主人の足元に侍る少女と、襲い掛かる甲冑
窓を背にしたひとりの青年の姿があった。
グラスを手に、笑みを浮かべてカシュールカを見つめる、男。
しかしカシュールカの目はその足元に侍っている少女の姿に釘付けになった。
「ミイ……」
声がかすれる。
かっと頬が熱くなるのがわかった。
「おまえっ! おまえ、おまえ、おまえーっ!」
カシュールカは床を蹴っていた。
イルソンに斬りかかる寸前、カシュールカはなにかに激突した。
弾かれ、後方に吹っ飛ぶ。
背中から壁にぶつかり、息が止まる。
「ぐっ」
「早まるのは良くない。もっとよく状況を見ないとね」
どこから現れたのか、イルソンの前に、鎧を身に纏ったなにかが、盾を構えて立ちはだかっていた。
人間ではない。そう感じる。
あれもまた、この世界ではないどこかから招きよせられたモノなのだろう。
あの盾によって弾き飛ばされたのだ。
すごい力だった。
「くっ。おまえ……、彼女になにをしたっ!」
カシュールカは顔を上げ、イルソンを睨みつける。
「なにもしていないさ。こうして、傍にいてもらっているだけだ」
「それじゃあ、その首輪はなんなんだっ!? ミイは動物じゃないんだぞっ!」
「これは私の物だからね。君のような人たちに盗まれないように、こうして守っているのさ」
「ミイは物じゃない!」
「……なにか勘違いをしているようだが、これはミイという女ではない。ルミナという、私が愛した女性だよ」
「ルミナは、死んだはずだ」
カシュールカがミイの顔を窺いながらそう呟く。
「君の知るルミナという女性は死んだのかもしれないが、これは私のルミナだ。勘違いだとわかったのであれば、今すぐにここから去ってくれ。でなければ、私はそこの甲冑の兵士に君を始末するように命令しなければならない」
「勘違い……? いや、名前なんかどうでもいいんだ。その子がルミナだろうが、ミイだろうが、関係ない。俺はその子を迎えに来たんだ」
カシュールカは床に手をつき、足に力を込めて立ち上がる。
「これは、私の物だ。誰にも渡したりはしない」
イルソンが不機嫌そうに告げる。
「ミイ、おまえはそれでいいのか? 俺はおまえを迎えに来ると言った。言葉の通り迎えに来たぞ。サクなら……サクなら、その印の束縛からおまえを解放することができるかもしれない。だから一緒に来い!」
カシュールカはミイをまっすぐに見つめる。
ミイは感情を置き忘れてしまったかのように、ぼんやりとしている。
そんなおまえを、放っておけるわけがないじゃないか、とカシュールカは心の中で思う。
短いあいだだったとはいえ、一緒に過ごしたのだ。
全てを失って、サクと二人きりで閉じこもった。
その世界にミイは現れた。
変化をもたらしてくれたのだ。
それが、例えミイがラクドット家の家宝を手に入れるための手段だったのだとしても、一緒に暮らしたその時に見せてくれたあの笑顔は本物だと、そう思うから。
カシュールカの、平穏な、けれど色のない世界を変えてくれたのは、ミイだった。
ミイともっと一緒に居たいと、そう思ってしまった。
苦手な料理をがんばっている姿や、本当は怖いんだろうにそれを見せずに強がる姿が、カシュールカの頭から離れない。
もっと、心のままに生きさせてやりたいと、そう思ってしまった。
ミイにかけられている魔術と、サクの使う魔術の根本は同じ。
ミイがその首の印に縛られているというのなら、それさえなんとかしてしまえば、彼女は自由だ。
だから……。
「ミイッ!」
「いい加減にしないか。ルミナも、君には興味がないようだ。これが最後だ。去れ」
「断る」
カシュールカの返答を聞き、イルソンは鼻先で笑った。
「やれ」
甲冑に向かって命令を下す。
やってやるさ。
カシュールカは数歩ほど離れた場所に落ちている剣を拾い上げ、素早く構えた。
甲冑の動きは鈍い。
カシュールカは床を蹴った。 甲冑に斬りかかる。
が、敵の剣で受け止められた。
重い。
ぎりぎりと押され、後退する。
ちらりと甲冑の背後に視線を向ける。
イルソンは余興を楽しむかのようにグラスを傾け、こちらを見ている。
ミイは相変わらずの無表情。
あの顔は、そう、あの夜の顔と同じだ。
カシュールカが無理にミイを組み敷いた、あの時と……。
感情を自ら封じて、殺して、そうしてミイはただそこにある物になる。
カシュールカは舌打ちをすると相手の剣を力任せに押し返した。
その隙に後方に下がり、間合いを取る。
兜の下の隙間に狙いを定めて思い切り突く。
そのまま剣で兜を弾き飛ばした。
が、顔のあるはずの部分には、なにもなかった。
驚き、一瞬動きが止まったカシュールカの隙を突いて、頭のない甲冑の騎士が斬りこんでくる。
騎士の剣を剣で受け止めようとしたその時、キィンと高い音がした。
カシュールカの手から剣が弾き飛ばされる。続けて騎士の剣が振り下ろされた。
カシュールカは右後方に飛び退く。
しかし僅かに遅かった。血飛沫が舞う。
奥歯を噛み締め、痛みに耐える。続く攻撃。
カシュールカはただそれをかわすしか術がない。
弾き飛ばされた剣の行方を探す。
不幸なことに、剣は部屋の中央付近に落ちていた。
後退を繰り返すカシュールカは既に先ほど叩きつけられた廊下側の壁の近くまで追い詰められている。
剣を拾うには、この頭なしの騎士をなんとかしなければならない。
血は止まらない。
しかし止血をする余裕すら与えてはもらえない。
「くっ……」
動くたびに血が傷口から溢れ出て、眉をしかめる。
その時、背中に硬いものが当たった。
ちらりと視線をやり、自分にはもう後がないことを知る。
甲冑を睨みつける。
が、頭がないために後方のイルソンの姿が目に入った。
そしてミイ。
甲冑が剣を振り上げる。
ミイをあのままにしておきたくはない。
なんとかしてやりたい。
それなのに――。
ぎりっと奥歯を噛みしめる。
ここまでか。
カシュールカは剣が振り下ろされるのを見た。




