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絡みつく龍と、拘束する鎖

 ミイは突然顔を上げたロークに驚く。

 ロークは魔方円の中の腕輪から目を離し、別の机の上に置かれている盆のような物の中を覗き込んだ。


「どうしたの?」

「今のは……」


 ロークの呟きが聞こえた。

 ミイは恐る恐るその盆に近づく。

 水が張ってあるのがわかった。

 しかし、その中になにがあるのかまでは見えない。


「なにが入ってるの?」

「いよいよか……」


 ロークがにやりと口の端を上げて笑った。

 その笑みを見て、ミイは全てを察した。


 ロークの脇から身を乗り出して、盆を覘く。

 張られた水の表面にぼんやりとなにかが映っているのがわかった。


 カシュールカたちだ。

 ムウルまでいる。


「丁重にお迎えしないといけないな。おまえは部屋に戻っていろ。逃げようなどと思わない方がいい。おれはいつでもおまえを殺すことができる」

「わかってるわよ」

「ならいいけどな」


 言い捨てるなり、ロークは部屋を出て行った。

 車椅子は部屋に置かれたままだ。


 恐らく、術を使って空に浮いたまま移動しているのだ。


 ミイは再び水面に目をやる。

 確かに、ここに映っている三人はカシュールカ、サク、そしてムウルだった。

 本当にミイを迎えに来たのだろうか。


 ミイは魔方円の上に置かれたままになっている腕輪にそっと手を伸ばした。


 ラクドット家の家宝。


 イルソンが欲しがった家宝。

 これを手に入れることが今回のミイの仕事だった。


 しかし、これはカシュールカとの約束の証でもある。

 双方守られることはないとわかっていたはずの、あの約束の……。


 宝剣を届けてカシュールカのもとへ戻る。


 そんなことができるわけがない。


 いや、できないことはないのだ。

 可能か不可能かと訊かれれば可能だろう。


 しかし、すぐにロークがミイの居場所を探り当てる。

 そしてこの隠れ家へと連れ戻されるのだ。


 過去に幾度も経験した。

 一度は殺されかけた事もある。


 ミイはそっと首筋に手を当てた。

 この印が、このクロスに絡みついている二匹の龍が、クロスから離れ、ミイの喉を噛み切るのだ。


 いつでもおまえを殺すことができる。


 ロークが言っているのは、つまりそういうこと。

 この印が刻まれている限り、ロークはミイの居場所がわかるだけでなく、いつでもミイを殺すことが可能なのだと。

 

 龍が自分の首で蠢くあのおぞましさ。

 気の遠くなるほどの激痛。


 逃げればどうなるのか、ミイは嫌というほど教え込まされた。


 喉を食い破られるのは怖い。

 しかし、ふと思うのだ。


 こうして常に監視下に置かれ、命を握られている今、自分は本当に生きているのだろうか、と。


 ミイは腕輪を手に取り、自分の腕にはめると、その部屋を後にした。




「ルミナ」


 暗い廊下で声をかけられ、危うく悲鳴を上げるところだった。

 ミイはびくりと肩を震わせて足を止める。


 さあっと血の気がひいてゆくのがわかった。

 指先が震える。

 ぎこちなく振り向くとイルソンがグラスを片手にたっていた。


「イルソンさま……」

「ついうとうとしてしまったようだ。気が付いたら君がいなかった。また勝手にどこかへ行ってしまったのかと、心配したよ」


 イルソンはミイに近寄ると強く抱きしめた。

 手に持っていたグラスが廊下に落ち、割れる音が響く。


「ご……ごめんなさい。今、部屋に戻ろうと思っていたところだったんです」


 声が震える。

 胸が圧迫するほどに強く抱きしめられる。

 ミイは抵抗せず、その苦しさに耐えた。


「さあ、戻ろう。私の部屋へ。君はもうどこへも行かなくていい。私の部屋にいてくれれば、それでいいんだ。そうだ、こうやって心配をしなくてもいいように、昔のように鎖につなごう。それがいい。ねえ、ルミナ。そうすれば、君はずっと僕の傍に居られる」


 ぞくりと冷たい物がミイの背中を這う。

 鎖は嫌だ。

 あれは……心すら縛る。


 ミイは身をよじる。

 しかしイルソンの腕はびくともしなかった。

 腕には更に力が込められる。


「イルソンさま、もううろついたりしません。だから……」

「ルミナ、わかっているね」


 冷たい声。

 ミイは顔を上げた。


 イルソンの瞳がミイを見据えていた。

 その目は、ミイを移してはいない。


 そう、イルソンの瞳に映っているのは……。


「イルソンさま、あたしは……」

「さあ、ついて来るんだ。外が騒がしい。財宝を盗みに、忍び込んできた連中がいるようだ。鎖は君を縛るための物じゃないんだよ。君が盗まれないように、君を守るための物なんだ」


 ああ、そうか。


 ミイはぼんやりと思った。


 そうか、自分は人間ではなかったのだ、と。

 そう、物と同じだったのだ。


 イルソンにとって、何らかの価値があるらしいミイを、持ち主のイルソンは盗まれないようにしっかりと管理しなくてはならない。

 そういうことなのだ。


 わかっていた。

 そう、ゾルショワナに居た頃は、しっかりとそれをわかっていたのだ。


 鎖が印に変わり、ミイは街中に放り出される代わりに多少の自由を得た。

 イルソンが必要とする時以外は、どこでなにをしていても許される自由。


 生き抜くために必死だったけれど、どのような手段を使って生き抜くか、どこでなにを食べるか、それを選ぶことはできた。


 拘束されない代わりに、自分で生き抜くしかなかった。

 餌を与えられない代わりに、自分でなにを食べるかを選ぶことができた。


 そう、そんな自由を知ってしまった。

 だから、つい、自分がただの物であることを忘れてしまっていた。


 与えられた自由は、ただのまやかしだったのに。


 ミイは瞼を閉じ、絶望に震える息を吐く。

 もしかしたらと希望を抱いてしまっていた自分が愚かに思えた。

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