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桜碧物語  作者: 碧桜依
桃桜殿
29/34

椿の間


ふわふわと靴に触れる絨毯の上を、頬がゆるむのを感じながら結奏の元へと一歩一歩進む。

結奏は私の顔を見ると、嬉しそうに振り返り、スカートの裾を揺らした。

階段を下りて結奏の前にたどり着くと結奏は待ってましたとばかりに唇をほころばせた。

「姫様、おかえりなさいませ!」

「ただいま結奏」

私達は笑みを交わす。

部屋までの帰り道、私は結奏に玉座の間での事を報告する。

「国王陛下と、お食事…!」

結奏は黒目がちな瞳を驚きに丸く開いて私の顔を見た。

でもすぐに嬉しそうに微笑んで、感慨深そうな顔をしている。

「お父様とは公務以外で共に食事することは初めてですから、緊張してしまいます」

私がおどけて言うと、

「私も緊張して参りました…」

と、なぜか参加する訳ではない結奏も緊張の面持ち。

結奏はいつも私と同じ気持ちでいてくれる。

それは今も同じで。

それがとても嬉しかった。


部屋に戻ってから食事の時間までの間、私はずっとそわそわと落ち着かない時間を過ごしました。

心を落ち着かせようと本を開いてみても、中身がなかなか頭に入ってこない。

気分転換をしようと窓の外を見上げても、時間ばかりが気になってしまう。

そこには確かに不安も緊張もあるのに、子供のようにふわりと足が浮いてしまいそうな嬉しさが大きくて。

落ち着かないながらも楽しい時間を過ごしていました。


―コンコン。

ドアをノックする音。

その瞬間、私はひらっとスカートのレースを翻し、椅子から立ち上がっていました。

ついに、時間が来たんだ!

「どうぞ」

「失礼致します」

そっと開けたドアから結奏が嬉しそうに入って来る。

まぶしいものを見るかのように目を細めている。

「姫様、お迎えに上がりました」

二人でお父様がお待ちになっている椿の間へと歩いていく。

私達の足取りは軽く、少しの緊張と高揚でずっと鼓動が高鳴っていました。

結奏はいつものように部屋の外でお留守番です。

「では、食事が終わったら部屋の者に結奏に声をかけるように伝えますね」

「かしこまりました姫様!私も給仕の方達のお手伝いをして待っております」

結奏はいつも以上に嬉しそうな笑みで私を見送ってくれました。

門番が扉を開く。

玉座の間よりは軽く、でも豪奢なそのドアは、この奥に国王陛下が…お父様がいるのだと改めて主張しているようでした。


お辞儀をしていた顔をゆっくりと上げる。

目の前には部屋の奥に向かって伸びる長い机。

机の上には白いテーブルクロスが掛かっていて、美しく開いた花をさした花瓶がいくつか置いてあります。

その机の一番奥。

お父様がこちらを向いて座っていました。

「よう来た琴子。座りなさい」

「はい、お父様」

お父様が昼間に見せてくれたのと同じ穏やかな優しい笑みで私を見てくれた事に安心し、嬉しい気持ちになりながら席に着く。

私はお父様から見て左側、お父様の席から二つ分ほど椅子が離れた席に腰掛けました。

お父様のお顔を、こんなに近くで拝見するのは、いつ以来でしょうか…。


蓮の間。

眠るお母様に誕生日の挨拶に訪れた時に、後からいらっしゃったお父様と共に座り、少しだけ話をした。

あの時以来、でしょうか。

その後は忙しいお父様にお会いする為に訪れた玉座の間でしかお話をしませんでした。

それがこうして、共に食事をする事になるなんて、想像もしていませんでした。

恥ずかしさと緊張で膝の上に置いた手をぎゅっと握っていた。

お父様は穏やかな笑みでお酒を頂いています。

「琴子よ」

「はい!お父様」

少し俯き加減だった私は突然名前を呼ばれてお尻が跳ね上がったのではないかと言うほど勢いよく反応してしまいました。

そんな自分に少し恥ずかしさを感じていると、お父様が困ったような笑いを浮かべた。

「琴子よ、今日は公務ではなくプライベートな食事だ。

そのように緊張せず食事を楽しもうではないか」

「も、申し訳ありませんっ」

お父様に気を使わせてしまったことにますます私は肩をすくめる。

こんなに緊張していたら、お父様も楽しめないですよね。

もしかしたらもう一緒に食事をしようなどと誘ってくれなくなってしまうかもしれません。

なんとか心を落ち着けなければと思う程に、余計に緊張してしまう。

何か、何か話さねば…。

そんな事を思っていると、

「お前は成長した、琴子」

グラスの中で揺れる水面を見ながらお父様が、優しく、少し切なげに話し出す。

「儂はずっとお前に城の外へ出る事を禁止していた。

お前の母、律子の件があって儂は怖かったのだ。

お前まで同じように目を覚まさなくなるのではないかと怯えておった」

私は黙ったままお父様を見つめる。

いつも威厳に満ちたお父様。

そんなお父様が、憂いを持った瞳で語る姿に、胸が締め付けられました。

「お前の世界を狭め、安全な城の中に閉じ込めてしまっておったのだ。

ここに居ればきっとお前は傷つく事もなく平和に過ごせると信じていた」

膝の上に置いた右手を左手できゅっと掴む。

お父様の痛みが伝わってくるような気がして、私も心が痛かった。

「だがお前は自分の足で、自分の力で外へ出た。

それも独りよがりではない、ちゃんと周りを見据え、周りの力があってこそなのだということも理解していた」

お父様がこちらを見る。

穏やかな、優しい瞳。

「お前はいつの間にか、大人になっていたのだな」

少し寂しいような、それでいて喜びも感じられるような笑み。

言葉が出ない。

じっと見つめ返すことしか出来ない。

「儂のせいで鳥かごの中の鳥になってしまったお前と、どう接して良いのかわからない時期もあった。

お前を見ると律子を思い出し、不安になり、儂が必ず守らなければならんと思った。

だが同時に閉じ込めてしまっておるという罪悪感も沸いた」

初めて聞くお父様のお気持ち。

こんなにも、こんなにも私の事を想って下さっていた…。

私の、大切な家族。

私のたった一人のお父様。

お父様もこんなに寂しくて、こんなに悩んでいたんだ。

「だがお前はもう王女としての一歩を踏み出した。

娘の成長がこれ程までに嬉しいとは。

儂も今までが信じられない程に心が軽くなり、お前の成長が楽しみで仕方がないのだ」

またお父様が微笑む。

今度は優しくて暖かい、慈しむような笑み。

「これからはこうして、たまには共に食事をしようではないか」

「はい…!もちろんです…!」

私は今にも泣き出しそうになりながらも即答しました。


今までお父様に嫌われているのではないか、避けられているのではないか、そんな風には思った事はありません。

お父様はお忙しいからなかなか私と食事をする時間がないのは仕方がない事だと思っていたし、当たり前だと思っていた。

ずっとずっとそうだったから。

私が安全な城の中で、大きな悩みもなく平穏な毎日を過ごしていた中で、お父様はこんなにも悩まれていた。

その事が胸に静かに雪のように積もっていく。

それでも。

私が今回城下町の視察へ出かけた事が、こんなにもお父様のお心を和やかにしている。

明らかに今までと違う顔で、想いで、私を見つめてくれている。

その事が心から嬉しかった。

テーブルに飾られた花から、懐かしい香りがした。

またお父様と食事が出来るのだということも、嬉しかった。

今回の事は小さな小さな一歩かもしれない。

けれど、ずっと城の中に居た私にとっては世界が変わるかのような大きな出来事だった。

その事をお父様も同じように感じてくれている。

もう、胸がいっぱいでした。

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