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桜碧物語  作者: 碧桜依
桃桜殿
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雨のレース


さらさらと降り注ぐ小粒の雨。

風はあまり吹いていなくて細く細く、真っ直ぐに降り注ぐ。

薄いカーテンレースをかけたよう。

まだお昼だというのに薄暗い。


私は握っていたペンを机にころんと転がし、伸びをする。

ざわざわといつも人の声が聞こえた城下町の視察の日とは打って変わって、とても静か。

雨が全てを包み込んでくれるよう。


城下町の視察へ出かけてから、2日が経ちました。

城に帰ったその日は、もしかしたらお母様のようにこのまま目覚めないかもしれない、ということが頭をよぎりました。

怖いとは思っているのに、なぜか自分の身に起こるかもしれないという実感はわかない。

お母様がお元気でいらっしゃった頃の記憶がほとんどない私には、どこか遠くの出来事のように感じられたのです。

もちろん心配してくれている臣下もたくさんいましたが、原因がわからない以上あまりに心配をし過ぎても私を不安にさせてしまうだけだと考えてくれた者が多かったおかげで、静かに過ごせました。

私も不安がありながらも、初めて城の外へ出たことへの緊張と一日中歩き続けた疲れからか、その日はすぐに眠ってしまいました。

そして今、私は机に向かい、お父様への報告書を書いています。

改めて、今回共に歩いてくれた警護の方達、街を警護してくれていた者達、そして笑顔で迎えてくれた民達に深く感謝しています。


私にとってはきらきらとした夢のような時間でした。

一つ一つが新しく、そして楽しかった。

いつも夢に見ていた緑綬と結奏とお茶をすることが出来た。

民達と近くで話をすることが出来た。

たくさんの人に会った。

あの日買ったアクセサリーは、机の上に小さなガラスケースに入れて飾っています。

これを見る度に胸が温かくなって、陽だまりのように身体に広がる。

そして楽しみながらも、民達の話を聞いたり街の歴史を聞いたり…

王女として公務を果たせているという実感も、私の心を満たしてくれました。

城下町全体での各種売上も、いつもとは比べ物にならないほど大きかったと聞き、緑綬にも言われていた私が街に行くことによる経済効果もあったようです。

自分が少しでも民達の役に立てている、そんな風に思うと、心から嬉しくて、少し誇らしげな気持ちになります。


明日はお父様にこの報告書を渡しに行きます。

お父様は、どんなお言葉をかけて下さるでしょうか。

喜んでくれるでしょうか。

褒めて…くれるでしょうか。

城の門をくぐろうとしたあの時。

振り返って遠くに見えた城のバルコニー。

はっきりとは見えなくても、お父様がいたことを感じました。

お父様…。

きっと心配してくれていたお父様。

私がお母様のようになるのではないかと不安に思っていたと教えてくれたお父様。

私はお父様にちゃんと想われている。

その実感が心の中を温かく包み込んでくれる。


―ガタッ。

少しもたれかかっていた背中が思わず飛び上がる。

胸が高鳴って、全身を駆け巡る。

碧の彼のことを思い出したから。


「―またね。」


声は出ていなかったし、目が合ったまま小さく唇を動かしただけ。

だからはっきりとはわからない。

でも、私にはそう言われたように感じ取れました。

いつか城でも会ったと思われる彼。

彼の周りにだけ漂う、不思議な世界。

時の流れが止まって音が消えてしまうような、あの感覚。

どうしてこんなにも気になってしまうのか、自分でもわからない。

本当にまた会えるのかな…。


―コンコン。

「どうぞ」

「失礼致します!」

警護の制服を来た青年が入ってきた。

緊張からか少し動きがぎごちない。

指先が震えて顔が赤いように感じました。

「姫様、報告書に載せる警護の部分をまとめた物をお持ちしました」

「ありがとうございます。とても助かります」

私は笑顔で受け取る。

これで報告書に具体的な数字も書けるしもうすぐ完成です!

なぜか警護の青年は固まっている。

私が不思議そうに見ていると…。

「し、失礼致しました!」

勢いよくお辞儀をして逃げるように出ていってしまった。


いつもなら、こういった報告書は緑綬が持ってきて下さいます。

今は隣にいない緑綬の笑顔を思い出す。

緑綬は城下町の視察のあとすぐに準備をして、翌日から他国へ仕事に行かれる大臣の護衛として共に旅立ちました。

今回は一週間程滞在すると聞いています。

緑綬はここ最近他国へ仕事に行く機会も増えました。

護衛としてだけではなく、頭の回転も早い緑綬は、多くの大臣を支えてくれているようです。


城下町の視察が終われば、緑綬の話を聞く。

そう決意していた私は少しだけ拍子抜けしてしまいましたが、花の都の為に頑張ってくれている緑綬の話を聞くと、嬉しいような誇らしいような気持ちになり、私も民達の為に頑張ろうと思えたのです。

緑綬の結婚の話は、誰も口にしない。

むしろ、まだ誰も知らないのではないかと感じます。

きっとわたしには先に報告をしてくれた。

なのに、私はずっとはぐらかしてばかりで、きちんと向き合わなかったのです。

私の生誕祭からは、もう一月以上経っています。

私が話を聞かずにいた間も、お相手の方とお話をしたり、結婚に向けた準備は進んだのでしょうか。

一月あれば、どのくらいの物事が動くのでしょうか。

思えば私も、この生誕祭が終わってからの一月余り。

たくさんのことを考えて、大きく大きく色々な物事が動いた。

もちろん、私を支えてくれた皆が大急ぎで準備をしてくれた、ということがとても大きいのですが。

緑綬もこの雨を見ているのかな。

そんなことをやんわりと思いながら、しとしとと雨が振り続けている窓の外を眺めた。

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