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脱獄からはじまる、食い倒れの旅への道

 ミイは無事、逃げ切ったのだろうか。


 牢の壁にもたれかかり、カシュールカは鉄格子越しに見える月をぼんやりと眺めていた。

 残念ながら、片方の目は現在使用不可能だが、片目でも充分に付きは美しく見えた。


 ミイはもうイルソンの元に帰ったのだろうか。


 ふと、先ほどからミイのことばかり考えていることに気づき、苦笑する。

 笑ったら顔の傷が痛んだ。


「随分と楽しそうだね。でも、ひとりでニヤニヤしてる姿はちょっと不気味だよ」


 声と共になにかがカシュールカに向かって飛んできた。

 反射的に受け取ると、それはミイから渡された首飾りだった。

 そういえば、テーブルの上に置いたままだった。


 首飾りが飛んできた方を見ると、いつの間にか牢の中にサクが現れていた。


「なんだよ。いつから居たんだ」


「今だよ、ついさっき。助けに来て見れば、暗い牢の中で怪我だらけの顔でにやけてるんだもの。なんだか楽しそうだし、このまま助けなくてもいいんじゃないかと思ったよ」


「ミイは? ミイは無事逃げ切れたよな?」

「ああ。うん。大丈夫。無事イルソンの元に帰り着いたよ」


「帰り着いた? そこまで見届けたのか? じゃあ、イルソンの隠れ家もわかったのか?」

「うん。ちょっと使い魔にミイの後をつけさせたんだ。ロークは全然警戒してなかったみたいだよ。来るなら来い、って感じだね」


「……今のおまえなら、勝てるよな。それで、復讐を果たしたら、後は三人で一緒に食い倒れの旅に出るんだ」


「もちろん勝つつもりだよ。でも……その食い倒れってなに?」

「ミイと考えた今後の計画さ」


 サクはふっと笑った。


「それも楽しそうだね」


 カシュールカも笑う。

 しかし傷が引き攣れて痛み、眉をしかめる羽目になった。


「それにしても、術者っていうのは本当に便利だな。牢なんて全然関係ないじゃないか」


 改めて、牢の中に立つサクを見ながら言う。


「そうだね。でも、術を完全にマスターするのは一筋縄じゃいかないからね。鑢で鉄格子を削って脱出するのと、簡単な術を習得するのとでは労力はさほど変わらないんじゃないかな。ただし術の習得には才能も多少必要になってくる。そう考えると、鉄鑢の方がいいと思うけどね」

「なるほどな」


「それにしても、ここには見張り番はいないわけ? 逃げてくださいっていわんばかりだけど……」 

「昼間はいるらしい。どうやら人件費削減の波が治安隊をも襲っているらしい」


「夜こそ脱走が盛んに行われるって事実はちゃんと加味されているのかな?」

「さあね。俺たちがそこまで心配してやる必要はないだろ」

「ごもっとも」


 サクはそう言いながらカシュールカの顔に手のひらを翳した。

 その手のひらから暖かさを感じる。


 見ればすぐそこにサクの真剣なまなざしがあった。


 三年前、カシュールカは十八、サクはまだ十五歳だった。

 いつの間にかサクの顔は随分と大人びた顔になった。


 自分も、昔と比べて成長しているのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、先ほどまでずきずきと痛んでいた傷の痛みが徐々に薄れ、やがて消えた。


「やっぱりすごいな。ありがとう」


 自分の顔を触って傷の具合を確認する。

 どこも痛くない。

 今の術で完全に治癒されている。


「どういたしまして。さあ、行こうか」

「行くって、どこに?」


「向こうも準備があるだろうと思って、ハーダッシュには先にゾルショワナの隠れ家の場所を教えてあるんだ。僕たちの準備は、特にないよね。このまま、ハーダッシュたちとの合流場所まで移動するよ」


 カシュールカは頷いた。

 サクが無言で差し出した手にそっと自分の手を重ねる。

 サクがその手を強く握り締めた。


 サクが目を閉じる。

 カシュールカはその様子を間近で見ていた。


 お抱え魔術師がいたとはいえ、魔術を間近で見る機会はそうそうあるのもではなかった。

 魔術師の方も、無闇に術を使うことは禁じられているので、そう簡単には見せてもらえなかったのだ。

 

 もちろん、魔術を使って移動するなんてことも、初めての経験だ。


 やがてサクの足元が光り始める。

 その光は瞬く間に広がり、やがてサクとカシュールカを包んだ。


 あまりの眩しさにカシュールカも目を閉じる。

 突然、足場が消えた。――ように感じた。


 落ちるっ! 

 落ちている!


 咄嗟にサクと繋いだ手に力を込める。

 今、カシュールカにとって、確かに感じられるのはサクのこの手の感触だけなのだ。


 その感覚は、さほど長くは続かなかった。


「もう、いいよ」


 サクの声が聞こえるのと、つま先が足場に届くのがほぼ同時だった。

 恐る恐る目を開けたカシュールカの目の前には、ただ暗闇が広がるだけ。


「どこだ? ここは」  

「街から半日ほど離れた場所だよ。どうやら山の中腹にある屋敷を隠れ家に使っているみたいだね」


「どこだよ。見えない」


「そんなに近くに移動したら、さすがにバレるでしょう。ここはまだ山の麓だよ。少し行ったところにある、朽ちかけた山小屋の中でハーダッシュたちが待っていることになってる。……このあいだ、僕がどれ程無理をしてハーダッシュたちと会話をしたか、わかってるよね?ここから先は頼むよ」


「俺だって、社交的とは言い難いと思うけどな。まあ、昔とった杵柄ってやつだよな。わかった。行こう」


 サクは微笑んだ。


 山頂を仰ぎ見れば、肥えた月がぽかりと浮かんでいた。

 月光を遮る雲はなさそうだった。


 さあ、行くぞか。


 カシュールカは心の中でもう一度呟いた。


 待ってろよ、ミイ。


 ふたりは並んで、目的地へと移動をはじめた。

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