な話があるから時間が欲しいと頼み、私はそれに応え、結婚をするという報告を受けました。

しかし…、私が…。

城下町の視察の事や他にも、色々初めての事で頭がいっぱいで、ちゃんと話を聞いていないのです」

私はますます肩をすくめて俯いてしまう。

緑綬はきちんと私に対して何度も話そうとした。

でも私が…。

私が何度もはぐらかして話を聞かなかった。

続きを聞く事が怖くて。

自分の本当の気持ちを知るのが怖くて…。

「緑綬は何度も話をしようとしてくれたのですが、私が、逃げたのです」

申し訳なさで胸がいっぱいになる。

「続きを聞くのが怖くて、でもどうして怖いのかもわからなくて、私は話をする事から逃げていました。

だから…。今回の城下町の視察が終わったら、きちんと話を聞こうと思っていました。

明日には緑綬も帰ってくるようなので、まだ聞けてはいないのですが」

ここまで話して、私はおずおずとお父様の顔を伺う。

きっと呆れられてしまったかもしれない。

私にがっかりしているかもしれない。

でも、これが本当の私の気持ち…。

お父様はとても悲しそうな顔で私を見ていました。

その表情に胸が痛くなって、思わず顔を上げる。

私のせいでお父様が悲しむのは辛い。

「ではこの件に関しては明日以降、緑綬と時間が合う時に話を聞きなさい」

優しい微笑みにほっとする。

私は申し訳なさと恥ずかしさで小さく頷く事しか出来ませんでした。


「話は変わるのだが」

再びお父様がグラスに手を伸ばす。

「先日から石の都の客人が来ておる。

来週には帰るそうで近々挨拶に来る。

お前も王女として顔合わせも兼ねて、玉座の間へ挨拶に来なさい。

日時は追って伝えよう」

王女として…!

お父様の言葉に先程までの暗い気持ちが少しだけ明るくなる。

これから私は王女としてしっかり頑張っていくと決めた。

こうして呼んでくださる事も嬉しい。

私は笑顔でお返事をしました。

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