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桜碧物語  作者: 碧桜依
桃桜殿
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流れる雲


緑綬の言葉を聞いた、その後。

結奏が部屋に戻ってくるまでの間の記憶がない。

ふたりともずっと黙っていたのか、あるいは緑綬が何か話しかけてくれていたかもしれません。

ただただ聞こえるのは風が木の葉を揺らす音だけ。

すっかり陽が落ちて、風も冷たくなっていました。


「姫様!お医者様にお話を伺うことが出来ましたっ」

走ってきたらしく、結奏の肩が大きく揺れている。

すっかりぼーっとしてしまっていた私ですが、我に返りました。


「どうでしたか?」

結奏の話によると、正式なお薬ではないものの、なかなかの効果を発揮するハーブもアロマも存在していて、城下町では日常的に愛用されているようです。

味も甘さの中に少し酸味の効いたもので人気があるのだとか。

アロマティーをメインにした人気店もあるようです。

結奏も緑綬も、アロマティーのこと自体は知っていたけど、よく眠れると噂のハーブやアロマのことは知らなかったようで、興味があるようでした。


ふと窓の外を見る。

遠くに光る街灯。

「民たちはあんなに私の誕生日をお祝いしてくれるというのに、私は民たちの生活を何も知らないのですね」

ふと、何気なくこぼした私の言葉に、緑綬が優しく答えた。


「知らない、ということに気付くことは、とても大きな財産でございますよ」


うーん。そうなのでしょうか。

私は無知な自分が少し恥ずかしいのですが…

いつか、緑綬の言葉の意味がきちんとわかる日が来るのでしょうか。


「例のドリンクはスリープティーと呼ばれているようです。他にもリラックスティーやヘルシーティーなど、効果がわかりやすい名前になっているようですね」

お医者様とお話をするときにとっていたらしいメモを見ながら、結奏が得意気に続ける。

「最初は少し凝った名前にしていたそうですが、それではただ良い香りがするお茶だと思われがちだったようて、それならハーブティーでも充分に良い香りだということでなかなか人気が出なかったらしいのです。そこで、効果がわかりやすい名前に変更してみたところ、老若男女問わずじわじわと人気が出てきたようですよ!」


「というわけで、明日さっそく飲んで参ります!」

背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いてピシッと答える結奏。

明日が楽しみです、と顔に書いてあるような満面の笑み。

「私もお供致しましょう」

緑綬もどこか楽しそうだ。


「私も…」

その言葉は自然と唇からこぼれ落ちた。

「私も一緒に行きたい、です」

少し驚いたような顔で、ふたりが私の顔を見ました。


ふたりが城下町に出かけることは珍しくなく、今までもこうして出かけることは何度もありました。

その度に私はふたりが帰ってきた時の外の世界のお話を楽しみにしていて。

外に出ないということが当たり前だった私にとって、いつかふたりと出かけてみたいなと思うことは何度もあっても、

ふたりが出かける時に一緒に行きたい、と思うことは一度もなかったのです。


自然と出た言葉でしたが、自分でもいつもとは違う自分に気付いて、少しドキッとするような。

不思議な気分になりました。


それに…

緑綬の先程までの話をなるべく考えたくなくて。

今も考えないようにしていて。

外に出れば、新しいことがだらけで、そんなことを考える余裕もなくなるはず、と少し期待していたのかもしれません。


ちゃんと聞きたい、でも聞きたくない。

いつかはその現実を全て知って、受け入れることになる。

それは私にもわかることで…

だからせめて今この時だけは、曖昧にしておきたい。

そんなことを考えていました。


「それでは、国王陛下に外の世界へ出るお話をしなければなりませんね」

冷静に答える緑綬。

「では、今日はもう遅いですし、私たちがスリープティーを飲みに行くのも後日に致しましょう」


思い立ったらすぐ行動!な結奏は少し残念そうな顔をしながらも、私の手を握って優しく声をかけてくれる。

「姫様、陛下の説得、頑張って下さいね!私も姫様と共にお出かけをするのが夢だったのです」

瞳を輝かせ想いを伝えてくれる結奏。

結奏も同じ気持ちでいてくれたのが嬉しい。

まずは忙しいお父様にお時間を頂かなくては!


外に出られるかもしれないとなったときは、あんなに迷っていたのに。

まるで流れる雲のように、今は自然と外に出たいと思っています。

現実から逃げている、という部分も正直に言えばあるとは思うのです。

それもわかってはいるのですが。


でもやっぱり、緑綬と結奏と城下町に行くというのはとても楽しみで。

まるで冒険に出かけるかのように、私は胸を踊らせていました。

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