ふたつのツアッシュクロス
「そこにも、これと同じ印が刻まれているらしいね」
サクは手を添えられたその首筋を見据えた。
「……路地裏で、サクがちょっとした魔術を見せてくれた。あの日から時々疼くの」
「その印を刻んだ奴は、恐らく僕が知っている奴だ。同じ師に学んだ者同士、同じ理論の術を使う。術と術が共鳴しているのかもしれない。僕にも、その印を見せてもらえないかな」
「無償なら見せて欲しいって言ったのよ」
「これは対価として要求しているんじゃない。お願いしているんだよ」
サクはかき上げていた前髪をはらりとおろした。
まがまがしい黒いクロスは隠れ、いつものサクに戻る。
ミイは小さく息を吐き、添えていた手を離すと、首を覆っているハイカラーのボタンをはずし始めた。
アルコールを断ってから、サクは確かに感じるようになっていた。
それは自分の知る術の波動。
やがて目の前に現れたのは、白く細い首筋と、そこに刻まれた赤い、血のように赤いクロス。
血色のクロスはその者の命を握る。
「ああ……」
サクは思わず声を漏らしていた。
それは間違いなくツアッシュクロス。
しかし、厳密にはこの世に全く同じ印を扱う者はいない。
オリジナルを元に、それぞれが自分だけの印へと転じてそれを用いる。
それは個性のようなもの。
このツアッシュクロスは、サクが予想した通りの者の印だった。
「サク?」
くらりとサクの体が傾いた。
思わずミイの体につかまる。
ミイはそんなサクを抱きとめた。
「わかってはいたんだ。予想はしていた。ただ、やはりショックで……」
サクが呟く。
「なにか、あったのね?」
ミイの問いに、サクは答えなかった。
ただそのままの姿勢で目を閉じて動かない。
静かな時間が流れる。
ミイはどうすればいいのかわからず、サクのつむじを眺めていた。
サクからは、もうあの甘い香りがしない。
そこに、突如、バタンとドアが勢いよく開かれる音が響いた。
思わずびくりとしてドアを見る。
その音に、サクも目を開け、顔を上げた。
「治安隊が……っあ!」
何かを話しながら入ってきたカシュールカが、数歩入った場所で固まった。
その視線はまっすぐ窓際の二人に向けられている。
「おかえりなさい」
ミイがそんなカシュールカを不思議そうに見やりながらも声をかける。
「あ、いや、あの……。そ、そうか。サク、そういうことならその、俺は……」
カシュールカが一歩下がる。
「そういうこと? どういうこと?」
ミイが顔を上げたサクに問う。
サクは自分がミイに支えられている現状、それを見たカシュールカの誤解を一瞬にして把握した。
「違う。誤解だよ、カシュールカ」
「いや、言い訳はいい。素直に言って欲しい」
「なにを?」
ひとり、全くわかっていないミイが疑問符を投げかける。
「ミイ、それはおまえの意思なのか? 本当にいいのか? いや、まさかサクに限ってその、強引にとかそういうことはないと思うけどな、このあいだみたいに投げやりになっているというのであれば、俺はそれを止めたい。どうなんだ?」
「意思?」
「違う、これにはなんの意思もないんだよ」
「意思がない?どういうことだ。それはミイの投げやりな態度に便乗したという……。いや、それはいい、とりあえずおまえら、離れなさい」
カシュールカがずんずんと二人に近づく。
「サク、大丈夫?」
「ああ……」
サクの体調を気遣うミイに返事を返して、サクはゆっくりとミイから離れる。
「なにが大丈夫なんだ?」
耳ざとくその会話をききつけたカシュールカが問う。
「サクが目眩を起こしたばかりだから」
「目眩?」
「そう。これを見たら、ちょっと……」
ミイはカシュールカにもツアッシュクロスが見えるように体の向きを変えた。
「あ」
カシュールカが口をぽかんと開けた。
「だから誤解だと言っているのに……」
「なんのことだかさっぱりわからない」
ミイが頭を軽く振る。
「だ、大丈夫か? なにか変調があったのか?」
遅ればせながらもカシュールカがサクの顔を覗き込んだ。
「いや、平気だよ。まさかまたこの印を見ることになるとは、最近まで思っていなかったからね。相手はあいつだとわかったつもりでいても、現物を目の当たりにするとやはりショックなものだね」
「そうか……。悪かった」
「いや、面白い物を見ることができたからよしとするよ」
「んもう、全然意味がわからないわ」
ミイが大きく溜め息を吐いた。




