狂気の満ちる屋敷と優しげな瞳
イルソンのもとに向かう途中、魔術師ロークと廊下ですれ違った。
ミイは目をそらせて通り過ぎようとしたが、ロークに呼び止められる。
「手に入れることができたようだね」
ロークの視線が腕輪に注がれていた。
ミイは無言で頷く。
「ふん。凝ったことをする。すぐには無理だな。イルソンさまがお待ちだろうから、報告が終わってからでいい、おれの部屋にそれを持って来てくれ。本来の姿に戻そう」
「わかったわ」
それだけを答えて、ミイは再び歩き始めた。
イルソンの部屋はすぐそこだった。
ドアをノックするが返事はない。
しかしそれはいつものことだった。
こちらも、返事を求めてるわけではない。
ただの合図だ。
ノブをまわし、ドアを開ける。
イルソンは自分のデスクに腰を掛けて、空を見上げていた。
「イルソンさま」
声をかけると、やや間を置いてからイルソンは視線をミイに向けた。
「おかえり、ルミナ。約束を守ったんだね」
「はい」
「おりこうだ。こちらにおいで。手に入れた宝剣を見せて欲しい」
「あの、これなんです」
ミイは自分の腕をイルソンに向かって差し出した。
手首にはまったままの腕輪を。
「これは?」
「魔術でこんな形になってしまっているけれど、これが宝剣なのだそうです。先ほど廊下でロークに会いましたが、彼はこれが宝剣だと知っていました。そして、後で部屋に持って行けば宝剣の姿に戻すと約束してくれました」
「ああ、そう。わかったよ。お願いしよう。さて、実は、僕は暇を持て余していたんだよ。酒でも飲みながら、僕に色々な話を聞かせてはくれないかい?」
「承知いたしました。では、御酒の用意をして参りましょう」
言い残して部屋を出る。
この屋敷にはイルソンとローク、そしてミイの三人しかいない。
三人。
カシュールカとサク、そしてミイ。
あそこでも三人だった。
しかしここはあそことは全く違う。
屋敷の中の空気は冷たく凍りついている。
ミイはキッチンへと急いだ。
イルソンが好んで飲む酒を探し出し、部屋に戻る。
ノックにはやはり返事がない。
そっとドアを開けると。そこには先ほどと同じく空を見上げているイルソンがいた。
「お持ちしました」
「ありがとう。ルミナ、君も一緒に飲もう」
イルソンが部屋の中の応接セットのソファに腰を下ろすように指示をする。
ミイは素直に従った。
酒をテーブルの上に置く。
可哀想なイルソン。
ミイはイルソンのことを、ほんの少しだけ知っている。
ミイに印を刻み付けるようロークに命令した、恐ろしい人間。
自分の望む時にミイが傍にいなければ、その印を頼りにどこまでもでも迎えに来る、それはもう狂気ではないだろうか。
しかし、昔のイルソンは全く違った。
当時盗賊団の下働きでしかなかったイルソンだったが、ルミナには優しかった。
だから……。
イルソンのことは怖い。
怖いけれど、哀れとも思う。
今は優しく微笑むイルソンの瞳を、ミイは真っすぐに見た。
その瞳は慈愛に満ちている。
けれどこの瞳は……。
ミイは目を伏せた。
イルソンに寄り添い、酒を注ぐ。
手が震えるのは恐怖のせいか、それとも寒さのせいなのか。
薄暗い部屋の中、時はただ静かに過ぎてゆくのだった。




