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現れた雇用主と、攫われたメイド

 ぶら下げられながらも首をひねると、カシュールカの後ろに立つサクの顔が見えた。


「従業員? 貴様ら、何者だ。俺たちには関わらないのが身のためだぞ」


 一般人に手出しはしない。

 しかし、明確な意思を持ってハーダッシュ盗賊団の前に立ちはだかる者には容赦しない。


 それはもうただの一般人ではなく、ハーダッシュ盗賊団にとって邪魔者とみなされるからだ。 


「ただの一般人だよ。今現在、こいつにはうちで働いてもらってる。勝手に連れて行かれちゃあ困るんだ」


 盗賊団の首領、副長を前にしてもカシュールカはいつもと変わらない様子で飄々としている。


「こっちもちょっと譲れねえ用がある。なに、そいつとは浅からぬ縁もある。そうひどいことにはならねえさ」


 カシュールカとハーダッシュが睨み合う。

 横抱きにされたままのミイは、両手両足をだらりと下げたまま、吊られていた。

 吊られたまま、さてどうしたものかと考える。


 その時、一陣の風が吹いた。


「随分と緊迫した様子だねぇ」


 あまりにも場違いな声が、その風に続いた。軽い、あまりにも軽やかな声に、しかしミイは凍りつく。

 ゾクリと冷たい物が背筋を這い上がる。

 指先が冷え、さあっと血の気がひいたのがわかった。


「ロークッ!?」


 サクが叫ぶ。

 さきほどの台詞の主に対して発したのではない。

 その後ろに控える、車椅子の青年に向かって投げかけた叫びだった。


「ローク? ゾルショワナかっ!?」


 ついさっき話題に上ったばかりのその名に、グクールが反応する。

 ゾルショワナは成り行きを静観する腹づもりか。


「やあ、久しぶりだね、サク。そしてかつての我が主、クアシュカ・ルッツ・ラクドット様。お元気そうでなによりです」


 ロークと呼ばれた男が笑顔で挨拶をする。

 そしてその青年の口から発されたクアシュカ・ルッツ・ラクドットという名。その名に、その場にいた全員が反応する。


 ミイもまた心の中でやはり、という思いがあった。

 しかし、今それが明かされても、ミイは動けないのだ。  


 そう、この男が現れてしまったから。


「いけしゃあしゃあとっ!」


 サクが数歩、歩み寄る。


「ああ、不用意に近づかない方がいい。サク、わかっていると思うけれど、ね。今のぼくの主はこの方だ」

「結界かっ」


 サクは唇を噛む。


「待つのにもそろそろ飽きてね、迎えに来たよ、ルミナ。さあ、共に帰ろう」

「イルソンさま……」


 ミイに向かって、ルミナと呼びかける声。

 伸ばされた腕。

 ミイはあの腕に逆らうことができない。


 それはもう、なによりも絶対的な力。

 ミイの心を縛りつける物。

 この首の印がある限り、この男からは逃れられない。


「さあ」


 ミイを急かす声。


「カシュールカ、あたしを下ろして」

「馬鹿を言うな。さっきも言ったが、勝手にいなくなられたら困るんだ。それよりルミナというのは……」


 カシュールカの言葉をミイが遮る。


「なにも困らないわよ。そう、元に戻るだけじゃないの。さあ、早く下ろ……」

「ミイ、これは好機だ。僕たちはこいつらを探していたんだからね」


 ミイの声を遮ってサクが言う。

 しかしその額からは汗が滴っている。


「サク……」


 無理だ。

 タイミングが悪い。


 ミイにはそれがわかった。

 それに、そんなことは関係ないのだ。


 自分にはイルソンの元に戻るしか術はない。


「痛っ!」


 ミイは決意して、カシュールカに反撃した。

 よもやの襲撃に驚いたカシュールカの腕の力が緩む。

 その隙にミイはするりとカシュールカの腕から抜け出し、地面に着地した。


「ごめんね」


 それだけ言い残してミイはイルソンの元に駆け寄る。


「おっまえ! おまえ! なにすんだ!」


 カシュールカは痛みの走ったわき腹に目をやる。

 シャツの下には、ミイの歯型がくっきりとついているに違いない。


「他人の物に手をだしちゃあいけないよ。そう、でないと火傷をするよ? ふふふ」


 イルソンが可笑しそうに言う。


「だから、ごめんって」


 イルソンの傍らに立ち、やや硬い顔でミイが告げる。


「ごめんじゃないだろう! おい、おまえは本当にそれでいいのか? それはおまえの意思なのか? おまえ……、うちのこと良い職場だって、そうサクに言ったんだろ? だったら戻って来いよ。幸い、まだ解雇する予定はないんだ」


 カシュールカの言葉に、ミイは首を横に湯振って答えた。


 それは無理だ。

 そんなことが自分に許されるわけはないのだ。

 あれはつかの間の夢のようなものなのだから。


「おまえは……じゃあ、なんでそんな顔してるんだよ! 最初は無表情でとっつきにくい奴だと思った。でも、おまえ楽しそうに仕事してたのに気づいてたか? デスマス調をやめて、その生意気な喋り方で、面倒だ、やりたくないって言いながらも仕事はちゃんとこなしてたんだ。その時、自分がどんな顔してたかわかってるのか? 美味しい物を食べる時、どんな顔で食べてるのか気づいてたのか? おまえ、嬉しそうだったんだよ。なんだかこっちがむず痒くなるくらい、嬉しそうな顔してたんだ」


 カシュールカの言葉に、ミイは驚く。

 自分がどんな顔をしているかなんて、考えたこともなかった。


「そん……な……」

「なのに、なんで今、そんな泣きそうな顔してんだよ。おかしいだろう?」


 嬉しそうな顔をしてた?


 そんなの嘘だ。

 家事なんて大嫌いだ。

 やらなくていいなら、絶対にやらない。

 仕事だから、やらないとあそこに居られないから仕方なくやっていたのだ。


 ミイは更に首を振る。


「いい子だね、ルミナ。さて、長居は無用。今宵はひとまず失礼しよう。ローク」


 ロークは無言で頷いた。

 その瞬間、イルソンたち三人を包むようにして風が巻き起こる。


「ミイッ!」


 駆け寄ろうとしたカシュールカを風の刃が襲う。

 腕で目を庇いながらも、カシュールカは更に歩を進める。


 サクが結界を張るが、結界と結界が触れ合い、耳障りな音が響いた。

 それ以上は近づけない。


「ミイーッ!」


 カシュールカが叫ぶ。

 しかし、その声は恐らくミイには届かない。


 一瞬のことだったのだろう。不快な音がやんだと思った時には、ミイの姿は消えていた。

 もちろん、ロークとイルソンの姿も。


 残された四人は、呆然とその場に立ち尽くすのだった。

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